空想夢の、航海記1996 年作成。 勝彦の航海記1 一章 友水を抜けて。 |TOPへ| メィンスイッチを入れた。エンジンをかけ、もやいを解く。 艇は静かに滑り出した。一昨日より準備し、艇のメンテナンス、燃料、食料、その他、今回の航海に必要な品々を搭載、準備も万全である。 天候は晴れ、風速一八ノット北東の風、エンジンを止めて帆走で行く。波も無く、潮に乗って艇は六ノットで進む、GPS針路二四〇度。関西空港の沖合を通過する、大きなジエット旅客機が滑走路手前で待機している、その内の一機が滑走路に出て飛び立って行った。関空の警戒船がいて、立ち入り禁止になっている、それを左舷に見ながら進んだ。後方左の空より一機着陸姿勢を取って降りてくる。大きいなーと思いながらのんびりとコックピットでまどろんでいると、前方にうっすらと地ノ島と沖ノ島(友ヶ島)の島影が見えてきた。 勝彦の今回のクルージングは、前々から計画をしていた事で、 仕事の事も家庭の事も忘れて気ままに過ごしたくなり、時間も日程も決めていない。時間の制限も日程の制限も無く、世間から逃れのんびりとした、気ままなシングルハンドだ。友ヶ島水道の航路ブイを右舷前方に見ながら、今朝出港前に買って来た、ほかほか弁当を食べる。釣り舟が何隻か出ているそのあいだを縫って、友ヶ島水道に入った。とりあえず沼島に行くことにする。 沼島は、日本発祥の島だ。その昔いざなみ、いざなぎの、男女双柱の神神が海水をかきまわし、その棒を上にあげた時に、滴がポタリと落ちた、その滴が固まったのが沼島であると、古事記に書かれている。 その沼島はいつもよく行く漁港で、暗くなっても入りやすい。 午後六時過ぎに航海灯のスイッチを入れた。沼島の赤灯台を右舷に見て港に入って行く、アンカーを入れてもやいも取って無事接岸。 この港も連休はヨットで一杯になっていたはずだ、午後七時、早速石鹸とタオルを持って風呂屋に行く、 数年前には風呂屋はこの沼島に二戸あったが、一戸は廃業。現在残っているのは、富士の湯だけだ。一人なので呑気なものだ。風呂を出て缶ビールを買って船に戻った。他のヨットは一隻も入っていない。米を研ぎ火にかける、しばらくすると飯も出来た。中華丼にする事にし、インスタントのみそ汁を作り、漬物を刻む、テレビを見ながら一人で豪華な夕食タイムだ。酒を少し熱かんにしてシーチキンの缶詰を空けて、それを肴に飲めない酒をちびりちびりと飲んでいるとほろ酔いきげんで心地よい気ぶんになって来た。時計を見ると午後十一時過ぎ、後片付けもうるさくなって、そのままボンクに潜り込む。 第二章 白浜へ。 |TOPへ| 漁船のエンジンの音で目が覚めた。時計を見ると午前五時過ぎ、漁港の朝は早い、ボンクに潜ったままエンジンの音を夢うつつに聞いていると心地よく又眠ってしまった。船窓から陽が差して来て目が覚める、早速顔を洗って、昨夜炊いた飯が残っていたので、お茶づけと卵焼きで朝食を済ます。テレビの天気予報で今日は和歌山南部に低気圧が発生して日和が落ちるらしい、ここで今日も一泊と思ったが、白浜へ行くことにした。 勝彦は、今は陽も照っているのになー、と思いつつ出港の準備にかかった。ジブを小さくし、メィンもワンポントにリーフして沼島を後にする。途中でVHFのスイッチを入れ、十六チャンネルを聞いていた。第五管区海上保安部の気象通報。十四チャンネルに移動する。和歌山県南部に波浪警報発令。紀伊水道付近で、低気圧が北進中、風速38ノット、波高三b、付近の船舶は警戒せよと言っている。勝彦も気が引き締まる、しばらく進むとしだいにうねりが大きくなって来て、風も西に振って来た。みるみるうちに風速は三十五ノットに達した。このごろの天気予報もよく当たるようになった。波にバウが持ち上がって次の瞬間に谷間に突っ込む、スプレーが飛んでくる。キヤノピーに当ったスプレーが左舷の方へ飛んで行く、又持ち上がっては谷間に突っ込んで行く。突っ込むたびにボトムが波をたたく大きな音がするが、艇は安定して走っていて不安がなかった。 アビームの風を受けて艇は九ノット近く走りだした。ヘルムがきつくなりラットを引く手に力が入るが、思ったよりウエザーが出ていない。三時間近く頑張っていると、しだいに波も風もおさまって来た。低気圧が北のほうへ通過したのだ。有田川の河口、宮崎の鼻も過ぎ。由良沖も過ぎて、時計を見ると午後一時を過ぎ腹も減って来た。 オートヘルムにラットを任せて、勝彦はお湯を沸かして、どん兵衞のきつねうどんを作った。今朝出掛けの時に残ったご飯で、握り飯を作っておいたので、一緒に食べた。遅い昼飯だ、薄日も差して来た。左舷に日ノ御埼の灯台が見えた、まわり込めば田辺湾だ。時間があるので湾岸沿いに進む。日高川の河口を見ながら切目崎も過ぎて、南部町の沖あたりに来ると42号線を走っている。車が見えて来た。しばらく進むとこの辺りでは珍しい建物が目にとまった。ヨーロッパ風のレストランらしく、白い壁に真っ赤なとんがり帽子の屋根。 その横の駐車場に、真っ赤な、マセラッテイのスパイダー、らしき車が止まっていた。この辺りでは珍らしい車だ。だれが乗っているのだろうと思いつつ、勝彦は双眼鏡を取り出して見た。レストランから、ジーンズを履きサングラスを掛けた女が出て来た。止まっていた、マセラッテイに乗り込んで、エンジンをかけているようだが、なかなか、かからない。しばらくし、やっとかかったらしく、爆音を残して南の方へ走り去った。 勝彦は粋な女だなー、と思いつつ、双眼鏡を目から離した。今夜は白浜の桟橋へ泊まる事にした。エンジンをかけて、セィルを降ろして海苔網筏の間を縫って進んで行く。この港は別名綱知らづと言って、静かな港だ、浅瀬に気をつけながら桟橋に接岸。 第三章 女との出会い。 |TOPへ| 今日は低気圧に合い疲れていた。夕食を自分で作るのが嫌になった。外食にする事にして、町に出た。一人でのクルージングは気ままなものだ。白浜の温泉街を眺めながら、湯崎の方まで足をのばした。そこにある、町営の温泉に、ゆっくりつかって潮気を洗い落とした。頭にタオルを乗せて白浜の夕暮れをぶらぶらと散歩した。 早西に太陽は傾いて、茜色に染まった雲が美しく、温泉町を染めていた。しばらく歩くと勝彦は、寿司屋の、暖簾に目が止まった。寿司を食べることにして、暖簾をくぐった。 「毎度。いらっしゃい」 と威勢のいい声が飛んで来た。カウンターに座って先ず値段を見た。 「たいしょう、何にを握りましょうか。」 と言いながら上がりを持ってきた。品書きを見て、手頃な値段につられて、トロ、イカ、ヒラメ、ハマチと、握ってもらって、ビールを飲んで、茶わん蒸しを食べた。その横手に三人の男がヒラメの造りで、酒を飲んでいた。新鮮なネタで、うまかった。そのせいで今夜の夜食にと、上握りを一人前頼んで、¥五八〇〇円也を店主に払う。 「毎度おおきに、有り難う御座いました。またどうぞ。」 の声を背中で聞いて、寿司折り片手に表に出た。ぶらぶらと五〇〇メートルほど来た右手に《スナック景》の看板が目についた。ふと見ると、横手に田辺湾をヨットで走っていた時に見かけた赤のマセラッテイが止まっていた。勝彦が海から見た時の女がいるかもなーと思いつつ、ドアを開けた。カラオケの音と共に。 「いらっしゃいませー。」 と黄色い声が飛んで来た。四〜五人の客と三人の女がいた。カウンターに座ってビールを注文する。 「上野発の夜行列車、降りた時から、青森駅は雪の中……」 酔ったお客が歌っていた。出された枝豆をあてにビールを飲んでいると、しばらくして車に乗っていた女がビールを接ぎに来た。そばで見ると細面のなかなかの美人であった。女優の松原智恵子をひとまわり若くしたような容貌だ。勝彦も車に興味があったので。 「横に止めているマセラッテイ。貴女の車か?、今日、田辺湾をヨットで走っている時に見えたんや。」 「ほんと?、どこで見られているかわからないわね。」 と話が弾む。この店のママらしい色が抜けるように白く、黒い髪の毛が長く、肩まで延ばしていた。 いろいろ話をしている内に親しくなって来た。 「ママ、イタ車に乗るほど車が好きなんやな、マセラッテイのスパイダーよく走るし、粋な車やが国産車より、 よく故障するやろう調子はどう?。」 「そうなのょ、あの車大好で、無理して買ったんだけど、この頃エンジン、かかりにくくって、でも気に入って大事に乗ってるの。」 ママの話では、以前からこの車が好きで、外車シーョウを見に行った時に、無理に無理して買ったらしい。 「そうやろうな、好きやないと乗れんものなー、この車の良さは乗らん人にはわからんやろう。ママ一度、エンジン見てやろうか。」 「車のこと良く知っているのね、修理してくれるの?。」 「直るか直らないかわからんが、見るだけは見るよ、修理工具は船に積んでるからな。」 「ほんとに見て修理してくれるの、お願いできるの。」 「よかったら明日の朝。俺のヨットを泊めている桟橋まで来るか?。」 と話が弾んで、簡単に約束をしてしまった。勝彦は水商売の女のことだ、来るか来ないかわらない、と思いながらほろ酔い気げんで店を出た。船に帰へれば十一時を過ぎていた。お茶を沸かして、夜食に買った寿司をテレビを見ながら、腹一杯食って、心地よい気持ちになり寝てしまった。 第四章 マセラッテイでドライブ。 |TOPへ| 今日は晴天である。勝彦は、おそおそ起きて顔を洗った。しばらくすると、 独特の排気音と共に昨夜の彼女が現れた。 「おはよう御座います。昨夜の約束、お願い。修理して貰える?。」 「昨夜はどうも、おはようさん、こっちに来るか。足元に気いつけて。」 と勝彦が声をかけた。その声を聞いて彼女が車から降りて来た。タイトスカートを履いていて、危なっかしいので、勝彦が手を貸した。彼女が、危なっかしい足取りで、ヨットに乗り込んできた。ヨットに乗るのが初めてなのか、珍しい物を見るように見回していた。 「ヨットって思っていたより大きいのね、何メーターぐらいあるの、」 「この艇で36フィート。ヨットはフィートで言うんや、この艇で十一bや。重量は約六トン。船底にバラストと言って鉄の重りが付いているんや。」 「あらそう、中も思っていたより広いのねー、五〜六人ぐらいの生活は、充分出来そうね。」 「そうや、トイレもキッチンも、付いているし、シャーワーや洗面所も有って、小さな二LDKぐらいの広さはあるのんや。」 「ほんと、ヨットってすごく良くできているのね、エンジンも付いているの。」 「付いてるよ、ヨットは船の中では一番安全な乗り物や。この艇で世界一周も行けるよ。」 と言いいながら勝彦はコーヒを沸かした。朝飯はと聞くと、食べていないと言うのでトーストを焼いて、 二人で軽い朝食を取った。 「良かったら、一緒にこのヨットで生活しょうか、動くマンションやで、何処えでも行けて、楽しいで。日本一周でもできるよ。」 と冗談を言うと、彼女は、笑いながらそれもいいわねと言った。 一息ついて、勝彦は工具を取り出し。彼女と陸に上がりマセラッテイの、ボンネットを開けて、彼女にエンジンをかけさせた。スターターを回す二回、三回、四回目でやっとエンジンに火が入った。アイドリング九〇〇回転。エンジンがぶるん、ぶるんと振れている、勝彦には、原因がすぐにわかった。若い頃に、自動車の修理工場をしている、伯父の所でアルバイトをしていた事もあり、よく外車やストックカーなどの修理もした。この原因は電気系統だと思った。デストリビユータのカバーを外しロータを取りはづす。思った通りロターがくすぶっていた。このロータはダブルで電気系統は2系統になっている、ぺーパで研磨。これで発火が良くなるはずだ。エンジンをかける。今度は一発でかかった。マセラッテイの、ショート、ストローク、エンジンにしては回転数が少し低い。アイドリングを調整一千回転に上げた。エヤー調整をすると振動も幾分か少なくなった。再度エンジンを止めて、二〜三回かけたり止めたりしてみたが、一発でかかるようになった。 「これでエンジンはOK、調子良くなったやろう。」 横で見ていた彼女も、自分で二〜三回エンジンを掛けたり止めたりしていたが、勝彦の方を向いて。 「嬉しいわ、今迄この辺の修理屋さんに見て貰っても、なおらなかったのに、すぐに良くなったわね。」 「そうやろうこのエンジンは九十度のV六で、ツィンターボが基本で、一昔前のレーシングカーの特徴持ってんや簡単やが、扱った事の無い人には難しいかもなー。」 「随分、くわしいのね」 と彼女が関心しながら、なんども、有り難うと言った。ボンネットを落として、時計を見ると午前十一時を過ぎていた。勝彦も昼食を一人で食べるのも、味気無く思い。 「ヨットで御馳走は無いけど、一緒に昼飯を食べへんか。」 と彼女を誘った。 「有り難う。私もマンションで一人なの、御馳走になろうかな。」 と彼女が、言った。二人で再びヨットに乗って、昼飯を作ることにした。 冷蔵庫の中にうどんすきの材料が入ってるんで、すき、でも炊こうか」 と勝彦が言うと。彼女が。 「それでは私に作らせて、でも味付がまずかっても後免ね。」 「調味料や食器は、その引き出しにいれている。これと言う材料は無いが。」 と言いつつ勝彦は、冷蔵庫の扉を開けた。 「それでは私下手ですけど料理しますわまずかってもごめんね」 と言って彼女が材料を吟味、素早い手つきで作り始めた。慣れた者であった。テーブルにコンロを出して、鍋をかけ素早く材料を入れた。アット言う間に見事に出来上がった。しばらくすると炊き上がる。勝彦が作ればこうは行かない。さあー食べようかと勝彦が言う。 「いただきます」 と彼女が言った、うどんすきでワインを飲む。和洋取り合わせの楽しい食事になった。食事も終わって、一息ついて、彼女が後片付けをしながら、一度ヨットに乗せて欲しいと言った。夕方まで時間もあり、勝彦は彼女を乗せて、白浜沖を一周することにした。 「今から出港しようか、その服装では無理だな、これに着替えて」 とヨットに何時も積んでいる勝彦の着替えを渡した。彼女は 「借りてもいいの、それではお借りするわね。」 と言って着替えのために、ホクスルのドアーを閉めた。勝彦は彼女の後ろ姿を見ながらキャビンを出て、エンジンをかける。着替を終えた彼女がコックピットに顔を出したころ、出港準備も出きていた。 「これから白浜の沖まで行こうか。」 もやいを外す。外海に出ても今日は、微風で波も無く静かだった。エンジンとメィンの機帆走で走る。彼女も初めは、こわがっていたが、沖に出る頃には少し慣れて来たようだ。円月島の沖あいに来たあたりで、勝彦は彼女にラット(梶)を持たせることにした。 「ママ、ヨットの舵を持ってみるか。」 「わたし、こんなの初めてなの、うまく舵取れるかしら。」 「すぐに、慣れるよ、車のハンドルとおんなじや。」 彼女は、始めは怖がっていたが車を運転しているので、車のハンドルと同じ方向に回せばよいと解り、すぐに覚えた。車好きの彼女が計器を見て、これ何に使う物と、GPSやレーダを見ながら聞いてきた。 それに答えながら、この他にもコンパス、ログ、スピード計、デプス計、風速風向計、無線機、と説明していると、きりがなかった。しばらく走って、白良浜の沖まで来た。彼女は勝彦の説明を、理解したのかどうかはわからないが、にこにこ笑って聞いていた。波を蹴って走るヨット。そのヨットを操る彼女のスカーフで束ねた髪を、そよ風になびかせていてラットを握る姿がまぶしく見えた。艇速は六ノット、千畳敷を左舷に見て進む。この当たりは景色が良い。あまり遅くなってはと、沖合よりに三段壁を見ながらタックをする。彼女は、午後六時に店の開店支度をしなくてはと、言っていたので、元の桟橋に着けることにした。生まれて初めて、ヨットに乗ったが酔いもせず、元気に桟橋に降りた。 「どうもいろいろ有り難う御座いました。車も修理して戴いて、ヨットにも乗せて戴いて、御馳走になり今日は最高。明日お店がお休みなの。お礼に串本の方にドライブに行かない。その辺りをご案内しますわ。」 と、言った、勝彦に取って急ぐ航海でもなし、彼女の誘いを断る理由も無く、行くことにして、OKと返事をした。 「それでは明日朝九時頃迎えに来るから、待っていてね。さようならー」 と言いつつ排気音の音を残して走り去った。今夜は桟橋の向いにあるホテルに行って、風呂に入れて貰う事にした。 夕食は簡単な物で済まそうと、冷蔵庫に入れていた、ハンバーグとインスタントのスープとご飯を少々炊いて、 昼に飲んだ残りのワインの栓を開けて、一人旅の呑気さか、時間の贅沢にまどろみながら、ワインを飲んでしまった。気持ちよく酔うた勝彦の頭の中では、彼女の事が気になりだした。 「年の頃は三十四〜五才か?。俺より十二〜三は年下に見える。ひとり暮らしなのかなー、たしかマンションで一人だと言っていたなー、粋な女だ、明日は楽しみだな、何処へ連れて行ってくれるのかなー。」 と独り言を言いつつ、ほろ酔いきげんでいる内に眠くなって来た。その日はすることも無く。毛布を被ってそのまま眠むってしまった。 今朝は早くから目が覚めた。歯を磨いて昨夜炊いたご飯を入れ粥にして、味付けノリとナスビの漬物で簡単な朝飯を済ました。紅茶を飲みながら、後片付けをしていると、昨日と同じ爆音がして赤いマセラッテイで彼女が現れた。 「お早う御座います。」 と言いながら、彼女がヨットに乗り込んで来た。キヤビンに招いて、勝彦が紅茶を入れて出した。それを二人で飲みながら、彼女が言った。 「昨日はどうも有り難う御座いました。自己紹介しますわね、私の名前は十和田景子です、どうかよろしくお願い致します。」 と名乗った。勝彦も私は大阪の藤堂勝彦だと名乗った。 たがいに名前がわかると、みようなもので親しく感じる。今日も日和が良い。景子の今日の服装は、若草色のブラウスに白のスパッツを履き、スカーフで長い髪の毛を束ねた彼女は、昨日よりもいっそう、若々しく見えた。勝彦もヨットに積んでいた、グレーのズボンに紺のブレザーに着替えて、早速ドライブに行く事になり、船を降りて車に乗り込んだ。行き先は景子任せ、国道四十二号線を南の方へ走らせた、ホロを倒してオープンで風を受け、爆音を発しながら走る真っ赤なマセラッテイ、スパイダー。椿温泉も過ぎて、日置川を渡ると周参見の町並みが見えて来た。海岸沿いを紀勢本線に沿って走る。それにしてもカーブを曲がる度に開けるこの景色、走り去るには惜しいような良い景色だ。景子の運転もたいしたものだ。高浜トンネルを通り抜けると、雄大な熊野の枯れ木灘海岸が目の前に迫って来る。二人の気分は最高であった。打ち寄せる波しぶきを見ながら走ると、本州の最南端潮岬灯台の方に曲がる三差路が迫って来た。その横にあるレストランで、昼食を軽く済ました。今度は勝彦の運転で串本まで行くことにした。昨日修理したのでエンジンがすごく気持ち良く回る。 第五章 殺人事件。 |TOPへ| しばらく走っていると黒のセダンがぴったりと後ろに付いて来た。 振り切ろうとアクセルを踏む。爆音と共に車が飛んで行く、少しスピードを緩めて後ろの様子を見ながら走った。又もや先ほどのセダンがスピードを上げてきてぴったり付いて来た。勝彦も再度アクセルを踏んだ。風切り音がものすごい、メーターは見る見る百二十キロを指していた。カーブを曲がるたびに、タイヤがきしみ、キュキュキュと泣いている。ヒールアンドトーで五十Rのカーブを回った。対向車が飛んで来る。 前方は上り坂に成っている、前を走っていた二〜三台の車を一気に追い越した。道路が急に左に曲がっている、前方からトラックが顔を出した。勝彦が一揆にアクセルを踏んだ。キュキュキュと後輪が右に滑って行く、すかさずハンドルを右に切る、逆ハンで素早く交わした。目の前に飛出て来た車に、トラックの運転手がびっくりしたような顔をしていた。この車のスピードメータは二百八十キロ迄有りエンジンは十分余裕が有った。まだまだ走れるが、対向車やカーブも多いので思うように走れない。この道ではこれが限界だった。ついて来た車もスピードを上げていたが追いつくことができなかった。見る見るうちに小さくなって視界から消えて行った。あまりにも勝彦がスピードを出したので、横に乗っていた、景子が。 「勝彦さんだいじょうぶ、物凄いスピードねスリル満点。」 と言ってにっこり笑った。 「後ろに、黒い車がぴったりと付いて来てたやろ、振り切ってしもうた、ここまで来れば、追いついて来ないやろう、この車もっと走れるがこのカーブの多い道では此のスピードが限界や。」 と勝彦が言った。この辺で一休みしよと古座町にある喫茶店の駐車場へ。コーヒを飲んでしばし休憩をしていた時、先程の黒いセダンが入って来た。男が二人降りて来て、店の中に入って来る、ツカツカとふたりの座っているテーブルの横に来た。 「失礼ですが白浜の十和田景子さんですね。外に止めている赤い車、貴女の車ですね。」 と、問いかけて来た。男は警察手帳を出して。 「御足労ですが署まで同行を願います」 と告げた。勝彦は今のスピード違反かなーと思った。スピード違反は刑事には関係が無いはずだ。戸惑う彼女に刑事が言った。 「昨日白浜の交差点で、白のセドリックを運転していた相手と、トラブルに成ったらしいですね、その事で少しお話を聞かせて戴けませんか。」 勝彦は、なんの事やら分からなかった。仕方なくついて行くことにした。景子は刑事の車に乗せられて、勝彦は景子のマセラッテイで、刑事の後について串本警察に行くことにした。勝彦は昨日景子と一緒にいたが午後四時半過ぎに景子はヨットを降りて、帰って行ったので、その後のことは何もわからなかった。えらいことに巻き込まれたなーと、思いつつ刑事の車の後を追った。串本署に着いたのは午後の三時を過ぎていた。景子が、警察から出て来るのを待つことにして、筋向かいの喫茶店でしばらく考えながら、コーヒーを飲んでいたが、何の事件か聞いていないのでわからない。景子が五時過ぎになっても出て来ないので、警察に行くことにした。受付で聞くと捜査一課に案内された。一課であれば殺しに関係しているのかと思いつつ、ドアーを開けて中に入った。景子がいない。たずねると、若い刑事が今取調室で十和田さんは取り調べ中と言った。頼み込んで景子に会わしてもらう。担当の刑事より話を聞くと。彼女が、勝彦のヨットより帰りがけに、白浜バイパスの交差点で白のセドリックと接触しかけてもめたらしい、その時のセドリックを運転していた相手の男が、今朝早く串本の橋杭岩手前の空き地で、刺されて死んでいた。現場には流れ出た血で書いた、ダイニングメッセージらしい片仮名で「アカノ」と書いていた。これが景子の乗っていた車の赤色と同じなので「アカノ車の女」と書こうとしたのではないか?。と警察が推理して。景子が重要参考人として疑われているらしい。警察の調べた結果では。昨日景子ともめたのを近所のおばさんが見ていて、大事に成ってはと、警察に連絡していたのだった。警察は景子ともめていたのを最後にその男の足取りが今のところわからず、死体となって発見され。鑑識の結果。死亡推定時間は、今朝の午前二時〜四時までの間らしく。その時刻の景子のアリバイが無い。景子は閉店後、一人で自宅のマンションにいた事を立証できづ、疑われている。今の所は物的証拠が無く。状況証拠だけだった。帰して貰えないかと、担当の刑事に話したところ、あんたが身元を引き受けるなら、帰してもよいと言った。明日も引き続き、事情徴集をしたいので、もう一度出頭してほしい。必ず約束を守ってほしい。もし拒否すれば十和田さんに泊まって貰う事になる。勝彦も仕方なく、景子の身元引き受けを承知した。必ず明日出頭させますと約束をして、景子を連れて警察を出た。 第6章 素人探偵 |TOPへ| 景子は、警察を出てから明日もう一日付き合ってほしいと言った。引き受け人に成った以上ほって行くわけにも行かず、勝彦は付き合うことにした。日帰りのつもりが、とんだ事に成ってしまったと思った。 明日出頭しなければ成らないので。近くのホテルに泊まる事にし、部屋を取った。部屋に入り、ゆかたに着替えて勝彦が、ひと風呂浴びて部屋に戻ると、景子が泣いていた。見ぬ振りをして風呂に行くように言った。ひよんな事で、とんでも無い事に巻き込まれるものだ。殺人事件なんてテレビか小説の世界かと思っていたが、わからないものだと勝彦は思った。しばらくして、景子が風呂から上がって来た。景子の話では、昨日ヨットからの帰りがけに白浜バイパスの交差点で衝突しかけた相手の男は、車を降りて来て景子に文句を言って、五分ほどしてすぐに立ち去った。ただそれだけだと言った。女中が、夕食のお善を運んで来た。差し向かいで箸を取る。勝彦は知らない土地で、知らない女と二人して、まして事件に巻き込まれながらの食事は、味わって食べると言うよりも、頭の中が事件の事で一杯だった。重苦しい時間が過ぎて行く。女の素性もはっきりせづなにもかもわからず気が気ではない。ただ白浜の【スナック景】のママで名前は十和田景子と言うことだけだった。景子は本当に殺していないのか?〃。刑事の言うように殺してしまったのか?〃解らない。わからない事だらけだ。ともかく今は景子を信用するしか無いと、勝彦は心に決めた。昨日まで知らなかった。男と女がホテルの一室で、向かい合って飯を食いながら酒を飲んでいるが、気持ちがすっきりせづ、酒が苦く感じる。飲んでいるうちに少し酒が回って来た。 そんな勝彦の顔色を見てか、景子がポツリポツリと身の上話をし始めた。彼女の生家は。秋田県で地元の高校を卒業して、その後大阪の短大に入学そして短大を卒業しその後、大阪のある商社にOLとして入社しばらくして、同じ商社の先輩で、出身地が同じ秋田の平岡和彦と言う男性と郷里が同じだった関係から恋愛をして、その後結婚。しばらくは仲良く暮らしていたが、性格の不一致が原因か?。子供が出来なかったせいもあって、家庭内離婚が続いた後、結局離婚。その後大阪でアルバイトなぞをして一人で暮らしていたが、会社に復帰し勤めようと思ったが、数年のブランクが有り就職先もなかなか無く。このまま故郷へ帰ろうかと思った時に。短大時代の友人に白浜に来ないかと誘われて、その友人を頼って彼女の故郷の白浜へ来た。なんの経験もない素人の私が半年前にその友人の勧めで、スナックのお店を始めて、今は一人で暮らして居る。と景子は目に一杯の涙をためながら、恥ずかしそうに、とぎれとぎれの小さな声で、勝彦の方を上目使いに見ながら、身の上話を語った。 そんな弱々しい景子の姿を見ながら、勝彦が黙って聞いていた。 「この土地で頼れる人は短大の友達だけ、他に頼れる人もいないし、そんな私が、交差点で、もめ事起こして喧嘩をしても、見ず知らずの男性をいくら腹が立ったからと言って、殺す理由なんてなにもないもの、まして女の力で殺せる訳が無い。警察にいくら言っても、解って貰えないの、頼れるのは勝彦さんだけなの、私と知り合ったのも、何かの縁や思うて、力を貸してほしいの、初めてお会いして、見ず知らずの私の身元まで引き受けて戴いた上に、ご無理でしょうがお願いします。」 涙を溜めて一人暮らしの寂しさからか、他に頼れる者もいなかったのか、勝彦にしなだれかかってきた。勝彦も話を聞いているうちに、そんな景子を哀れと思い、そっと肩を引き寄せた。 「わかった、俺の出来る限りの事はしてやろう、景子もう泣くなよ、なんにも心配せんでもええ、俺に任せとけ」 と勝彦は抱いた手にを力を入れながら、可愛い女に泣きつかれ、男としていやとは言えず勝彦も力になってやると言ってしまった。酒の力も手伝って、そんな男女が恋に落ちるのも時間がかからなかった。 第七説 京都へ。 |TOPへ| あくる朝。串本警察に景子は出頭。勝彦も同行することにした。取り調べ室で現場写真と、死体の写真と乗っていた車の写真を見せて貰った。京都ナンバーの白のセドリック。どこにでも有る普通の車だ。ふと見ると写真に写っている、車のウインドより見える、鵜戸○○と書いたお守り札、それと左フエンダーの小さい凹み。もう一枚の写真には、血だらけの後部座席に被害者が寝かされていて、前部座席の背もたれに(アカノ)と縦書きで書いた字が写っていた。被害者の名前を聞いても(大山)とだけ。その他は一切教えてくれなかった。いつまでも景子を犯人扱いにしている警察に、勝彦も少し腹が立って来た。昼前まで調べられていたが、何も証拠が出てこないので、後日連絡が取れる事を条件に、いったん返される事になり、二人で警察を後にした。あまりにも景子が可哀想になって来た。こんな気分に成ったのも一夜を共にしたせいかもしれないと勝彦が思った。 「よし景子我々でこの殺人犯を捜そう。そしてお前の疑いを晴らしてやる。」 「勝彦さん力に成ってくれるのね、私の疑い晴らしてくれるのうれしい。」 「ここまで来れば一身胴体や、俺に出来るだけの事はしてやるよ。」 勝彦は心に決めて言った。二人で話し合った結果、串本警察で知り得た情報を、勝彦の昔の知人で今は大阪府浪速警察に勤務する小林氏に連絡。事件の事情を話して、串本警察に手を廻して、勝彦たちの知らなかった情報を入手する事にしてホテルの方へFAXをしてもらう事にした。その手掛かりを元に、自分たちで捜査をすることにして。再度ホテルに戻った。しばらくすると、小林氏よりFAXが流れて来た。被害者は京都市左京区大原に住む大山憲。年齢四十一才妻子もおらず、現在の職業は金融関係の仕事をしているらしいが、暴力団員との付き合いもあり、現在事実上仕事をしているようなようすは見られず。本籍は山口県宇部の方で、高校時代は野球が上手で大阪の浪速高校に入学していたらしい。住所も今まで転々と変わっていたが、現在の住所は三年前の春頃に移り住んで来た。FAXの内容は、このようなものであった。 「景子、今はこれだけの情報だけしか無いが、大山の住んでいた所を探しに、まず京都に行って、大山の住所から当たって見よう。」 「そうねえ、勝彦さん、一緒に行って、私の無罪を晴らしてね。」 と景子は勝彦の手を握り締めた、二人でどれだけの事が出来るのかやってみるしかないなーと顔を見合わした。 「乗りかかった船やー、いやいや乗ってしまった女やー。」 と勝彦は冗談を言いった。そばで景子も笑った。ふたりで夕食を済ます。一夜を共にした男と女。より一層の親しさが増して、二人の心の愛情に、火がついた。 「今夜も勝彦さん思いっきり愛して、離さないでお願いよー。」 と酒が回って来たのか、ほんのりと目の縁を赤く染めて、ほほ笑んだ。景子の目には安心したのか、はや涙も無い。洗い髪を束ねた襟足の、白いうなじに絡まったほつれ髪を見ていると。彼女の色香が男心をくすぐった。勝彦が、景子をより身近に感じ、昨夜よりもいっそう、愛うしくなり、ぐっと抱きしめたくなる、気持ちを抑えた。景子は勝彦の方へにじり寄って来た。勝彦は景子の腰に手を回した。 「景子今夜は思いきり可愛がってやるからな。」 と言いつつ、唇を押し付けた。そんなふたりの愛情が、ぶつかり合ってめらめらと燃え上がって行った。夜が深けると共にふたりには言葉が要らなかった。串本の夜空は美しく。今宵一夜の幸せを祈りつつ。夜空一面に星屑が散らばって上弦の月が輝き、薄暗くなった部屋の中の男女の影を照らしていた。 朝早く起きて、朝飯もそこそこにマセラッテイのエンジンに火を入れた。京都まで約三二〇キロの道のりだった。一度白浜に立ち寄って着替えを取って、電話で串本の警察に連絡し、勝彦の携帯電話の番号を知らしておいた。 景子の店によく来るお客さんで、漁師をしている春木さんにヨットの守を頼んでおき。再び勝彦と景子は本格的に名探偵(迷探偵)に成った気分でエンジンに物言わせ、四二号線を北進した。天気は昨日より薄曇りであるが5月半ばにしては暖かかった。田辺市を通り過ぎて日高川を渡り、湯浅町より海南湯浅高速道路に入った。下津トンネルも通り過ぎ、阪和高速に乗り継いで入る、此処からは大阪府だ。海を見ると、泉佐野の沖合の関西空港が見えて来た。エンジン回転三〇〇〇回、時速百三十キロぐらいで走っていた。これ以上スピードを上げればオープンで走るのは無理なようだった。心地よい風が頬を撫でる、近畿自動車道へ乗り継いで、車は吹田インターより名神高速に入った。午後1時。京都南出口を出て、鳥羽大橋を渡り北に走る。ドライブインで昼飯を取り、余りにも気分が良かったので、景子も勝彦も犯人探しなぞは忘れかけていた。一号線の突き当たりは、いにしえの京の都の入り口に五重の塔で有名な東寺の前を右折し、鴨川大橋を渡って左にカーブしばらく行くと。通し矢で有名な三十三間堂が左に見えた。八坂神社を右に見ていると、この辺りの古都の風景に。景子に和服を着せてぶらりぶらりの見物や、そぞろ歩きも良いものだと、勝彦が思った。しばらく走ると、踏めば昔が懐かしい鴬張りの長廊下で名高い知恩院も過ぎて、高野橋の手前を右に国道三六七号線を高野川沿いに走った。前方に、これより二キロ三千院の標識があった。大原女で有名な、大原に着いたのは午後三時であった。勝彦はこの辺りも、昔の面影が少なくなり、近代化して変わったなーと思った。早速(大山 憲)の住んでいたマンションをあちらこちらと捜し回って、たづねてみたが、大山は近所の付き合いも少なく、マンションの管理人にも会い聞いてみた。管理人の話では、昨日も警察の人が聞きに来たが、詳しい事はあまり知らないと言っていた。仕方なく帰ろうとした時に、大山の部屋の隣の人が帰ってきたので、聞くことにした。 「すみませんが、隣の大山さんに付いておたずねしたいんですが。」 と勝彦が声をかけた。年のころは四七〜八才ぐらいの、少し小太りのした女だった。 「わたし大山はんと、お付き合いしたことあらしまへんどすえ、一昨日、大山はんの郵便物が、間違って家にはいっておましてな、渡そうと思ってましたんやが、ここ長いこと大山さんのお顔を見たことおまへんのや」 「すみませんが、その郵便物見せてもらえませんか」 「ほなしばらく、待っておくれやすや。」 と言いつつ部屋に入って行って持って来た郵便物。 「これどすわ、これ入ってたんどっせ」 見ると。大山の高校の同窓会の案内状だ。日時を見ると明日だ。会場は大阪のロイヤルホテルに成っている。勝彦と景子は顔を見合わせて、これで何か掴めるかもしれないと思った。 「お手数をお掛けしまして。どうも有り難う御座いました。」 「いえいえ、お役にお立ちでおましたか、ほんなら失礼いたします。」 と隣の女は言った、勝彦と景子は、お礼を言って立ち去った。京都まで来て、手に入れた手掛かりはこれだけだ。 「景子、同級生と逢えば大山の友達もいるしなんらかの手掛かりが、掴めるかもわからんなー。」 「勝彦さん、これからどうするの、大阪へ行くの。」 「そやなー、今から案内状に書いてあった会場の、ロイヤルホテルへ行こう。景子ロイヤルホテルに今夜泊まれるように予約の電話しとけやー。」 勝彦は串本警察にも電話して。今夜の泊まる所を伝えて、早速大阪へと引き返した。京都で時間を経ったので、 大阪市内に入った時は暗く成っていた。その日はすることも無く、ホテルに一泊した。 第八章 ヨット友達と会う。 |TOPへ| この日は、大山達の同窓会は午後一時開会だった。時間つぶしに。前々からほしかった、ヨットのシートを買いに、中村船具に景子と一緒に行つた。十_のシートを注文。横を見ると懐かしい顔。よく一緒にヨットに乗ったことのある鈴本がいた。 「久しぶりやなー、元気にしてるか。」 勝彦が声をかけた。彼も驚いて懐かしそうに話しかけて来た。彼は今でも独身で、相変わらずヨットで暮らしているのだった。景子を見てうらやましそうな顔をして、紹介せよとせがんで来た。中村船具を出て彼を誘って、お茶でも飲もうと三人で喫茶店に入った。鈴本は手製のシーナイフを見せた。 「今こんなの作って売っているんや、久しぶりに会ったのでこれを進呈するよ。」 と言って、勝彦に渡した。景子を鈴本に紹介し、今までのいきさつを手短に話した。聞いていた鈴本がしばらく考えていて口を開いた。 「大山なー………、大山 憲、どこかで聞いた事のあ名前やなー…、あの時の大山と違うのかなー…、あっ思い出した。間違いない。」 聞いていた、勝彦と景子が大山をしっていたのかとびっくりした。 「鈴本、確かに大山 憲を知ってんか!。」 鈴本がボチボチと思い出しながら話し出した。 「俺の知っている、大山 憲と同じ大山か、わからんけど大山やったら知っている。十年ほど前に、瀬戸内海ヨットレースと言うのが有って、わしらの乗った船が準優勝してクルー四人と一緒に、浪速区のある居酒屋で。祝杯上げて盛り上がっていた時に、隣の部屋でいた男としょうも無いことで喧嘩になって、その時の相手が確か大山 憲と平岡和彦と坂本輝雄の三人や、その時警察で調べられて同時に大山らも調書書いたから間違いない。」 勝彦も景子も驚いて声も出ない。平岡和彦は景子の前の夫だった。 「世の中わからんもんやな」 と顔を見交わした。その時の話を鈴本に詳しく聞いた。三人は高校の同級生で飲みに来ていたらしく、この喧嘩でお互いに、警察に引っ張られて、こっぴどくしぼられたらしい。 「わたしそのころ和彦と結婚して2年ほど過ぎたころよ、そう言えば、和彦が2晩も家を空けて帰って来た時に、顔が傷だらけになっていたので聞いてみたことが有ったの、そしたら和彦が、何でも無い、酒に酔っぱらって転んだんやと、言ったけど、その時の喧嘩の相手は鈴本さん達だったのね、わからないものね、それで串本で殺されていた大山さんが、和彦の同級生だったやなんて知らなかったわ。」 「景子ひよっとして、殺したのは前の旦那や坂本と違うんか?。景子お前、大山や坂本の名前を聞いて忘れてしもうてんと違うか。」 「勝彦さん、和彦から聞いたことないわ、知っていたら今までに思い出しているわ。」 と景子が言って、三人で顔を見合わして声をひそめた。 「景子今日の同窓会に前の旦那の和彦や坂本も来ているかもわらんな。」 手掛かりが又一つ増えてきた。 「鈴本さんどうも有り難う御座いました。」 景子は鈴本に言った。二人は鈴本と別れてホテルに帰って来た。 ホテルの同窓会の受付の見える所に隠れて二人の迷探偵の張り込みが始まった。受付時間も終わりになる頃、景子の以前の夫和彦が姿を現した。其の姿を見た景子が近づいて行く。勝彦が柱の陰で見ていると彼が振り向きびっくりして景子やないかと言ている。しばらくして、大山の事を聞きだしている様子だった。勝彦の方までは話し声が聞こえず、何を話しているのか分らないが、なんとなく気配で景子が和彦を問い詰めているようだった。こちらから見ていると、和彦が受付の同級生から写真ブックのような物をもらって来て景子に渡していた。それを貰って景子は勝彦のいる所に帰って来るのを見て、和彦が勝彦を見ながら会釈をした。 「勝彦さん、これ和彦の野球部当時の写真もらって来たわ。」 「そうか、大山や坂本が写っているんやな、後で見てみよう。」 景子の話では、大山が殺された事を和彦に話したが、大山の事は知っていて、あまり驚かなかった。昨日彼の所にも警察が来てアリバイを調べて行ったらしい。大山は詐欺まがいの仕事をしていて、暴力団にも付き合いがあったらしく、いつかこのような事にならないかと和彦も思っていたそうだ。当時の野球部以外で大山の付き合っていた人らの事はなにも知らないらしい。和彦もずいぶん久しく大山と会った事が無いと言っていた。 昨日警察にも其のような事を聞かれたと言っていた。和彦が勝彦の方を見てあれは今の旦那かと聞いたそうだが、今警察に疑われていて、私を付けて来ている、和歌山の刑事さんだと話した。勝彦は、それでこちらを見て彼が会釈したのだと思った。 「景子、俺いつのまに和歌山の刑事になってしもうたんやー。」 「勝彦さんと私の関係、ほんとの事言うても信用してもらわれないし、私と貴方、誰が見たって夫婦か恋人にしか見られないもの?。」 景子は勝彦の顔を見て、笑いながら続けた。 「和彦のことですもの、彼氏です言うと変な目で見られるし、又嫌みの一つでも言われるといややもん和彦に未練はないし、好きなのは勝彦さんだけよ。」 「景子ほんまやなー、こんなところで三角関係に成るのはごめんやで、ややこしい話しにならんように、言ったんやなー。」 「勝彦さんの事、刑事やと言うたら、和彦信用しているたみたい」 「にわか刑事になってしもうたなーそんなことはともかく、どうなったんや」 景子から、くわしく話を聞くと、和彦と大山は高校の野球部で一緒に野球やっていたメンバーで、これがその当時写した写真だと見せられた。その写真は高校の野球部で皆んな丸頭で若くて二〇名ほど写っていて、どれが大山か分からない、二十二年前の写真だが、その下に小さく名前が書いてあった。くわしく調べる事にして、ふたりで部屋に戻った。 「景子この写真の中に誰か、大山を殺した奴がいるかもわからんなー。」 と二人で、写真を見ていると、大山 憲、坂本輝雄、平岡和彦、赤井 明、下田良雄、北野政雄、・・・・・と名前が書いてあり、それを見ているうちに何故か、赤井の名前が気になって、赤、赤、と考えているうちに思い出した。串本警察で見た血文字の写真。 「景子警察が言っていた、血文字の(アカノ)あれは赤井の間違いかも………片仮名で(アカイ)と書こうとして(アカ)ノに立て一を引こうとした時に、息を引き取ったのとちがうか?。赤井の住所を前の旦那に聞いてこい。」 早速景子が電話で和彦を呼び出して聞きに行く。景子にたずねられた和彦は。 「赤井の住所はわからない。ちょっと待って、だれか知っているかも知れないから同窓会の皆に聞いてくる。」 と言って去って行った。しばらくして和彦が言うにはみんなに聞いてもわからず、よく一緒にいた。坂本に聞いても現在付き合って居る人もわからんらしい、十年前までは住吉で住んでいたが、その後引っ越したらしいが現在連絡もなく、今回の同窓会の連絡も大山に二年前に合った野球部以外の同級生が覚えていてはがきを出したらしいがその後、誰も会っていなくて彼の本籍は皆しらないらしい。と景子が聞いて来た。仕方なくこれから浪速高校へ行って赤井の本籍を調べに行こうと。ホテルを飛び出した。 学校についたのは午後五時を少し過ぎていたが、学校に残っていた先生に写真を見せてこの(赤井 明)の本籍を聞いてみた。先生の話では、当時九州から入学してきて、住吉のアパートで一人で生活をしていたらしい。十年前頃は野球のOBの集まりで時々顔を出していたらしいが、その後見たことも、うわさを聞いたことも無いといった。 本籍地については入学名簿に載っていると思いますが、校長先生の許可が要りますので、明日にでも出直して来て下さいと言った。 第九章 謎解き。 |TOPへ| この日はあきらめてホテルに戻って来たが、なんとなくあきらめ切れない、二人何かもやもやしたものが心に残る。 「勝彦さん、明日もう一度学校の方へ行って、校長先生に理由を話て、入学願書を見せていただこうか?。」 「景子、校長先生は我々に見せてくれるかなー、個人のプライバシーにかかわる事なんで見せてくれないかもな?わからんけどな。」 「勝彦さんそうやろか?そしたら前の住所の住吉に行ってみる?何か手掛かりがあるかも。」 と景子は言った。しばらく考えていたが、そうだ警察で見た車の写っている写真を勝彦が思い出した。あの写真の何枚かの中に、鵜戸○○のお守りらしい物が写っていた鵜戸○○、何処かで聞いたような、見たような気もした。 「景子警察で見た写真の中の一枚に、写っていたお守り。あれは九州の宮崎県に有る、鵜戸神宮のお守り札かもしれん。」 「勝彦さん、それほんと見たことあるの。」 「そう五年程前、九州の日南の方へ妻と旅行して鵜戸神宮へ行った時、売っていたのを見たような覚えがあるんや、あのお札によう似ていたように思う。」 「勝彦さん奥さん連れて九州へ旅行いったん、うらやましいなー。」 「そんな、うらやましそうな顔するな、景子お前焼いてんか、焼いてる場合とちやうやろ。」 「ごめんなさい。だって私勝彦さん好きやもん、少しは焼けるはよ。それであのお札九州の鵜戸神宮のお守りなの、ほんとに見たの間違いないの。」 「あのお守り、宮崎にある鵜戸神宮のに間違いないと思う。」 犯人が赤井であれば、出身地が九州だと学校の先生が言っていた。同じ野球部で一緒にいた中間で(大山)と接触が有り(赤井)から、鵜戸神宮のお守りをもらった可能性が高いと勝彦は思った。 「景子、明日は九州の宮崎に飛ぼう、航空券の手配をホテルに頼め、事件の先が見えて来たで。」 さっそく景子は航空券を頼んでいたが。しばらくして、フロントより電話で航空券は売り切れて無いとの事。 それではこれからフエリーで行こうと、ホテルをチエックアウトして大阪の南港に二人で向かった。 第十章 九州へ |TOPへ| 午後八時出港の南九州行きのサンフラワーに車と共に乗り込んだ。船のラウンジで夕食を取り、勝彦は情報を提供してくれた。小林氏に電話して今までの経過を報告する。串本の警察も和歌山県警に合同捜査本部を置いて捜査中、被害者大山は大阪の暴力団とつながりがあり、現在足取りをたどっていて、殺された前日の午後十時頃。周参見の飲み屋に同年配の男性と立ち寄ったらしい事が分かったらしく、現在この男の人相を割り出して、聞き込み捜査中、ダイニングメッセージの(アカノ)となんらかのつながりを持っているものと思われ、 その男性を手配をしているらしい。との情報をもらって、事件と景子との関連が薄れて来たことで一安心した。 「新しい展開に成ったら連絡下さい。」 とお願いをして電話を切った。小林氏の話に出てくる、周参見で見かけた男が、もしかすれば赤井かも知れない。串本の警察もあせっているなあーとも思った。景子や勝彦にも意地があった。ここまでくれば、警察より先に犯人を探してやろうと、話し合った。勝彦が、海を眺めているうちに、ふと白浜に係留している自分のヨットが気にかかった。 「景子、春木さんに電話してヨットが大丈夫か確認を取ってくれ。」 景子が早速電話をした。漁師の春木さんにヨットのことを聞くと。 「毎日、漁に行った時、見ているが異常は無い。今日も見に行ったと言っているわ、安心して。」 と、景子が言った。勝彦もまずは一安心と、船に揺られて明日のことを考えながら眠りについた。景子も警察が自分に疑いを持っていたのが、他の容疑者に向いたのでほっとしたらしく、すやすやと眠っていた。東の空が明るくなりかけた頃、宮崎の日向港に船が着いた。早速写真に写っていた、お守り札を確めるため、宮崎市内を通り過ぎ、日南海岸を南下した。勝彦は五年前妻と一緒に来た時は、同じ日南海岸を、車で走って鵜戸神宮を参詣し、都井岬や佐田岬を左に眺めて岬を回り、鹿児島湾に入り。櫻島やら指宿を旅した事を思い出して走っていたが、ふと昨夜景子に、やきもちを焼かれたことを思いだし、苦笑いをかみ殺した。 宮崎の観光地で有名な青島や鬼の洗濯岩を左にみて早くも目的地の鵜戸神宮に着いた。勝彦は懐かしさで、眺めていたが、御参りもそこそこにお守り札を見て廻る。あった・・・写真に写っていたお守と同じものが売っていた。 「景子、これやこのお守りに間違いない。」 「ほんと、これやね、写真に写っていた、あのお守りと一緒やね、勝彦さんの勘当ったのね、ここまで来てよかったわ。」 と景子が喜んでいた。取りあえず同じお守りを買って、写真に写っていたお守は(赤井)が買って大山にわたしたものか、(大山)が(赤井)に会いに来て鵜戸神宮で買った物か分からないが、事実、大山の車にぶら下がっていたものと、おなじものだった。これで大山と赤井のつながりがはっきりした。(赤井)の住所を調べる為。今来た道を引き返して宮崎の市役所に行く事にした。住民課で(赤井 明)の住民票を取ってみた。やはり赤井は宮崎の出身だった、十年前に故郷の宮崎に一度帰って来ていたが三年前に転出していて、現在ここにいない事がわかった。勝彦も景子もがっかりしたが、気を取り直して、住民票で以前三年前まで住んでいた所番地を調べようと、あっちこっちと捜し廻って、着いた所に、新しいビルが建っていて、ミヤザキ電気サービスの看板が上がっていた。 店の亭主に以前住んでいた赤井明に付いてたづねてみた。亭主の話によると、三年程前に隣から火が出て、以前住んでいた赤井さんも類焼で焼けてしまい、この土地も元は赤井さんの持ち物やったが、現在このビルの持ち主の和田さんに土地を売って、どこへ行ったかわからないらしい、くわしい事は二軒目の家の和田さんとこで聞いてみなさいと教えてくれた。お礼を言って勝彦と景子は早速和田さん宅の玄関のベルを押した。 「後免下さい、私は大阪の藤堂と申しますが以前住んでいた赤井さんの事で少しお聞きしたい事が有りますので、お願い致します。」 しばらくして、和田さんが出て来た。年のころは六六才前ぐらいだった。 「大阪から遠いところご夫婦で、赤井さんをお尋ねでおいでですか、赤井さんは、若いころ大阪で住んで居た時のお知り合いで御座いますか。」 ご夫婦ですかと言われて、勝彦も景子も苦笑いをした。まあお上がりと、和田邸の座敷に通されて、挨拶もそこそこに、たづねてみた。 「早速ですが、赤井さんについて、おたずねしたいんですが。」 と切り出した。しばらく聞いていた和田さんが赤井について話しだした。 「三年程前に、赤井さんの隣から火が出まして、赤井さん所も運悪く類焼で焼けてしまい、その後赤井さんが困り果てて、土地を私に買ってほいしと言ってきたんでず、私もしばらく考えさしてほしいと赤井さんに言っていたんですが、ところが数日後、また赤井さんが来まして奥さんの遠い親戚が和歌山に居てまして、一家揃ってその方を頼って行くので是非お願いしますと頼まれまして、此れも人助けに成るのならと買うことにしたんです、手続きも済ましてその数日後一家で引っ越して行きなはったとです。」 勝彦がすかさず聞いた。 「和歌山のどちらの方面や知りませんか?。」 「そうですなー、そうそう温泉の有る、白浜とか言うとりました。」 「景子、白浜やったら同じ町やろ、わからんかったんかなー。」 「和田さん私たち、事情が有って赤井さんを探してますのんや、赤井さんの写っている写真か、 何か有りませんか。」 「みんな焼けてしまって、残っているものは何も御座いません。」 「ほんなら赤井さんの特徴でも分かりませんか。」 「うーん、特徴なー」 和田さんが、しばらく考えていたが。 「そうやね、特徴と言えば火事の時、右足に怪我をして、少しびっこを引いてましたがそれも長いことなりますんで直ったことやら。」 「ここでの仕事は何をしてましたんやろ。」 「親父さんが魚屋してまして亡くなって後を継ぐために、十年ほど前に帰って来て、同じ魚屋さんで繁盛してましたが、人の災難はわからんもんでおますな」 「そうですか、親父さんの跡を継いで魚屋さんしてたんですか、どうもいろいろ有り難う御座いました。」 和田さんにお礼を言って早々に引き払う。車の中で景子が言った。 「勝彦さんここまで来てついてないわ赤井さんに会えないなんて。」 「そんなことは無いで赤井 明は景子、お前と同じ白浜にいる事がわかったんや、それだけでも儲けもんや、それらしい人しらんか。」 しばらく考えていた景子は、思い出したように言った。 「勝彦さん、初めて勝彦さんが私の店に来た時、栄寿司によって来たって言ってたでしょう。」 「うん、あの寿司屋の名前は栄寿司て言うのんか、店の名前しらんかったけど、それがどうかしたんか景子。」 「勝彦さん、うちのお客の漁師の春木さんの話やと、栄寿司のご主人時々魚を買いに来て、元は魚屋さんやと言っていたそうよ。」 「ひょつとしたらひょつとするなー?、三年ぐらい前からやってんか、調べる必要あるな、魚屋してたんやったら、寿司屋も出きるかもなー、これからトンボ返りで今夜の船に乗ろう、今なら出港時間にまにあう、さーもう一息や力落さんと走ろうや、船に乗ったらゆっくりできるし。」 「そうやねー勝彦さん、あっちこっちとつき合わしてごめんね。」 と景子が言った、エンジンの音も高らかに、勝彦と景子が宮崎を後にして、和歌山へ帰ろうと車をフエリー乗り場に走らせた。 第十一章 再び白浜へ。 |TOPへ| 日本カーフエリーの中から、景子が店の女の子に電話をしていた。 [もしもし、連絡せんと後免ね、明日帰るから、あれから店開けてくれてる(………… 、)うん、(………… 、)そう、ところで、栄寿司のご主人、店開けているの、(………、)開けているの、間違いないのね(………)明日必ず帰る、美保ちゃんお店よろしくね]。 「勝彦さん栄寿司、開けているそうよ、それじゃ栄寿司のおやじさん、赤井さんじゃないのかしら?。」 「そうかそれやったら、わからんなー、とにかく小林さんに電話する。」 と勝彦が受話器を取った。小林氏に九州での出来事を報告した。 小林氏の話では串本警察の捜査内容は、周参見で見かけた大山と一緒にいた男の似顔絵を作って各署に配ったらしい、今のところは重要参考人として手配中、勝彦らの助言は串本警察の方へ連絡しているとの事で、そちらから串本警察へ電話して、現在までの経緯を話せばとの事、担当刑事は山本警部補で有ると言っていた。早速山本警部補に連絡をして、明日昼頃、和歌山県警で逢う事を約束した。 船に乗ってしばらくすると、小雨が降り出した。フエリーのラウンジより見る、土佐桂浜の町並みは小雨に煙っていた。白波に夜光虫の輝きを見ながら、仲良く二人で座っていた。小雨交じりの波の音を、聞いていると、づいぶん昔から知り合って長い交際をしているような気分になってくる、そばから見ると仲の良いアベックか夫婦に見えるが、変な事から一緒に成った変なアベックとはわからない。 「勝彦さんひよんな事から一緒になってこんな事件に巻き込んで、ごめんなさい、ご迷惑をかけたわね。」 「景子、これも乗り掛かった船やと言うたやろう、いまさら気使うことない、まかせとけて言うたやろ、身元引き受け人やしなー。」 「それでもご迷惑かけたもの。」 「心配せんでも大丈夫や、明日に成ったらすべて終わっているやろう?、ところで景子、白浜で栄寿司のおやじの他に、赤井らしい男、見かけた事有るか?、年は四十二〜三で、元は魚屋と言うていたし、九州から出て来て、魚やしている男わからんかなー。」 「勝彦さん、私も白浜へ友達頼って来て、店を出してからまだ間もないし、店に来るお客さんぐらいしかしらないし、帰ってお友達に聞いてみるわ、彼女だったら知っているかもしれないし。」 「景子の友達か春木さんやったら知っているかも分からんしな?。」 「さいしょから解っていればこんな苦労をしなくって、済んだもの。」 「とにかく帰って、県警へ行って事件の成り行き聞いて見よう。」 「そうと決めまれば勝彦さん、今夜一晩なんにも考えんと豪華にやろうね」 「そうしょうか、船は帆任せ、帆は風任せ言う確言もあるし。風で走るヨットも一緒や、これから豪華に、ぱぁーと行きまっか。景子はん、たよりにしてまっせ、とかくこの世は成り行き任せや。」 「勝彦さん、船は帆任せと言うけれど、私はなにもかも貴方の心まかせなの」 と言いつつ景子は勝彦にしなだれかかって来た。アベック迷探偵珍道中も最後の夜を迎え、やる事はやったと言う満足感で、勝彦と景子は豪華客船の特別室では無いが小雨に煙る土佐の山々の夜景を眺めながら、気分だけが豪華に盛り上がって行った。朝方には昨夜の小雨も晴れ上がり五月晴れに成っていた。南港より下船した景子と勝彦は、ガソリンスタンドで燃料を補給して、時間つぶしに車を洗い、小林氏の勤務している浪速警察に立ち寄って、九州での出来事を報告し、お礼を言って警察を後にした。勝彦と景子の乗った車は阪神高速を乗り継いで阪和高速に入った。 五月の鯉の吹きさらしでは無いが風を切って走る。スパイダーは気持ちが良い。紀ノ川寄りのドライブインで、少し早めの昼食も済まし、山本警部補の待つ和歌山県警の駐車場へ。 早速山本警部補に面会することにした。山本警部補は和歌山県警勤務である、背が高かく、髪の毛が薄いが六十才前半のように見える、和歌山生まれのゆっくりした物言いのおとなしそうな人物だ。勝彦と景子を見て、どうぞこちらへと応接室に通うされて、お茶が出されてた。 「浪速署の小林警部補の知人だそうですなー。」 と口を開いた。 「あんたらよう調べてくれたのう、浪速署の小林さんから聞いとる。」 「警部補はん、あんたらこの景子を犯人やと思うて、二日も、証拠もないのに、引っ張りまわして、景子の無実をはらさん為に、わしらえらい金と時間の浪費だっせー。」 「そらえらいすまん事したの、そやけんど血文字の(アカノ)が(赤井)やとは、俺らも、わからんかったもんやでのし。」 「警部補はん、私らなんにも赤井と言うているのと違いまっせ、もしかすると(赤井?)や無いかと言うてますねん、赤井が犯人やと決めつける、証拠でもあったんでっか?。」 「いや今も、周参見を中心に聞き込み捜査している最中やがのう、まだ名前もわからんじょうたいなんじやがの、これで助かるわ。」 「警部補はん、目撃者に聞いて似顔絵書いて貰ったと言うてましたな、私らにも見せてもらえまへんか。」 「ちょつと待っといてんか、これや、この顔やで。」 と警部補が持って来た似顔絵を見て、景子がびっくりした。 「この顔、やっぱりあの栄寿司のご亭主によう似ているように思いますわ。」 勝彦も警部補も顔見合わしてのぞき込んだ。 「勝彦さん、この顔ようにてるんとちがうやろか。」 景子に言われて、手に取って見ると良くにていた。 「間違いなさそうやの、よう似てるんかのし?、この顔にまちがいないんかいのう、よっしゃわかった。栄寿司のおやじの名前赤井 明かどうか、調べたらすぐにわかるで、時間の問題やなあ。」 警部補は、すぐさま全パトカーに指令を出した。勝彦と景子の顔を見ながら、山本警部補が言った。 「事件の事で、大変ご迷惑をお掛けしましたのし。又ご協力有り難うさんでした、今後の事は警察に任せといて下さい。」 と言いながら、警部補は深く頭を下げた。 第十二章 犯人?。 |TOPへ| ほっとした気持ちで、勝彦と景子は和歌山県警を後にした。勝彦と景子は、今までのことがなにも無かったかのように、串本へ行った時と同じような気持ちで、阪和高速を降り国道四二号線を南に車を走らせた。 日高川あたりに差しかかるころ、景子は以前白浜の友達に、歌舞伎の娘道成寺の舞台はこの日高の道成寺の物語だと、聞いたことがあった。 恋しい男の安珍が、この和歌山の道成寺に居ることを知って、安珍を追っかけて来た清姫が、安珍に会いたい一心で、この日高川を大蛇になって泳いで渡った。大蛇が清姫の化身だと、夢にも知らない安珍が大蛇から我が身を守るため、大釣り鐘の中に隠れて居るところ、自分が大蛇に化身した事がわからずに、恋しい男に逃げられたと思い、狂い狂った清姫が、安珍が心変わりをしたものと勘違いして、大釣り鐘に巻き付いて、恋しい安珍焼き殺す。道成寺の伝説を思い出した。白浜に着けば勝彦との別れが待っている。清姫ではないがこのまま勝彦と離れたくないそんな景子の心が痛んだ。 「勝彦さん白浜に着けばお別れね、きっと又あってくださるわねこの四〜五日で勝彦さんをほんとに愛してしまって忘れられないの」 「景子それは俺もおんなじや、このまま車を走らして、どこまでも走り続けて行きたくなる。別れの気持ちはおんなじやー。」 いつまでたっても名残はつきないと、気を取り直して南部町に入って来た。田辺湾の湾岸沿いにそって走っていると、初めて景子を見かけた、あのレストランが見えて来た。景子も思い出したのか。 「ここで私、勝彦さんに見られたのがきっかけやったんやね。」 「俺も今そのこと考えてたんや、男女の出会いはわからんもんやな。」 「そうよね、私の車の赤い色がつながりね、私たちの縁は、赤い糸で結ばれなくって、赤い車で結ばれていて近代的かもね。」 景子の言葉を聞いて、勝彦は無言のままうなずき、別れを意識して黙り込んでいた。白浜の桟橋に係留しているヨットが気になり、景子に送ってもらう。景子も店が気掛かりかそのまま帰って行った。 勝彦も明日は、出港しょうと準備にかかる。燃料も入れ、食料も調達、夕食の支度をしている時に、パトカーが連なって、温泉町の方へ走って行った。勝彦はこれで事件も解決しと思った。その時、漁師の春木らしい 人が来た。 「スナック景のママより電話有ってのし、帰って来たからと言うとったんで見によったんやがの、ヨットちゃんとしとったやろうがのう」 キヤビンから顔を出して勝彦が声を掛けた。「春木さんでっか?えらい無理頼んですんまへんでした。おおきに有り難う御座いました。これでも飲んでや偉いすんまへんでした。」 と言って缶ビールの束を渡した。おおきに、おおきにと言いつつ、春木さんは帰って行った。勝彦は、今頃はあの赤井と言う寿司屋のオヤジも逮捕されたかと気になっていたが、疲れが出たのか夕食もそこそこに眠り込んだ。 一方マンションに帰った景子も、警察で聞いた、栄寿司の赤井のことが気になって、店の開店支度に行く途中で寿司屋に寄ろうと、店の前まで来るとパトカー3台と捜査用の車も止まっていた。赤井が逮捕されたのかなーと思って近づいて行った。 第一三章 荒らされて。 |TOPへ| 景子は見ていると、山本警部補と若い刑事の二人が近づいてきた。 「十和田さん今日は有り難う御座いました。しかしながら残念なことになってのし。あれから捜査員を派遣して赤井かどうか確認に行かせたんやがのし、実は捜査判が現地到着1時間前ごろになってな、和歌山県警の方へ百十番が有り。栄寿司(赤井)の妻が午後三時頃、いつものように店の開店準備に店に行くと、夫の赤井明が死んでいると言って電話を切った。我々もびっくりして、こんなことになると思っておらず、先程駆けつけた。あんたらには、いろいろお世話になりましたがのう、残念ながらまた迷宮入りになってしまいましてのし。いろいろご協力して戴いたのに、残念ですわ、藤堂さんにもよろしくお伝え下さい。」 先ずは報告まで。と山本警部補は残念そうな顔付きで景子に告げた。山本警部補の報告を聞きながら、景子は呆然と立ちすくんでいた。山本警部補と別れて、景子は、気を取り直し店に帰り、勝彦に赤井のことを知らさなければと電話をした。リリリーン、リリリーン勝彦がでない。聞こえないのかなーと思った。開店支度をしながら、再度電話をと、思いつつ、忙しさのあまり忘れていた。 しばらくしてカラオケも入りにぎやかになったころ、景子はふと、電話の事や事件のことを思い出し、連絡しょうと受話器を取ろうとした時に、二人の男が入って来た。初めての客で、一目で解るほど、やくざっぽい服装で、どこと無くうさん臭い、匂いがした。 「いらっしゃい。」 店の女の子が言った。あたりを威嚇するような目付きで、つかつかと、入って来て、カウンターに座ってあたりを見渡した。 「ねえさん、ビール。」 ぶっきらぼうに、サングラスをかけた、若い男が言った。景子は、ビールを接いだ。コップを持ちながら景子の顔をにらんで。 「あんたか、ここのママは。表に置いている赤い車、大山の殺人容疑で警察に追われたのは、新聞で見たぜ。」 聞いていた景子は、このお客やくざかなー、なぜ、こんな事聞いてくるのかなー、大山と係わりあいがあるのだろうと思いながら答えた。 「そうなの、私警察にうたがわれたの、でも今は警察の疑いも晴れたのよ。」 「そらよかったなぁ、ところで大山のガキと、どこで知り合ったんや。」 と言いつつコップについだビールをぐっと飲んで、男がつづけた。 「ママ。お前、大山のガキと交差点で衝突しかけたやろうが、それで、喧嘩しとったと、新聞に出てたやろう、 その時に何か大山からあづかってないんか。」 景子にはなんのことやら、なにを言ってるのか分からなかった。 「大山さんと衝突しかけてもめただけよ、ただそれだけなの。」 「そんなことぁーないやろう、大山から何か預かったやろぅ。嘘抜かしたらしょうちせんど」 「なにもあづかっていないわょ、串本警察で聞くまで、大山さんの名前も顔もしらなかったのよ。」 と言うと、サングラスの若い男が、相棒の男の顔を見た。黙って聞いていた、その男が二言三言、若い男に言った。若い男が景子を睨みつけながら、声をあらげた。 「こら、わしらをなめとったら、承知せんど。間違い無いんやな。うそやとわかったら、ただではすまんど、二度とこんな店、できんようにしてまうど、」 と言いながら景子をにらんだ。見るに見かねて、側にいた美保が言った。 「あんたら、昨日も来て、ママのこと、しつこく聞いて行ったのに、しつこいわねー、大山さんなんて、ママもわたしも、なにも知らないのよ」 「こら、おのれに聞いとるんとちがうんじゃ、やかましいわいだまっとれ。」 若い男が言うと、相棒の年のいた男が、まあまあ大きな声を出すなと言いつつ、飲み代をはらうように言った。 「また来るからな。ママさんよ、隠しといたら為にならんど、それまでによう思いだしとけ。」 と捨てせりふを残して、二人の男が店を出て行った。 「ママ昨夜、フエリーから電話してくれたでしょう、あれからか少しして、あの二人、昨夜も来てもいろいろ、 ひつこく大山の知り合いかと、聞いたのよ。」 と美保が言った。 「気味悪いわね、どこかの暴力団じゃないのかな、大山さんなんて知るわけないのに、なにか勘違いしてんのね、なにもあづかっていないのにね」 と話をしているうちに、客も来た。カラオケの音と歌声で、いつものにぎやかさになって、時間も過ぎて行き、閉店の時間になっていた。お客も、店の女の子も帰して、店の戸じまりをした。景子は、マンションの自分の部屋に帰って来た。 いつものように、ドアを開けようと鍵を差し、まわしたが、手ごたえがない。ノブを押す、ドアが開いていた。今日でかけに、鍵を確かにかけたはずだ。不思議に思いつつ、玄関に入って、電灯のスイッチを押した。 明るくなる、部屋一面は見る影も無く荒らされていた。下駄箱の中の靴はほうり出されて、テーブルの上に置いていた、 花瓶と花が下に落ちている。洋服箪笥も和服箪笥も引き出しは引き抜かれて、中の物は散らかされている。化粧台の引き出しも、中の物はみんな出されて散らばっていた。部屋の中は見るも無残な姿と変わり果てていた。景子は。キャーと叫ぼうとしたが、 のぞが引きつって声が出ない。身体ががたがたと、震え出した、震えながら、勝彦に電話をしようと受話器を取って、掛けたが掛からない。電話の線も切られていた。一層こわくなって、転がるように階段を降りる。震える手で、ハンドルを握り締めて、気が付くと景子は車を飛ばしていた。どこをどう走ったのか、解らないまま、気が付くと、勝彦のヨットの泊まっている桟橋に着いていた。ヨットに飛び乗って差し板をたたいた。 「トントントン、勝彦さん、トン、トン、景子よ開けてー。」 闇の中に景子の叫びが、吸い込まれて行った。寝ていた勝彦が、夢ううつで景子かと思い、差し板を開けると景子は転がるように入って来た。 「こわい助けて、私誰かに狙われているわ。」 と言いつつ、抱きついて来た。 「どうしたんや景子。しっかりせい、何がどうなったんや。」 「私のマンションの部屋荒らされていて、こわくて帰れない。」 おびえている景子を抱き締めて、ソフアーに座らせた。気付にとブランデーをコップに入れて手に持たそうとしたが、がたがた震えてこぼしかけた。その手を押さえて、一口飲ます。顔を見ると血の気がない。しっかりせいと、背中を叩く。景子は、震えながら、今日勝彦と別れてから起こった、出来事をかい摘まんで話した。聞いて勝彦もびっくりした。寿司屋の赤井が殺されていたとは、夢にも思わなかった。細かく震えている景子をうながして、今夜は遅いので、明日警察に連絡する、と言って景子をヨットに泊めた。 朝九時過ぎに、山本警部補に昨夜、景子のマンションが荒らされていたことのあらましを電話で話した。 それではこれから、現場検証に行く、ヨットの所に行くので十和田さん共々待っていてほしい。」 と言って電話を切った。しばらくすると、山本警部補が昨日、景子に赤井の事を報告した時に一緒にいた若い刑事とやって来た。若い刑事が串本警察の堀野で山本警部補の下で捜査をしていると名乗った。景子は、昨夜店に来た二人の暴力団員風の男のことを告げた。マンションの現場検証に行くことに成った。 現場に行くと白浜警察も山本警部補が連絡をしたのか来ていた、勝彦も立ち会い、鑑識班も来て指紋を取り、 その他、簡単な事情徴収をし、赤井の殺害と関係あるのか、どうか調べると言って帰って行った。一難去って又一難。ややこしいことになったものだと、勝彦が思った。こわがっている景子をほおって置くわけにもいかず、現場検証も済んだので部屋を片付ける。金も通帳も、取られた物もなにもなく、散らかった物を元に戻して、片付けを終えて、ふたりは簡単な景子の手作りで昼飯を食べた。景子と九州まで行って謎を解き、事件も解決したものと思っていたが。こんなことになった今、頼れる者もいない景子を、このままほおって置く訳にもいかず。 犯人が捕まるまで、景子のそばにいてやろうと、勝彦は心に決めた。 「景子、犯人が捕まるまで、俺がついていてやる、心配するな。」 「ほんと、お願い、私を一人にしないでね。」 とつぶやくように言った。勝彦が、赤井も殺され景子の部屋も荒らされて、この事件は暴力団関係のもつれのような気がしてきた。赤井が生きて、警察に捕まっていれば、今頃は勝彦もヨットで大阪に向かって走っていたのだ。だが事件が二人を離してくれない。昼飯を食べ終えて。赤井の奥さんに会えばなにか解るかもしれないと、ふたりで赤井の奥さんに、会いに行くことにした。赤井の家に行くと、警察の検死解剖に回されていた赤井の遺体が帰って来て、葬儀屋が来て、お通夜の支度でごった返しをしていた。あわただしい中で赤井の奥さんに聞ける状態でなく、どうしたものかと、二人で道の向かい側で立っていた。景子はふと右の方を見て。 「勝彦さん、昨夜お店に来た、二人はあの人達よ。」 景子が指を差した方を見ると、見るからに暴力団員風の二人が来て赤井の家の様子を伺っている。 その反対側で山本警部補と堀野刑事がいた。山本警部補の方へ行き、昨夜、景子の店に来た男があの二人だと告げた。しばらくして堀野刑事が男の方へ行って職務質問をしている様子であった。勝彦もあの二人組がこの事件に関係がって、大山、赤井、とつながっていて、それに景子が絡まっているのに間違いが無いと思った。 景子としばらく立っていると、漁師の春木さんが来た。私たちを見て近づいて来た。なんとなく、昨日会った時より顔色が悪い。勝彦を見て昨日はどうも有り難うと言った。 「えらいことになったのう、ママの事件がかたずいたらよう、今度は栄寿司のおやじが殺されたやなんて、白浜、始まってのえらいこっちゃのう。」 「春木さん、栄寿司の赤井さんのことで、なにかしらないの、警察は大山さん殺しは、赤井さんやないかと言っていたのよ。」 と景子は言った、勝彦も春木の顔を見つめた。 「赤井が犯人やて、ほんまかいな、わしはしらん、しらん。」 「そおぅ、なんでもかまわないわ、春木さん以前、栄寿司のおやじさんがよく店で売る魚を買いに来たと言うていたでしょう、いろんな話をしなかったの。」 「ママ、赤井とは魚の売買だけやで、その他のことしらんのう。」 「そうなの、昨日うちのお店に暴力団員風の男が二人来て、いろいろ聞いて行って、その後で私のマンションの部屋、荒らされていたのよ。」 聞いていた、春木はびっくりしたような顔になったが。 「ママ、えらいめにおうたのう、ほんで取られた物あったんかのう。」 二人の話を聞いていた勝彦が口を挟んだ。 「なにも取られた物がないが、なにかを探していたようや、 春木さんも、なにか思い出したらママに教えてやってくれんか。」 「わかった。思い出したらすぐに知らす、わしもちょこちょこ店に行くし、暴力団来たら直ぐに知らせてこいや、ちょっくら赤井のおかみさんに会ってこら。」 と言って春木は赤井の家の方へ歩いて行った。春木が去った後、山本警部補がやって来て、あの二人を職務質問したが、現時点で事件に係わる物件もでて来ず、今後の見張は白浜警察に伝えておく、何処かの暴力団に間違い無いと思うがと言った。お願いしますと、頼んでおいて、勝彦と景子は〈スナック景〉の店の開店準備に行った。準備を済まし、夕食はついでに店で作って食べていると、店の女の子(美保)が来た。店を任せて、午後七時。赤井のお通夜に、ふたりでお参りをした。赤井の家の横にある電柱の陰に、山本警部補と堀野刑事がいた。 どこかに隠れているのか、あの暴力団の影がなかった。 お参りを済まして勝彦は、マンションの景子の部屋で景子の帰りを待っことにした。送ってもらって、Uターンして景子はそのまま店に行った。勝彦は部屋に入つた。部屋は今日出て来た時のままだ、一安心であった。 風呂に湯を張った、安心して風呂に入る。昨夜は風呂に入らなかったので気持ちがよい。湯船にどっぷりとつかっり目をつむると、景子の白い身体が、瞼に浮かぶ。風呂上がりの一杯とビールをコップに入れて一気に飲む。 「うまい。」 テレビをつける。昨日の赤井殺しのニュースだ。犯人について、手掛かりは無く、白浜警察と串本警察は県警に本部を置いて先に串本の橋杭岩で車の中で殺されていた、大山と何らかのつながりが、あるものと見て、現在捜査中と、アナウサーが言っていた。それに続いて、第五管区海上保安庁所属巡視艇《あさぎり》が周参見漁業組合所属の、無人の金毘羅丸四tと、発見現場より南西約十五海里の海面で、周参見魚業組合員の漁師、佐野実さんの水死体を発見した。三日前に海に出て帰って来ず捜査願いが出ていた。水死体には外傷も無い所から網上げ中落水した事故か何らかの事件に巻き込まれたものか捜査中。外務省は日米会談を五日後に控えて。・・・・・・と言っていた。チャンネルを変える。NHK。懐メロので前川清が歌っていた。 「神戸・・・泣いてどう成るものかー・・・・」 勝彦もそれに合わして、口ずさんでいた。 「捨てられた我が身が惨めになるだけ・・・・・・」 寝転びながら、ビールを飲んで、うとうととしながら景子の帰りを待つ。 第一四章 春木の告白。 |TOPへ| 一方、春木は、赤井のお通夜にお参りして帰りがけに、だれかに付けられたような、いやな気分になって景子の店に飛び込んで来た。 「いらっしゃい、春木さん今夜はおそいのね。」 「ママ今、赤井のお通夜の帰りや、ビール一本おくれ。」 カラオケに合わせて、酔った客が歌っている。景子はビールを抜いて、春木のコップに接いだ。どことなく春木の顔色がさえない。 「私も、赤井さんのお通夜に行ったのよ。」 「ママもお通夜にいたんか。」 と言いながら、ぐっとビールを飲んだ、春木は気が気ではなかった。 お通夜に行く前にテレビのニュースを見た。今日、周参見の漁師、佐野の水死体が上がった事を知った。お通夜の帰りには、だれかに付けられたような気もして、心細くなっていた。春木は、一ヶ月ほど前に、赤井に俺の友達やと、大山らしい人と二人で来て、佐野を誘って四人で沖を通った貨物船から荷物を受け取った事があり、その時にこの事は誰にも言うなと口止めされて、佐野と二人で百万円もらった事があった。それ以後、そのことが気になって悪いことに、手を貸したのではないかと、思っていた。その矢先に、大山が殺されて、景子が疑われ、雲行きがややこしくなって来たなーと思っていたがだれにも相談が出来ず、心苦しく思っていた。ところがここに来て又2人まで殺されて、今夜はだれかに付けられて、こわくなって来て景子の店に飛び込んで来た。黙って飲んでいた春木を見て、景子は不審に思って春木に言った。 「春木さん、今夜は元気がないのね、元気を出して一曲いかが。」 「いや、元気がない訳でもないんやがのう、今夜は歌う気分になれんの やして、今夜はやめとこら。」 と言って、考え込んでしばらく黙って飲んでいたが春木は口を開いた。 「ところで今日一緒にいた男、ヨットで来た言うてたけんど、ママのええ男と違うんか、ママの疑い晴らしてくれたんやのし。」 景子は、しばらく黙っていて。 「勝彦さんとは少しね」 と言いながらビールを接いだ。 「ママの男、警察にこねがあるんやったら会わしてくれんかのし。」 と言いつつビールを飲んだ。景子はマンションに電話をして、春木のことを話すと、勝彦が出て店が終われば春木を連れて帰って来いと言って電話をきった。しばらくして客の切れたのを幸に速めに店を閉めた。 午後の十時過ぎだった。 「勝彦さんただ今、今夜は早く閉めたのよ春木さんを連れて来たの。」 景子は自分のマンションに、ただ今と言って帰って来たのは初めてだった。なんとなく待っている人がいると心が暖まる。春木を部屋に上げた。早速勝彦は、春木の話を一部始終聞いて、勝彦もテレビのニユースで見ていたので、周参見の漁師佐野の水死体。それらは一本の糸でつながっていて、そのどこかに佐野と春木がいて、景子がその糸に絡まっている、そのように思われて仕方がない、しばらく考えていた勝彦が。 「春木さん、あんたと景子は狙われてる、春木さんあんたの関係した三人は殺されたんや、景子はそのとばっちりや、ひよっとしたら俺も狙われてるかもなー。」 「わし、狙われているんかのう、どないしたらええんやして。」 春木の顔色をじっと見ながら、しばらくして勝彦は言った。 「春木さん、この事件のことは俺に、何もかもまかすか?。」 勝彦に言われて、青白い顔になって、しばらく考えていたが。 「あんたにまかしたら、わしを殺屋から守ってくれるんかのし。」 関係した三人まで殺されて、春木もこわくなったのだろう、よろしく頼むと、話は決まる。 第一五章 保安庁。 |TOPへ| 勝彦が、浪速警察の小林警部補か、串本警察の山本警部補に電話しようと、思ったが、元々、この事件は海から始まっているように思われた。五管本部にいる知人の、関口に電話することにした。第五管区海上保安本部の関口に、今までの経緯を伝えた。関口は上司の、塩川救難警備課長に話をした結果。田辺沖まで迎えに行くので、春木を連れて来られたしと言いった。陸路はつけられる恐れもあり、勝彦のヨットで、下津沖に来てほしい、田辺海上保安署に連絡しておくので、よろしくと言った。春木に五管本部の意向を伝えて、協力する事にして連絡を待つ。明け方関口から電話があった。 白浜の桟橋に巡視艇《あさかぜ》を派遣したので、すぐに来られたしと言って来た。景子も私も連れて行って残されるとこわいと言った。店のことは美保に頼んで、勝彦は景子と春木を伴って桟橋に急いだ。 出迎えの保安官の一人は勝彦の弟の友人で幼い頃よりの知り合いであった。久しぶりですねご無沙汰しています、と挨拶もそこそこに巡視艇《あさかぜ》のつかず離れづの護衛で、勝彦のヨットで景子と春木を乗せて出港した。神戸の第五管区保安本部からは巡視船を派遣したと言っていた。田辺の沖に差しかかるころ、五管本部の巡視船『せっつ』が見えた、《あさかぜ》にヨットを接舷して『せっつ』に乗り移る、案内をされて、通された船室では、勝彦の親しい関口一等保安官がいた。警備救難課長塩川茂雄に紹介されて。今までの経緯を出来るだけ詳しく話した。塩川茂雄は捜査専門の保安監で関口一等保安官とも親しく気楽に話ができる人物だ。年のころは勝彦と同年配のように感じた。塩川がだまって勝彦の話を聞いていて、しばらくして口を開いた。 「この事件は麻薬がらみだと感じますね。」 実は、塩川は一年ほど前からフイリッピンの貨物船で麻薬が密輸入されていて大阪を中心に出回っていると情報を得て捜査中だった。今回の周参見の漁師佐野の死も関係有りと見て捜査途中である。聞いていた勝彦がえらい大きな事件になったものだと思った。塩川はこの件は間違いなく我々が前々より捜査中の事件に関係していると言った。『せっつ』は田辺の保安署に入り、《あさかぜ》と勝彦のヨットは白浜に引き返して桟橋に係留し、《あさかぜ》を護衛に当てる。春木の家の回りには警備のため海上保安官を派遣すると約束した。 連絡は勝彦の親しい、関口を巡視艇《あさかぜ》に海上捜査指揮官として乗船さすので協力をして欲しいと頼まれて、勝彦と春木は承知した。白浜まで関口もヨットに同乗して元の桟橋に付ける。その横に巡視艇《あさかぜ》も接岸。春木は護衛の保安官二人と一緒に家に帰って行った。その夜は関口を交えて景子の手作りで三人でヨットで夕食。よもやま話に花を咲かせた。関口が警察はどこまで捜査が進んでいるのかなーと勝彦に言った。 「関口さん保安庁と警察は合同で捜査できんのか。」 と勝彦が言うと関口が。 「これがなかなか難しくて、どちらかが協力依頼をしないと出来ないらしい、どちらにも意地があってな。」 仕方なく勝彦が個人的に浪速署の小林警部に明日にでも警察の捜査内容を聞こうと思った。食事も終わって、御馳走様と、関口保安官が《あさかぜ》に帰って行った。昨夜もあまり寝ていないので景子も勝彦もすぐに眠りについた。巡視艇が護衛しているので安心したのかすやすやと景子の寝息聞こえた。朝九時過ぎに、ヨットのキャビンから携帯電話で勝彦がコーヒー片手に、小林警部に今までの経緯を連絡した。そばで、景子がコーヒーを飲んでいる。電話の向こうで、小林の声が聞こえる。 浪速署捜査2課が動き出したらしい、大山及び赤井は大阪の暴力団松岡興業によく出入りをしていた人物でヘロインの運びやに使われていたらしい、松岡興業は輸入雑貨を扱っているが、社長は元松岡組の親分松岡市郎の隠れみのである。浪速署は、大山赤井の殺害に付いて和歌山県警の山本警部に協力を依頼されて、浪速署の捜査2課と合同で麻薬関係の縺れと思い捜査を始めている。と言って小林は電話を切った。 勝彦の思っていた通りだ第五管区も麻薬に絞っている。マンションを荒らした奴らが松岡組の組員の疑いが強い。店に行って探りを入れてマンションを荒らしたのだと思った。景子が知らないうちに巻き込まれている、何かある。大山と出会った時の事をくわしく景子に聞く事にした。 「大山と接触事故を起こしかけた時に、大山がどのように言ってきたんや。」 「あの日私が勝彦さんのヨットからの帰り、白浜バイパスを直進して、その交差点で左折しょうとして止まろうとブレーキを踏んだとたんに、大山の車が前に出て来てぶつかりそうになり、すぐに止まったの。そしたら大山も止まって私の車の右のドアを開けて降りて来いと言ったの、当たってないやないのと、言い争いにり、そしたら、あんたは栄寿司のそばのスナック景のママやなーと言って、後で話を付けに行ったるからなー、と言いながらすぐに立ち去った。今思えばあの人、私のことを知っていたのね。」 大山が景子を知っていて、とっさに景子の車を止めた。ここが問題だ。なにかの謎があるのでは無いかと勝彦が思った。 「景子それからどうした。」 「大山の踏んだブレーキの音でびっくりして、近所の人達が出て来たの、恥ずかしくて、大山が立ち去った後、すぐに、私も車を出したの、その時に大山の走って来た方から黒い車が走って来て、またぶつかりそうになり、その車も、大山の車の走って行った方へ行ったの。このことも、串本警察に言ったが黒い車の目撃者がいないので解らず、多分関係ないと言われたの。」 聞いていた勝彦は、黒い車に追われた大山が、とっさに景子の車に何かを隠したのではないか、店に現れた二人がその時に大山を付けていたのではないか。景子の車を調べて見ようと思った。 「景子、車をここえ持って来い。」 第一六章 ヘロイン。 |TOPへ| 景子は早速車を持って来た。車を調べれば、何か分かるかもしれないと思い、《あさかぜ》にいる関口保安官を呼んで、車を調べた。景子の話では、大山が右のドアを開けたのであればと思い。ドアのポケットも、ダッシュボードのポケットも調べたがなにも無い。座席の後ろも異状がない。ふと助手席の下を覗き込むと、小さな缶があった。景子には見覚えが無く、この缶を乗せたまま九州まで行ったのに、勝彦も景子も気が付かなかったのだ。ガムテープで封をしている、煙草のピースの缶だ。ハンカチでつかみテープを剥がした。中からビニール袋に入った白い粉、ヘロインか?。三人で顔を見合わした。大山が、交差点で景子が車から降りた一瞬のスキに、ほうり込んだのだ、赤井と大山が、同級生で今でもつながりが有ったのだ。それで、大山は景子を知っていて、後で取りに行くつもりで、後で話を付けてやると言ったのだ、それを嗅ぎ付けた、二人の男がマンションに隠していると思いこんで、景子の部屋に探しに入ったのだ。謎が解りかけて来た。関口が喜んだ。警察より先に証拠品を押収出来た。早速。関口が《あさかぜ》の無線機に飛びついた。 「こちらは《あさかぜ》第五管区海上保安本部応答願います。」 「こちらは五管本部、《あさかぜ》どうぞ。」 「係留地に於いてヘロインらしき物件発見、捜査されたし。」 「了解、科学捜査班向かわす、しばし待機せよ。」 「了解、待機します、おわり。」 待っていると、科学捜査班の車が来た。景子の車の指紋と缶の指紋も取って、保安庁科学捜査官の岸田が、缶を開ける、中からナイロン袋が出た。白い粉が入っている、少し破って、岸田がなめて見みた。 「間違いなくヘロインだ」 分析は本庁のほうでと、岸田がヘロインの入った缶を持って帰った。このヘロインを二人の男が探していたことがはっきりした。科学捜査班の車と入れ替わりに、五管本部の、救難警備塩川茂雄課長がやって来た。 「藤堂さん、お願いがあるんですが」 と言った。塩川の話では。 「以前より、捜査していたフィリッピン船籍の貨物船リベッチヨが明日朝神戸に入港予定だと調べがつきました。以前と同じ手口で持ち込む恐れが有ありますので、これを水際で押さえたく思いまして、春木氏に協力をお願いしたいのですが、おとり捜査なので私から言えず。藤堂さんからお願いしていただけ無いでしょうか。」 と言って来た。 「わかりました。それでは私から、春木さんに、お願いしましょう」 と、勝彦はヨットの係留地に来てくれるように春木に電話をした。 「ところで塩川さん、私の調べたとこでは浪速署の捜査2課がこの事件を追っていて、親玉の松岡をマークしているらしい、お互いに協力できないものですか、関口さんとも話したんですが。」 「藤堂さん、それはなかなか難しいことでして、お互いの意地がありましてなー。」 「そうですか、勝手ですが、私は民間人ですし、私からのお願いと言うことで、双方から捜査依頼の申し入れが無しと言うことで、互いの面目を保てばよろしいのですね、私が土俵を作ります、さいわい、私の知り合いが浪速署にいまして連絡しますので合同捜査と言うことで、話し合いの場を持っていただければ有り難いですが。」 「わかりました、保安庁の面目さえ保てば、協力致します。」 それではと、勝彦は小林警部補に、私からの依頼で保安庁と合同捜査と言うことでと、電話をした。小林警部補はしばらく待ってくれ、折り返して電話すると言った。勝彦は、話がうまく行くと一気に逮捕が出来ると思った。しばらくして、電話が鳴った、小林警部補だ、浪速署捜査二課と府警と話し合った結果保安庁と協力して合同捜査に同意したとつたへてきた。小林警部補の話によると。浪速署も警備艇の無線を傍受していて、ヘロインが見つかったことも知っていて、お互いの面目を保って、海と陸の、捜査権を分け合って情報交換をして、たがいに協力する。細かい打ち合わせは大阪府警本部で行いたく、和歌山県警の山本警部補も呼んでおきますので、塩川救難警備課長に御足労を、お願い出来ないかと言って来た。電話を置いて、勝彦は、浪速署の意見を塩川課長に伝えた。 「それでは、これから府警の方にすぐに行くので、私の代理は、関口君に任せますので、春木氏の方はよろしくお願いします。」 と言い残して去って行った。勝彦は今後の事を関口保安官と打ち合わせをしている所へ春木がやって来た。 「昨日はどうも、今日はなんの話やして。保安庁の人も大変やのし、わしのために保安官二人に護衛してもろてのう、今とところは安心や。」 と春木は言った。その春木の顔を見ながら勝彦は口を開いた。 「春木さん、頼みがあるんや、今日あたり、死んだ赤井の変わりに松岡組から直接、船を出してくれと言ってくるかもしれん。保安庁は、囮で逮捕したいんやが、保安庁からあんたに直接頼めんのや、そやから俺から頼むから、引き受けてくれんか。」 黙って春木は考えていた。ここまで来ていやとは言えないが、命がほしい。 「あんたにいろいろ世話になってるし、引き受けてもええけど、命は守ってくれるんやのう、それと佐野と行ったことで罪になるんやろうかのう、赤井にだまされて、わしもしらんこちゃつたし、そのことも頼んでもらえるかのし。」 「俺が保安庁と約束した。保安庁は警察と合同捜査になったんや、間違いない保安庁が責任を持つて警察の方にもその事は伝へてもらう。佐野とのことは心配ない。」 聞いていた景子も春木の顔を見ながら言った。 「春木さんお願い、このままやったらお店も開けられないの、あの二人の男に殺されるかもしれないし、春木さんも狙われているのよ。」 「佐野のように殺されたくないしな、よっしや、そんなら引き受けるわ。」 と勝彦と春木で話が決まった。関口が細かい打ち合わせは、警備艇の方でと、春木を伴って警備艇の方へ行った。 第一七章 誘拐。 |TOPへ| 景子は着替えを取りに一度マンションに帰りたいと言うので勝彦がついて行くことにし、関口につたへて車で景子のマンションへ行った。車から降りた景子は階段を上り三階の自分の部屋へ入って行く。 勝彦は車の中で煙草を吹かして待っているとしばらくして、景子は着替えを持って階段を降りて来た、その時勝彦には気が付かなかったが、階段の陰から男が飛び出して来て、景子の手をつかんだ。びっくりした景子は、キャーと叫んだ。その声を聞いて勝彦は振り返った。道を歩いていた人達もびっくりして振り返った。勝彦は車のドアを開けて走りだした。勝彦が反対側車線に車を止めていたので走る勝彦の前を車が横切る。一瞬止まる。 景子は引っ張られながら、向かい側に止めていた、車に引づりこまれた。勝彦はあわてて連れもどそうと駆け寄ったが。一足早く車が走りだした。勝彦も急いで車に戻り、エンジンをかける、追跡が始まった。相手はベンツの五〇〇SE。こちらはマセラッテイのターボ付きだ相手にとって不足はない。相手は暴力団、景子の店に嫌がらせをして、マンションまで荒らした奴らだ。拳銃を持っている可能性も有る気を付けねばならない。しかし景子がつれ去られた。助け出さねばならない。見張りを怠った自分の責任だ。勝彦も若い時には、よく暴れまわったものだ、久しぶりに腕が鳴る。必ず景子は取り返す。景子を乗せたベンツをしばらく付けて行く、町外れに出ると彼らはスピードを上げた。振り切るつもりだ。コーナーへの切り込みは、見事なものだった。勝彦はまだマセラッテイに余力を感じていた。ぴたりと、ベンツの後ろに付く。ブレーキのタイミングは、かなりきわどい。広場が見えて来たスピーンターンで方向を変えた。勝彦はやさしくマセラッテイの方向を変えてやった。ベンツと二〇bほどの差が付いている。前方にカーブが見えて来た。コーナーのブレーキはほとんど一瞬だった。カウンターを当て、見事なドリフトで曲がって行く、勝彦は、グリップ走行を崩さなかった。すぐにターボが効いてくる。テイル、トウ、ノーズの恰好になっても、尚ベンツは止まらない、抜くしか無いと勝彦は思った。 アクセルを踏み込んだ。前に車がいる。対向車を縫って抜くしかなかったが。こんな道路では、無理だ。 いったん引き下がる。広い道になった。勝彦はアクセルをいっぱい踏んだ。車がするすると前に出た、一瞬横を見た。景子の顔が引きつっている。そのまま走る。 今度はベンツが反対に追って来た、腕に自信が有るのか見事にコーナーを曲がってくる。排気量はマセラッテイの約二倍近くは有る、油断をすると差をつめられる。抜いたのが、まちがいかと勝彦は思った。 このまま彼らに追突されればおしまいだ。スピードは百八十キロに達した。まだ余裕が有る。道は上り坂になって来た。ドイツ野郎に負けるな、胸の中で叫んだ。ターボの唸りが、まるで答えのように返ってくる。少しづつベンツが離れはじめる。コーナーで尻を振った。素早く勝彦はカウンターを当てた。百八十キロでのカウンターステアなぞ経験したことはない。レーサーにでもなった気分で、悪くはなかった。 「アマリ、尻を振るなよ。」 と勝彦がつぶやいた。追いついて来るベンツのコーナーリングは見事だ。道はずっと上り坂だ。追いつかれてもいない。身体が。ゾクゾクとしてきた。視界が狭くなっている。バックミラーに目をやるのが、精一杯だ。さすがに、ベンツの五〇〇〇ccの車だ。街を突き抜けると、急な登りになった。すぐ後ろにベンツが追ってくる。道が狭く、カーブが続いていた。逃げ始めてから、もう三〇分以上経っている。登って行く道がどこへ行くのかわからなかった。耳の中で空気が炸裂した。 かなり高いところまで登ったようだ。時々前に車が現れるだけで、交通量は少ない道だ。追い越される車は、みんなびっくりしたように左にハンドルを切っている。下りの道を捜そうと思った。下りで勝負をかけるしか無さそうだ。やがて、道が二つに分かれた。右に行くと下りになる。迷わず、そっちを選んだ。直線。踏み込む。一三〇度一四〇度のコーナーが見えてくる。フルブレーキ。ヒール、アンド、トーでなければ間に合わない。ブレーキのタイミングだ。ベンツはハンドル捌きでコーナーをかわしている。S字°ヘヤピンと。続いていた。制限速度四〇キロという標識が、チラリと眼に入った。勝彦は一〇〇キロで走っている。コーナーの手前で七〇キロほどに減速する。緩いコーナーは、出来る限りブレーキを踏まなかった。ベンツのブレーキはどれほどタフなのか。こちらの倍以上、ブレーキを使っているはずだ。 ブレーキパットは焼けているだろう。右のコーナー。尻を振る。カウンターを当てながら踏みこんだ。離されたベンツが、やはりドリフトで曲がってくるのが見えた。ヘヤピン。マセラッテイのブレーキからも、焼けた臭いが出はじめている。走ることで、風を受ける。それでブレーキは冷やされて行く。これほどコーナーが多ければ、冷える時間が少ないと言うことだ。ヘヤピンの連続になった。スピードをあげた。 タイヤが横に滑って行く。下りで一〇〇キロから一三〇キロ。そろそろブレーキの限界だろう。直線のところで、勝彦は思いっきりブレーキを踏んだ。停まった。ベンツも、煙を上げながら停まった。 十bほど後方だ。ブレーキパットの焼ける匂い。しばらく、じっとしていた。ベンツのドアが開きかかる。勝彦はスロで車を進める。アクセルを踏んだ。回転計のレットゾーンまで引っ張ってヘヤピンの前で落とす。カウンターを当てながらコーナーをかわしていく。ベンツも勝彦に釣られて付いて来た。ミラーの中で、ベンツが外にふくらむのが見えた。スピードがあり過ぎている。いや、ブレーキが焼けたのだ。 踏んでも効かないのだ、停まっている間に、風で冷やすことができなかった。ガードレールに車体を擦り付け、ベンツは減速しようとしている。次のコーナーで、ヘッドをぶつけて、スピンして反対側の崖にも、ぶつけた。勝彦はブレーキを踏んだ。こちらは効いた。こちらのブレーキはクリーングはできていた。マセラッティは停まった。素早く一度切り返して、ベンツのところまで引き返した。勝彦は車から降りた。車の中を見ると運転していた男はハンドルにはさまっている。助手席の男が頭をぶつけたのか血を流しながら、ピストルを内ポケットから抜いて、ドアを開け、勝彦に狙いを付けた。すかさず勝彦は右足でドアを蹴っていた、ピストルを持った手がドアに挟まった瞬間パーンと乾いた発射音がして弾があらぬ方向にが飛んだ。ピストルを取り上げて崖下に捨てる。引きずり降ろして二三回蹴り上げた。勝彦の右手が相手の腹に入った。 うーんと唸って倒れ込んだ。運転していた男が挟まったままだ。後部座席にいた景子を見ると、反動でフロアに転がっていたが今の騒ぎで眼を開いた。ドアを開けて景子を抱える。 「景子大丈夫か、けがはないか。」 「勝彦さん有り難う怖かった。」 「もう大丈夫だ、やつらも終わりや。」 マセラッテイに乗せる。一瞬気を失っていたが、もう大丈夫だと思ったのか景子の顔に笑顔が戻った。後も見ずに帰途につく。途中で和歌山県警の山本警部補に男のことを電話で連絡する。しばらく走った。白浜署のパトカーが前から3台連なってやって来た。 「勝彦さんよかったね。これでわたしも安心できるわ。」 と言った、途中で景子は打った所がを痛いと言っていたが打ち傷だけですんだ。勝彦は久しぶりの、大奮闘に。酔っていた。 「景子びっくりしたやろ。」 「勝彦さん私、がたがた震えていて、どうしてよいかわからず。車の中でヘロインはどこに隠したんや、早ようだせと、ピストルを突き付けられたの、黙っていると。赤井のように成りたいか、と言いながら助手席から、手を伸ばして私の髪の毛をつかんで、ピストルを頭に突き付けられたの。その時は自分でも血の気が引いて行くのがわかり。気を失いかけてもう駄目だと思ったの、気を取り直して、知らないと言い続けていたの。勝彦さんが、車を追い越した時はほっとしたわ。でも、車を抜かれて腹が立ったのか。奴を殺ろせ、後ろから追突して、谷にまくってしまえと。助手席の男が言っていた。それから私になにも言わなくなって必死で追突しょうと走ったの、カーブを曲がるたびに怖かった。でもあなたが前を走っているのが見えていたので、心強かったわ。」 と景子は一気に事の成り行きを語った。 「そうか、えらいめにあわしたな、びっくりしたやろ、今頃あいつらパトカーで連れて行かれてる。」 と言いながら勝彦は、景子を取り返したことでほっとして、ヨットに帰って来た時は午後三時を回っていた。 第一八章 取り調べ。 |TOPへ| ヨットに帰ると関口が飛んで来て、勝彦と景子の顔を見て。 「遅かったので、心配した」 と言った。勝彦は、先程の出来事をかい摘まんで関口に話をした。一方、春木の家のほうへ、大阪の松岡組より電話があった。 「もしもし、春木さんか、わしは以前、お前と佐野に、荷物の引き上げを赤井を通じて依頼した者や。おぼえとるか。」 「へい、へい、覚えとります。」 「覚え取ったら、話が早い、今夜船を出してくれるか、いややとぬかしたら、周参見の佐野と一緒になるど、 わかったな、礼ははずんだる。」 松岡の声を聞きながら、春木は震える手で受話器を握り締めていた。 「わたりました。」 「物わかかりがええな。八時前に若い者、そっちへ行かす。たのんだぞ。又電話する、余計なことはだれにも喋ったり、警察にたれこんだりしたら、命はないど。」 「わかりました、だれにも言いまへん、それでは待ってます。」 受話器を置いて、春木はほっとした。早速伝えなくてはと、軽四を飛ばしてやって来た。勝彦の顔を見て、 松岡から連絡有ったとわめいている。酒を飲まして、春木を落ち着かせた。関口を呼んで、電話の内容を話した。関口は心配するなと、言いつつ、最後の打ち合わせのため、 春木と一緒に今夜使用する漁船吉丸の係留場所に行く。 しばらくして、景子と勝彦はコヒーを飲んでいると、関口が帰って来た。 そのころ、和歌山県警の取調室では、勝彦が追い詰めた。一人の男が連れ込まれた。運転していた、男は和歌山市民病院に内蔵あっぽくで入院した。鉄のドアに、高い小さな鉄格子の入った窓が一つ、机が真ん中に一つ。 西の隅にも一つ、パイプ椅子が三つある。高い天井に蛍光灯が二つ。和歌山県警の殺風景な取調室。男が椅子に座っていて、取り調べが始まった。取り調べは、串本警察の堀野刑事と。大阪府警捜査2課から駆けつけた、杉山刑事の二人が当たっていた。杉山刑事の容貌は、がっちりとした体格で、色は浅黒く、目の鋭い、いかにもやくざを相手に、海千山千渡り歩いたような五〇才前後の男だ。その杉山が取り調べた。 「俺は大阪府警の杉山や、名前と住所、言うてみい。名前は。なんじや。おおよそのことは、わかっとる、 松岡組のチンピラやろ。」 頭からまくし立てる杉山のけんまくに、観念したのか男は口を開いた。 「黒川武雄。三二才、住所は大阪府東大阪市元町一二。」 「間違い、ないな、病院に運ばれた、相棒の男の名は。」 「彼は、下田政雄。住所は住吉らしいがはっきりは知りまへん。」 聞いていた、堀野刑事が横から言った。 「よし名前は分かった、とろで、大山と赤井を殺したな。」 「大山や赤井の事はしりまへん。証拠でもあんでっか。」 堀野刑事が、大きな声で、言葉を荒けた。 「殺しは、しらんと言うんか、エエ。十和田景子のマンション荒らしたな。拳銃持ってたな、家宅侵入と銃刀剣違反やな。こら、ええかげんに。げろせんかえ。」 「…………」 「黒田、黙ったったらわからんやないか、大山赤井は殺してないと言うんか。」 「大山や赤井は、わしらしらん殺しなんかしらんわい、なんの関係もない。」 「おい黒田お前ら、赤井と大山を殺したんや。嘘つくな、みんな調べがついてるんや、いまさら隠しても、しやないど。俺の目玉見てぬかせ。」 「ほんまや、うそとちゃう、大山も赤井も、しらん。」 「黒田お前ら大阪の松岡組の組員やろ(薬)のもつれで、この白浜まで、大山と赤井を探しにきたんやと言うことは、調べがついてるんや、それに十和田景子の部屋も荒らしたやろ、極道は極道らしく直に吐いたらどうや。」 杉山刑事に言われて、黒田はしばらく、黙っていたが。 「大山のことは、まったくしらんのや、わしら白浜に来て、大山の車を見つけて追いかけたんやが結局逃げられたんや、その夜のわしらのアリバイ調べてくれたらわかる。」 よし間違いないなと杉山が、白浜警察にに照合した。しばらくして白浜のホテルで黒田と下田が泊まった事が判明しアリバイは間違いないとつたへてきた。 「黒田、大山殺しのアリバイは取れた。そやけどな、赤井の殺しはお前らや。」 「…………」 「だまってたら、わからんやないか。お前ら、組に義理立てしても、 ここまで来たら組も解散に追い込んだる。お前ら探していたヘロインもここにある、麻薬法違反と家宅侵入、 銃刀剣違反、それに十和田景子の誘拐と赤井殺しで刑務所行や、証拠は十分あるんや、すなおに吐いてしまえ、楽になるデー。」 「…………」 杉山は血相を変えて、テーブルを思い切り叩いた。それを見た、黒田の顔がおびえていた。今にもなにか言い出そうとしていたが、それでも、歯をかみしめて、必死に口を閉じていた。 「………」 「言わんか黒田。このごろの極道も地に落ちたのー、自分の尻は自分でふけや。」 堀野が詰め寄った。 「黒田、お前が黙秘使っても、病院に入ってる、下田に聞く事も出来るんや。早い事、吐いてしまえ。お前の頭の傷も、早よう治療せんと黴菌入って膿んで来てもしらんぞ」 沈黙した空気が流れた。杉山が、煙草をくわえて、火をつけた。 黒田は黙って座っていた。しばらくして、杉山が、煙草を、黒田に進めた。堀野刑事がドアを開けて出て行った。しばらくして、赤井殺害に使われた、証拠品の栄寿司の刺し身包丁を持って来た。煙草を吸っていた、黒田は、それを見てうつむいた。堀野刑事は、刺し身包丁を持って。 「此れは赤井所の刺し身包丁や、これでお前ら赤井を殺したんやろ。」 とテーブルの上に、叩きつけた。黒田はそれを見ながら、黙ってうつむいていたままだった。しばらくして、 あきらめたのか、黒田がしゃべり始めた。黒田の話では、大山は松岡組と付き合いが有り組みの指示で同級生だった赤井が白浜で住んでいるのに目をつて麻薬の運び屋を引き受けた、春木と、周参見の佐野をだまして抱き込んで、一ヶ月前に、ヘロインを密輸して来た、本船よりの受け取り役を二人にさしていたが、本船から受け取ったヘロインの一部を大山が猫ばばして、持ち逃げをしたのを下田が見つけてそれを取り返し、自分の物にしょうと思っていた矢先に親分に見つかり、親分の指示で、黒田と二人で取り返しに来た。大山が黒田達の追跡に感づいて逃げた。大山を追っかけて白浜まで来た。その大山を喫茶店で発見、捕まえようとした時に逆に見つかってしまい、大山は車で逃走した。逃がすものかとその車を追跡して白浜バイパス付近まで来たが逃げられてしまった。その明くる日の新聞で、大山が殺された事を知った。残るは赤井やと思い赤井の住所を調べ上げて、赤井の店に行き問い詰めたが、知らないの一点張り。知ってるやろう、しらんと、押し問答のあげく揉み合いとなり、赤井を殺した。その後、どうやら大山が赤井の所に行く途中に我々に追われて結局赤井に渡していなかったらしい事がわかり。新聞で大山と十和田景子の車の接触が有り大山殺害の参考人と書いていたので、もしや彼女に預けたのではと、思って彼女に聞いても知らないの一点張りで仕方なく、彼女の部屋を荒らしたが何にもなかった。 と黒田が一部始終吐いた。 「しかし黒田お前ら、これだけと違うやろう、周参見の、佐野の水死や、このことも、海上保安庁の警備捜査官を呼んで、きっちり調べたるからな。」 と堀野刑事が言った。黒田の調書を取って裏付けを取るために、刑事達は各地に飛んだ。 第一九章 巡視艇出動。 |TOPへ| 夕暮れの白浜の海を、夕日が真っ赤に染めていた。その時であった。松岡組から再度春木に電話があり、 白浜の漁港に午後八時に来ると言ってきた。関口は春木の船に、わからないように、レーダ反射盤を設置して追跡しやすいようにした。それと春木のかぶる帽子に小形の特殊無線装置を付けて情報を入るようにした、 春木には安全のため救命胴衣の下にわからないように防弾チョッキを着せる事にした。 無線装置の電波到達距離は海上十海里以内。指揮は塩川茂雄捜査課長が取り。五〜十海里以内に第五管区海上保安庁所属の巡視船《せっつ》《ひようご》《くずりゆう》この三隻はPL型一千トンクラスの巡視船だ。 巡視艇は《あさかぜ》CL型《しおかぜ》《はまかぜ》の二艇はPS型の手配がついていた。陸路は大阪府警始め浪速警察署が担当してそれに和歌山県警串本及び白浜警察署が加わった。物的証拠があがりしだい逮捕に向かう準備も整ったと言っていた。万全の準備が整った。後はこちらの張った網にかかる、獲物を取るだけだ。だがこの鍵は囮の春木の腕にかかっている。 一方白浜漁港では。午後八時前に、漁港に一台の黒のベンツが止まった。二人の男が降りて来た。服装は夜釣りをするような服装である。大きなクーラーと竿袋を持っていた。一見してやくざというイメージーがない、春木を見張っていた保安官も見落とすところだった。男達は、春木の吉丸に近づいて行った。春木と、二言三言、しゃべっていたが、すぐに吉丸に乗り込んだ。春木がエンジンをかける。もやいが外された。三人の乗った吉丸が、真っ暗な夜の海に吸い込まれて行く。春木を警護していた保安官は、早速無線のマイクを持った。 田辺港で待機していた。第五管区海上保安本部所属。『せっつ』の船上の無線室で、河野通信士と塩川警備課長がいた。無線機が鳴った。 「こちらは白浜《あさかぜ》乗員池上。ただ今、白浜港より、春木氏所有の漁船吉丸五t、外部者2名同乗し出港しました」 「了解、こちら『せっつ』直ちに《あさかぜ》に同乗し、出港しられたし」 「了解、即時指示に従います、終わり」 《あさかぜ》もその無線を傍受していた。勝彦も景子も同乗を許されていた。二人共も、これから始まる海上の大捕物に、気持ちが高鳴っていた。《あさかぜ》の無線機が鳴った。 「こちら『せっつ』各艇これより警備出動しられたし、終わり」 そのころ、巡視船『くずりゆう』は一足早く、塩川の指示で紀伊水道を静に南下していた。春木に張り付いていた保安官池上他一人を待って二十時三十分。《あさかぜ》がもやいを外した、おなじくして、巡視船及び巡視艇五隻はいっせいに紀伊水道に直進した。巡視船は二十五ノット、巡視艇は二十八ノットの速力が保てる。吉丸は十八ノット。漁船吉丸を追ってじわじわと円陣に成って吉丸に悟られぬように進んで行く。各艇は目標の漁船吉丸の姿を、レーダーで捕らえている。緊張した時間が一刻一刻と過ぎて行く。天気予報では、九州地方に低気圧があり、今夜半より、荒れ模様と告げていた。 今は波もあまりなく時々大きなうねりが入るだけだった。『せっつ』の司令室で、塩川は一人で考えていた。現物(ヘロイン)を押さえなければ成らない。あせってしまうと相手も海にヘロインの包みを投げ込むかもわからない。そうなれば徒労に終わり、物的証拠はなくなる。どうしたものかと、腕を組む。一方勝彦は、《あさかぜ》のブリッチで景子といた。勝彦はこれから始まる大捕物に力が入る。吉丸の春木の帽子に仕掛けた無線が入った。 乗り込んで来た二人に脅されている様子が伝わって来た。勝彦も緊張する。春木は勝彦が頼んだ囮だ。命に係わるような事は無きにしもあらずだ。勝彦の心が痛む。時間がだんだん過ぎて行った。 『せっつ』より無線が入る。 「こちら『せっつ』これより漁船吉丸より三海里まで近づき、灯火は消して見張りを強化せよ、おわり」 『せっつ』の無線士の声も緊張気味だ。《あさかぜ》も灯火を落として進む、ただエンジンの音と波の音だけが響いていた。乗組員も緊張している。しばらく進むと、ブリッチで赤外線付き双眼鏡で見張っていた関口が。 「吉丸らしき船影発見ん。」 と告げた。双眼鏡を渡されて勝彦も見てみるとよく見える。二時の方向に波を蹴って進む吉丸の姿。時計を見ると午後十一時。春木の声が特殊無線の向うで聞こえた。 「この辺でしばらくまつんかの。」 「とにかく止まれ。そのうちに来る。」 そんな声が聞こえて来た。時間待ちだと思って、《あさかぜ》も停船した。各巡視船も聞いていたのか停船したようだ。 「こちら『せっつ』各艇現在位置を守って待機せよ終わり」 『せっつ』からの無線だ。そのころ『せっつ』では塩川の指示で《覆面巡視艇》プレジヤー型のボートを二艚積んでいて。釣り人に変装した保安官の六名がボートを降ろして支度をしていた。変装した保安官の腰には拳銃が持たされていた。『せっつ』のレーダースクリーンに写っていた吉丸が動きだした。春木の特殊無線を通してジーィゼルエンジンの音が入って来た。その時点で、『せっつ』から降ろされた、プレジヤーボートが二隻連らなって、夜釣りを楽しんでいるふりをして、吉丸にゆっくりちかずいていく。二本のトローリング竿も付けてどこから見ても游漁船だ。しばらくして無線機が鳴った。 本州最南端潮岬の洋上でいつもと変わらぬ振りをしながらワッチをしていた。『くずりゆう』からだ。 「こちら、『くずりゆう』二十三時十六分フイリッピン船籍、リベッチヨ三千トン発見。時速十五ノットで紀伊水道に向かって北進中」 「了解。こちら『せっつ』指令船、五海里離して追跡せよ」 「こちら、『くずりゆう』了解、終わり」 《あさかぜ》のブリッチで聞いていた勝彦と関口は顔を見合わす。一時間程過ぎた。《あさかぜ》のレーダーにリベッチヨらしき影が映った。距離自船より約一六海里のところだ。 「こちら『せっつ』全艇出動せよ、終わり」 エンジンが唸った。自艇より吉丸は西南西三海里、スローで進。時間が過ぎて行く、午前〇時三七分。レーダーで見ると、自艇よりリベッチヨは五海里の地点、吉丸は三海里、リベッチヨと吉丸の差わずか二海里だ。保安庁の覆面巡視艇二艇は、吉丸に後一海里までちかずいていた。耳は無線に目はレーダーにくぎずけとなる。 「各艇こちら『せっつ』二海里まで接近せよ終わり」 『せっつ』からの無線だ。レーダーの影はリベッチヨと吉丸の差は一海里だ。吉丸がゆっくりとリベッチヨに近づきながら電灯をチカチカと光らせた、それを受てリベッチヨからも信号の光があった。しばらくして一瞬リベッチヨと吉丸の影が一つになった。二分ほどして二つに別れて行く。リベッチヨがなにもなかったかのようにそのまま進んで行く。吉丸は止まったままだレーダーの影が動かない。その時保安庁の覆面巡視艇がちかずいて行く。吉丸は動いた。今もって無線の指示が無い。勝彦はいらだってくる。レーダーで見る。リベッチヨと吉丸の差は三海里離れた。保安庁の覆面巡視艇が吉丸にちかずいた。レーダースクリーンを見ていると、吉丸と覆面巡視艇が一つになりかけた。三分ほどして無線が入った。 「こちら『せっつ』これよりリベッチヨを停船さす。『ひようご』、リベッチヨを停船させよ」 「『ひようご』了解。」 「『くずりゆう』リベッチヨの船尾に付けよ」 「『くずりゆう』了解」 「《あさかぜ》及び《しおかぜ》《はまかぜ》に次ぐ。保安庁の覆面巡視艇が吉丸を尾行している。これより各艇緊急接近し逮捕に迎え。 「《あさかぜ》了解。」 第20章 犯人逮捕。 天気予報通りに、しだいに、うねりが紀伊水道に入って来た。そんな天候の中しだいに、各艇共緊張が高まる。関口一等保安官が、《あさかぜ》の艇長岸田に向かって、吉丸を緊急救助せよ。 大声で言いつつ、双眼鏡で見ていた。 「全力全進。」 岸田艇長の声が飛んだ。エンジンが唸り。白波がたつ。《あさかぜ》はCL級だ。レーダーに写っていた吉丸が走っている。それを追って覆面巡視艇も走っている。岸田艇長が叫んだ。 「サーチライト用意。」 勝彦が関口を見つめて言う。 「吉丸は大丈夫だろうな、吉丸は全力で逃げて行く。」 景子も心配か、勝彦の横に来て、つぶやいた。 「春木さん大丈夫よね。」 「全力を注ぐ、安心してくれ。」 関口が力強く言い放った。左舷側一海里の九時の方向に同じく《しおかぜ》も全速力で走っている。右舷二時の方向に《はまかぜ》も吉丸めがけて全速力で走っていた。《あさかぜ》が吉丸に三〇〇bまで近づいていた。岸田艇長の顔を見て関口が言った。 「サーチライト点灯」 三人の保安管がデッキに出た。《しおかぜ》《はまかぜ》もサーチライトを点灯、強力な三本のサーチライトが闇を裂く光の中で、吉丸と、覆面巡視艇の姿が浮かんで見えた。関口が叫ぶ。 「犯人逮捕に全力を尽くせ、停船命令だ」 《あさかぜ》のスピーカーから出た警笛が、するどく鳴った。フイッ、フイッ、フイッ、 フイッ、フイッと 大気を掻き裂いた。 「こちらは、第五管区海上保安本部《あさかぜ》吉丸に告ぐ。停船せよ。ただちに停船せよ。」 停船命令を出しても、吉丸は全速でうねりの中を右に左に逃げている。二〇〇b−ほど後ろに覆面巡視ーボートが二隻が吉丸を挟み込むように付いている。各巡視艇も二〇〇bまで近づいた。その時《しおかぜ》のサーチライトが消えた。撃たれたのかと勝彦が思った。《あさかぜ》から見ると。吉丸からの発砲だ。双眼鏡で見ると、吉丸の梶を春木に持たせて、一人の男が拳銃を春木の頭に押し付きつけていて。吉丸のスパンカーの帆柱を背にして、後の一人がライフルで後ろに付いた《しおかぜ》を狙っていた。関口は塩川から犯人逮捕を任されていた。無線で、覆面巡視艇の保安官を呼び出した。 「こちら《あさかぜ》覆面巡視艇三号、現状を報告しられたし」 「こちらは三号、我々も吉丸に接近警戒中。先程吉丸より発砲あり」 「発砲あったこと了解。注意されたし。現状と任務を報告せよ」 「我々は物的証拠品を、海に流した時点の回収任務。」 「了解、これより、本艇は犯人逮捕に向かう、警戒されたし、終わり」 関口はデッキで待機していた保安官と艇長に指示を出した。 「岸田艇長、《あさかぜ》で接舷する。よってよろしく頼む」 デッキにいた保安官に向かって叫んだ。 「本艇は吉丸に接舷するので、犯人を逮捕せよ」 続いて関口は無線機のマイクを持って。 「本艇は。犯人逮捕に向かう、《しおかぜ》《はまかぜ》は本艇を護衛しられたし終わり」 と、告げた。《あさかぜ》が吉丸に接近した。ライフルを持った男が、打ちまくって来た。《あさかぜ》のサーチライトも撃たれた。デッキで腹ばいに成った保安官が待機している。《しおかぜ》と《はまかぜ》は吉丸めがけて、いかく発砲をした。すかさず、《あさかぜ》が吉丸に近寄る。関口が強行に接舷してくれませんか。 と言った。岸田艇長は。 「強行にですか、うねりも高く現状では危険です」 「ここまで来て、取り逃がせば保安本部のメンツに係わる」 「……………」 「無理してでも艇長、よろしく頼む」 わたしも行く、と言って関口は拳銃を点検して、デッキに降りた。 《あさかぜ》は護衛を頼りに、強行に吉丸の左舷に突っ込んだ。 「前方二〇〇bに吉丸」 艇長の岸田が叫んだ。 「もうすぐ、接近します」 関口は黙って、片腕を上げて、答えた。その闇から、突然閃光が走った。ライフルの発射音が、風を引きちぎった。関口は閃光の走ったあたりを狙った。激しい銃激戦になった。吉丸の閃光は消えていた。操舵室で、岸田は身体を起こした。ライフルの弾が何発か、操舵室を貫通していた。その一発が掛け時計をぶち抜いていた。 景子は《あさかぜ》の船室で小さくなってうずくまっていた。前方に、吉丸のスクリューの航跡が見えた。 《あさかぜ》が覆いかぶさるように、吉丸に肉薄した。左舷の鉄柵に関口がつかまっている、岸田は夢中だった。吉丸の航跡を目当てに《あさかぜ》をこすり寄せた。吉丸は船体を左にのけぞらせた。押し潰すように、 《あさかぜ》も左に曲がった。舷と舷がかみ合う音がした、かみ合っては、波に裂かれ、離れる。 ふいに、関口の姿が舷側から消えた。 「全員。デッキに出ろ、関口一等保安官が、吉丸に乗った、援護しろ。」 岸田は、伝声管にわめいた。乗組員達がデッキに出た。それぞれが懐中電灯と拳銃を持って構えた。吉丸がまた船体をのけぞらした。船首と船首の間に波が入った。《あさかぜ》は大きく吉丸と引き離されていた。乗組員たちの、懐中電灯がその吉丸を照らした。そのわずかな光の中で、関口が男と組み合っていた。吉丸に飛び降りた瞬間に組みつかれていた。揺れが激しい。立っているのがやっとだ。男が組みついている。よろめいて関口がねじ伏せられた。春木はピストルを突き付けられている。吉丸は止められない。スプレーでずぶ濡れになった服が自由を奪っている。それは相手の男も同じだった。跨がって、殴り掛かる男を、どうにか足で蹴飛ばした。右舷に尻餅をついた。しかし、死物狂いにライフルをつかんだ。そのライフルが関口の右腕に殴り掛かって来た、 その時、吉丸は大波に乗り上げた。次の瞬間、谷底に船首が落ちて行った。スプレーが吉丸を襲った。スプレーが消えたときは、ライフルを持った男が関口の脇に転がっていた。関口はライフルを奪った。 もつれながら、船縁に寄った。一瞬吉丸が傾いて、舷すれすれまで盛り上がった真っ黒な波に、男は呑まれた。後は春木にピストルを突き付けている男だけだ。関口がふりむく。一瞬のすきに、ヘロインを入れていたと思えるクーラーボックスが暗い海に投げられていた。そのすきに春木は、エンジンを止めた。 《あさかぜ》の拡声器から、 「むだな抵抗はよせ」 岸田の声がした。船も止められて、観念したのか。春木を脅していた男が急におとなしくなり。乗り込んで来た、保安官に逮捕された。《あさかぜ》に戻ると、岸田は手を出して握り締めて、関口に言った。 「海に落ちた男も、覆面巡視艇が引き上げて逮捕し、クーラーボックスも回収し、証拠品は無事だ、よかったよ。 「ありがとう、皆さんのご協力で逮捕できました、ほんとうにありがとう御座います。」 「関口さんぶじでよかったなー」 と勝彦も言った。景子は船室にいて、格闘は見ていないが、拳銃の音と激しい船の揺れで、心細かったと言った。犯人と証拠品を《しおかぜ》に乗せて《はまかぜ》が護衛をして、田辺港に向かった。そのころ『せっつ』はリベッチヨを伴って神戸の第五管区海上保安本部に向かっていた。《あさかぜ》が吉丸を伴って白浜に帰る。その旨を『せっつ』に連絡した。明け方五時に無事吉丸も港に帰り。勝彦も景子も、気疲れと、寝ていないのでヨットで、午前十時まで寝ることにした。 関口は、五管本部に連絡した。本部長の伝言を持って警備救難課長、 塩川が藤堂さんと春木さんにお礼を言いたいので、午後〇時に来ると言った。午前十一時春木さんが来た。 向かい側のホテルのレストランで三人で十二時に塩川が来るので。早めの昼飯の食事をすることにした。 早速、春木さんが口を開いた。 「昨夜吉丸に乗り込んだ、男二人。あいつら釣りの装束していて大きなクーラー持って来て。腰にピストル差していてなー。これ見よがしに、見せつけやがってのう。俺らの言うこと聞かんかったら、ぶっ殺ろす。と言いやがってのう。ピストルを頭に付きつけらた時は、ほんまに震たでー。それからGPS見ながらあっちやこっちやと行き先を言われてのう。あんたら守ったる言うたけんど、ぜんぜん警備艇見えんし、時間が経って来るしのう、気や気やなかったのう。」 「春木さん、すまんことしたな、しかし春木さんの無線こっちに入っていたんや。巡視艇は航海灯や電灯消していたからな。」 側で、聞いていた、景子は口を開いた。 「春木さん、ピストル向けられて、こわかったでしょう。私も店に来た、 あの男達に車の中でピストル突き付けられたのよ。」 「そうか、ママもえらい目にあったんやのびっくりしたやろ。」 「春木さん、走りだしてからどうしたんや。」 「いやそしたら、大きな本船が来たんや、やつら懐中電気で、ピカピカと信号見たいのを送ったんや、そしたら、本船止まって横に着けたんや、えらい揺れて、なかなかうまいことつけられん、本船から三人ぐらいの人がデッキから、ロープに大きな箱をぶら下げて、わしの船に降ろしたんや、波で船が上下に振り回されて、ひょろつくし、落ちたら終わりや、ひやひやしたで、そして無事に降ろした。そしたらあいつら箱を開けて、中のビニールに入った白い粉を、持って来たクーラに入れて、箱はほかしてしまい。船を戻せと言うたんや。 しばらく走ると。後ろに保安庁のボートが二隻付いて来て。あいつらの一人が、わしの頭にピストル突き付けて、このまま逃げれと言うんや、後の一人が後ろでライフル持ってあんたらに打ってたやろ、 こわかったのう。そしたらいつの間にか、保安庁の巡視艇がやって来て、撃ち合いや怖かったで。」 「春木さん心配したが、まあ無事で良かった」 と勝彦と景子は顔を見合わした。春木さんは続けた。 「保安官がな、わしの船の横に船を付けた時は、相手は大きいやろ押し潰されんかと怖かった、そやけど、飛び乗ってくれた時は助かったと思うた。後ろの奴がライフルで打っていたけど。」 春木さんの話しは続く。逮捕劇は、映画やTVで見るだけで。こんなのは生まれて初めてで、どきどきしたと言った。時間を見計らっているうちに、塩川氏に会う時間が来た。ヨットに戻りしばらくすると。塩川と関口が来た。昨夜はご苦労さん。と言いながら入って来た。三人を前にして関口が、犯人逮捕の経緯を説明した。串本警察は大山殺しの、血文字のアカノに付いては、今となっては、赤井のアカノか。赤の車。かどちらを書いたものかわからないらしい。大山と赤井は、佐野と春木を使って今日のようにヘロインを密輸していた。大山と赤井は、ヘロインの事で仲間割れをして、赤井は大山を殺害。一方周参見の佐野は。大山と赤井が松岡組の手先で、ヘロインの運びやをしている事を嗅ぎ付けて、直接。松岡組をゆすって一千万円を要求した。腹を立てた松岡が、勝彦が追い詰めて、和歌山県警に引き渡した。あの二人に、殺しを指示し和歌山の衣奈レットマリンに係留している。松岡興業のモータボートで、金を渡すからと、海上に呼び出して佐野を殺害した。その後ヘロインを取り返すために、ヘロインを独り占めしたのは、赤井やと思い、赤井を殺害。その時に赤井から、ひょつとしたら、 大山が景子にヘロイを預けているかもわからないと聞き、景子に迫って来たらしい。春木さんもヘロインの運びにかかわっていたが、知らなかった事と、今回協力して戴いたので保安庁も警察も感知しないと言った。 皆さんのご協力で、松岡組はじめとした。国内持ち込み組も。一度に逮捕できたことをご報告致します。 藤堂さんには本部長は第五管区保安本部から感謝状が送られる予定です、と付け加えた。 「今回は藤堂さん、十和田さん春木さん共々有り難う御座いました。また藤堂さん、あらためてお会い致しましょう、さようなら。」 と言ってヨットを降りた。しばらくして春木さんも帰って行った。 景子は出港を明日に延ばして、今夜は私のマンションで、お世話になったお礼に、御馳走するからと言って、 引き留められたが、いつまでいても別れがつらく、未練も残る。事件も解決したし、勝彦もそろそろ仕事のことや家のことが気になり出していたので、心を残しながら、景子の誘いを振り切って。 「景子、有り難う、楽しみは今度に取って置くよ、縁があれば何処かで会える、短い日々やったが楽しかったよ、元気でなー、こんど会える日を楽しみにしている、愛しているよ、さようなら。」 と言葉を残して出港した。桟橋で、景子は、名残を惜しみながら、目に一杯の涙をためて、会える日を楽しみにしているわと、いつまでも、いつまでも、手を振っていた。 巻き込まれて殺人事件 終 再 会 1章 ふたたび |TOPへ| 勝彦が白浜のクルージングから帰って来て早一年の歳月が過ぎていた。 この年の春も過ぎ、夏も過ぎて、秋が来た。秋とはいっても今年は例年より台風の影響も少なく、係留しているヨットの心配もなく無事に過ごせた。秋のだんじり祭りも終わり、町の賑ぎわいも落ち着いて来た。 そんな有る十月も半ば、勝彦がヨット仲間といつもよく行く、スナックで一人で、キープしているボトルを水割りで飲んでいた。先程より横で飲んでいた男がいた。 「ママ、(再会)いれてー、一緒にうたってなー」 と、ビールのコップを片手に持って、言った。 「あいょー再会ね、八Kの五」 と、答えて、ママがカラオケのリモコンのスイッチを押す。カラオケの画面を見ていると男女が横浜あたりの港町を背景には、仲良くそぞろ歩きをしているのが映った。横で座っていた男がマイクを持つ、前奏も終わり字幕が映る。その男とママがジュエットで歌いだした。 [忘れていたことを、思い出させる、あなたのお手紙が、とても嬉しかった、愛を誓った、たそがれの銀座、語りあかした横浜のクラブ、思いでのレストランで、なつかしむふたり ] 画面にテロップが流れて行く、高峰三枝子の懐メロらしい、聞くとはなく聞いていると、去年の五月に白浜で、殺人事件に巻き込まれて、解決をして。又あえる時も有るだろうと別れて来た、景子を何となく恋しく思い出していた。その月も過ぎ、十一月の初め頃。勝彦が一通の手紙を受け取った。裏を見ると景子と、書かれていた。 勝彦は胸をときめかしながら封を開けた。 《前略 勝彦様。お元気でお過ごしですか、私も元気で暮らしております。月日のたつのは早いもので、勝彦さんが白浜を発ってから、早や一年半もすぎました。貴方にお世話になった、日々が忘れられず、 私にとっては一年以上も、お付きあいが逢ったように思われます。貴方のことは忘れようと、いつも自分に言い聞かせてきましたが、女心の悲しさか、愛してしまった貴方をあきらめ切れず。今日まで、苦しくせつない気持ちを持ち続けて参りました。誠に身勝てを申しますが、思いでの、ロイヤルホテルにて、お待ち致しております。日時は勝彦さんにお任せ致します、ぜひご連絡下さい、今一度お会い下さるようお願い致します。 かしこ。》 と、女心のせつない気持ちをしたためてあった。手紙を読みながら、ふと勝彦はあのスナックで聞いた、あの再会の歌詞の二番を思い出して、景子に会えることの喜びで、いつの間にかくちずさんでいた。 「ふたりは、別れても、いつか会えると、信じていただけに、会えて嬉しかった、花にことよせ、忍び逢う京都、雨にことよせ、寄り添うた博多、すぎし日の、想い出を、なつかしむふたり」 勝彦も、今一度会いたいなーと、思っていたので、グットタイミングである。早速その足で勝彦は景子に電話をして、会える日を約束した。景子が白浜を後にして、黒潮二号の指定席に座っていた。 車中より見える風景は、勝彦とふたりで車を走らせながら、見た風景と重なり合って、あの日々の想い出がよみがえり、熱い思いが込み上げてきて、逢えることの嬉しさに目頭も潤み、目に映る海山の景色もぼんやりと、 頭の中を駆け抜けていた。心の中で、景子は、恋しい勝彦の名を呼んでいた。会える喜びを胸に秘めながら、 ロイヤルホテルへ、景子の心が早くも飛んでいった。 そのころ。勝彦は景子に会えるのを楽しみに、仕事の手配も終えて。グレーのWのスーツを着込み。勝彦自慢のジヤガーのXJ-Sで、阪神高速に乗りロイヤルホテルの玄関へ車を走らせていた。勝彦は走りながら、 わたしたち赤い糸で結ばれづ、赤い車で結ばれたのね。と言った景子の言葉を思い出していた。 景子は、先に着いていていてロビーで、勝彦の来るのを待っていた。車を降りた勝彦が、ロビーに入って行く。景子の目に勝彦の姿が映る。勝彦と景子の目と目があった。無言のままで見つめあっていた。 時間が長く感じた。今日の彼女の装いは、髪をアップに結い、大島紬に鴛鳥の刺繍をした、えんじ色の帯びを締めて立っていた。あの白浜でマセラッティに乗っていた、近代的な雰囲気とは違って、別人のようなしとやかな色香が漂っていて。竹久夢二の絵の中から抜け出たような。粋な姿で立っていた。 景子の目には懐かしさと、恋しさが入り交じって、目頭が熱くなり、涙があふれでていた。彼女の涙を見て、勝彦もなぜか目頭が熱くなって、ふたりとも、なにから話をしていいのかわからず、しばらく無言のまま見つめあってロビーの片隅で座っていた。しばらくたって勝彦がくちを開いた。 「景子、元気にしていたか。あの時お前の言葉を振り切って、無理に出港して以来、お前のことが何時も気がかりになっていたんやー、お前を忘れた訳でもない。仕事のことや、妻子のこともいろいろあってなー。連絡も、電話もせづに、すまなかったなー。」 景子は黙って勝彦の言葉を聞いていた。貴方以上に私も苦しんだの、貴方には大事な子供さんと奥さんもいることも、道ならぬ恋やと言うことも、わかりながらも恋しい心が燃え上がり、忘れようと、わかっていても忘られず、苦しんだのよと言をうとしたが。ぐっと飲み込んで、勝彦さん。 「今日、貴方にあえて、ほんとに嬉しいわ。わがままかも知れないけれど私といっしょの時は、家の事やほかの事は考えないで、わたしのことだけ思ってほしいの、お願い。」 とつぶやくように言うのが精一杯だった。 「よっしやー、わかった。家の事言うて悪かったなー、気分悪るくするなよ、そんなつもりで言うたんと違う。お前といる時は、何もかも忘れて、景子のことだけを思うようにするからな。」 「勝彦さん、むりなこと、言ってごめんね。」 「いやいや、よけいな気を使かわして悪かったな、お前といっしにいる時は景子俺はお前の夫のつもりでいる。ところで景子お前その和服。良う似おて別人に見える、大和なでしこそのものや、しばらく見んうちにえらい別嬪さんになって見違えたなー。」 「ひやかさんといて。これ勝彦さんに見てもらいたくって着て来たの。」 と景子はにっこりわらって、立ち上がり、くるりとまわって見せた。二人がいつのまにか、一年半の歳月を瞬時にして互いの心も通いあったのか、打ち解けていった。部屋に入り、フランス料理をオーダして、ふたりの再会を祝って、シャンペンで乾杯をした。 「景子、ところでお前と、あの事件の時大山をさがしに京都へ行ったやろう、あの時運転していてふと思うたことあったんや。」 「なに思うたの。聞かせて聞かせて、聞かせてほしいなー。」 「お前にな和服を着せて、一度京都の古都をふたりで、そぞろ歩きをしたいなーと思うたんや。ちょうど、今日は和服も着ているし、あした、京都へ行かへんか。秋の京都は美しいで。」 「ほんと。京都へ連れて行ってくれるの、勝彦さん、あの時そんなこと思っていたなんて知らなかったわ。 嬉しいわ、わたし和服着て来てよかったんよね。今ごろの京都は紅葉もきれいやろね。」 「よっしや、明日は京都や。秋たけなわの紅葉や楓が美しいで。」 「電話いただいた時に、勝彦さん仕事の都合で予定はわからないって、言ってたでしょう。あってから決めればと思ってたの、私し貴方と一緒にいるだけで幸せなの、明日は私に付きあって下さるの。」 「景子、明日と後日はお前と一緒や、仲ようしようやー。」 「嬉しい良かった、2日間は勝彦さんは、私のものなのね。」 と景子が。ほほえみながら、おくれ毛をそっとかき上げた。細く白い指に、きらっと光る真珠の指輪を見ながら、勝彦は初めて会った時よりも、尚いっそう、きらきらと、輝いて見える景子の和服姿に見とれながら、一年半ぶりの再会に、夜も更けるのも忘れて。久しぶりの、二人だけの熱い世界に酔いしれていった。 2章 紅葉狩り。 |TOPへ| 勝彦は。大阪を後に景子を車に乗せて。環状線より名神高速を乗り継いで、紅葉で有名な、京都は東福寺の駐車場に車を止めた。東福寺の山門をくぐり左に曲がれば、今が盛りと真っ赤な紅葉や楓の葉が一面に広がっていて、秋一色に染まっている。その舞落ちた落ち葉を踏みしめて歩いて行き、谷あいに掛かる橋にでた。 この上からながめていると。時より吹く風に乗って、ひらひらと景子の髪の毛や襟足に降りかかる舞落ち葉。 秋の日のこぼれ陽が、木ノ葉の間から差し込んで谷間の流れに照り返されて、きらきらと美しく輝いていた。しばらく紅葉を見物した後。二人は東福寺を後にして、東山七条通りを東に進む。空也上人で有名な六波蘿蜜寺が有り、参詣をする。 この本堂は、南北朝時代の建物で重要文化財に指定されていた。 中には空也上人の立像や平清盛座像を始、自蔵菩薩の立像やその他の仏の座像がいくつか並んでいた。 これより嵯峨野へ行こうと丸太町通りに出た。仙洞御所を右に見て、西大路を右に折れ、途中石庭で有名な、 竜安寺に拠ることにした。ふたりして竜安寺の、ぬれ縁に座り、石庭を眺めながら心静かに飲んだ。抹茶の味は、とてもおいしく古都の風情にひたりながらの、ひとときが過ぎて嵐山についたのは午後十二時を過ぎていた。 渡月橋の見える、川沿いの料亭嵯峨で食事にする。やがて名物の、湯どうふが運ばれて来て、差し向かいで座る。京都は嵯峨野と南禅寺通りに有名な、湯どうふの店が、数多く並んでいて京名物の一つになっている。景子はひざの上にハンカチを置いて、ふきんを持って土鍋の蓋を開けて、戴きましょうかと言った。 とうふを、たれの入った小皿にうつし、ふうふう言いながら、とうふを肴に、銚子二本の酒をさしつさされつ、湯どうふを食べながら。 「勝彦さんとってもおいしいわ、白浜にいてると、湯どうふなんか、出してる、お店なんかないもの。」 「あっさりしてうまいやろ、腹も大きくなったし、これから時間のあるだけ嵯峨野の巡りと行きまっかー。 ところで景子今夜の泊まりやが俺の昔の知り合いが、ちょつと遠いが鞍馬の貴船で旅館をしている。 良かったらそこへ泊まろうか?。景子に喜んでもらえるかどうかわからんけどなー、お前の和服姿は、 この旅館の風情にぴったりあいまっせー、どないですやろ景子はん。」 「おおきに勝彦はん、ほんなら、その旅館によろしゅうたのんますえー。」 「景子いきなり京女に、早変わりやな。そんなら景子はん、これから予約して、ふたりの道行きと、手に手を取って行きまようかー」 と冗談を言いつつ、ふたりは店の表に出た。 駐車場に車を置いて。嵯峨野路は、ぶらりぶらと肩寄せ合って歩いて行く。天龍寺の庭園をそぞろ歩きで通り抜けて、野々宮神社をながめつつ、落柿舎の柿の木を見て、嵯峨野の竹林をくぐり抜けて行く、常寂光院や仁尊院を見ながら、平家ゆかりの祇王寺と滝口寺も見物して、千灯供養で有名な化野念仏寺にたちより、我々ふたりに幸有れと、線香とロウソクを供えて、手を合わす、そんなふたりの影を、秋の日差しの木洩れ日がうつしていた。階段を降りると、嵯峨野の竹細工の土産屋が、両脇にたくさん並んでいる。ひやかしながら見て歩き、嵯峨野竹で作った一輪挿しの竹駕篭を土産に買う。嵯峨野巡りの最後は、大覚寺へ行くことにした。 ふたりは疲れた足を休めようと《甘酒おうす》の、のれんが、かけてある、茶店風の店に入り、赤毛氈の敷いた、床に座わった。景子はお茶を飲みながら。 「勝彦さん、京都は良く知っているのね、今日一日貴方に案内していただいて、この嵯峨野路をふたりで歩けて、うれしかったわ。」 「京都は俺の青春時代の古里や、学生の頃は京都に下宿をしていて、あの頃、安保反対運動が盛んでなー、よくデモに参加して、ゲバ棒振り回して暴れたもんや、遠い昔のことやった。今夜泊まる旅館も、その頃知り合った知人の親父さんがやっているんや。」 「そうそれでくわしいのね、勝彦さんの青春時代の故里だったのね。ゲバ棒振り回している、若いころの勝彦さんを、見たかったわ。」 と言って勝彦の顔をみた。陽も早や西に傾き、杉の木立の間から、紅れない色の夕日が、赤毛氈に座っている景子の姿を鮮やかに照らし、美しいシルエットをかもしだしていた。大覚寺の庭園前で、タクシーを拾って駐車場に帰ってきたのは、五時を過ぎていた。 三章 貴船の宿。 |TOPへ| 車を飛ばして北大路を東に向い、鴨川沿いを走り抜ける。 鞍馬山のふもとの秋の陽は早く、釣瓶落に日が落ちてライトを付けながら、貴船の旅館に着いた時はすでに暗くなっていた。予約をしていた宿は、京都の離れにふさわしく数寄屋風の建物で、古都の風情が漂っていた。 どうぞこちらへと、通うされたのは静かな離れの座敷で、裏の障子を開ければ、広縁が有り、貴船川の流れが静に流れている。部屋に入ったふたりの前に、お茶を出して、どうぞお名前をと言いながら、女中さんが宿帳を差し出した。勝彦がペンを取り、藤堂勝彦と書き、少し間をおいて、景子の方を見ながら妻《景子》としたためた。ありがとう御座いました。と言いながら女中が下がって行った。 ふたりになって、勝彦は景子の顔を見ながら言った。 「景子、この旅館お前の和服に良う似合うやろ、気に入ってくれたか。」 「わたし良く似合ってる、純和風で静かなとこね、勝彦さんありがとう。」 「秋の夜長や、ゆっくりと楽しもう。雨戸を開ければ川の流れが美しいで。」 「流れの音を聞くと落ち着けるはね、勝彦さん今夜は最高に幸せよ。」 「この辺りは、夏は夕涼みで賑わって、川床料理で有名なところや。」 ふたりでぼんぼりに照らされた川の流れを眺めていると。女中さんが入って来た。 「おいでやす、今日は、京都の秋を見てきやはりましたんか、嵯峨野はよろしおますやろ、お風呂も沸かしておますので、お先にどうぞ、おふたりさんで、入られますよって、ごゆっくりどうぞ。お食事は、お風呂から上がって来はりました時に、ごよおいさして戴きます。」 と言って部屋を出て行った。 「景子、風呂に行こう、一緒に入られるそうやで。」 「そう、勝彦さんと、いっしよに入るのはずかしいなー。」 「恥ずかしいやなんて、何を言うてるんや、宿帳に妻景子と書いたやないか、ひとりづつ入ると、かえって変に思われるで。」 「そうよね、妻って書いてくれてうれしかった。勝彦さんとお風呂に入るの初めて、ふたりで入って勝彦さんの背中流してあげるわ。」 と言いつつ、ゆかたに着替えて、景子は風呂に行く支度を始めた。勝彦も着替えを出して景子と連れ立って風呂に行く、ドアーを開けると風呂の中は湯煙りが立ち込めていた。湯船は檜木で造られていて、近ごろのホテルや旅館には無い造りだ。勝彦は、かかり湯をして湯船に入って行った。景子は恥ずかしそうに、少しはなれて湯船に身体をゆっくりとしずめた。ふたりは無言のまま、川のせせらぎを、湯船のなかで、しばし聞いていた。 先に、風呂から上がった勝彦は、広縁に出て、火照った身体に風を当てて、風呂で見た。景子の白く、透きとおるような肌を思いだしながら、広縁に腰をかけて湯上がりにビールを飲み干した。しばらくして、景子がお待ちどう様と、言いつつ部屋に入って来て、勝彦の前に座った。コップを出してビールをついでやる、あり難うと言いつつ景子はひとくち飲んだ。そんな景子の身体からぷーんと、湯上がりのほのかな香りがした。 しばらくして、女中が食事を運んできた。見ていると手早く座卓に料理が並べられる。献立を見ると、豪華な京料理だ。先付は。飯蛸の煮物に、散らし木の芽、前菜は。花びらゆり根に、あゆの塩焼き、焼き松茸、八寸は。あまごと小袖寿司、鯛の子とウニ、吸物は。鯛潮仕立、いかと鯛重ね造り。鰤のてり焼き、揚げ物は。 采類包み揚げ、松茸と湯葉。酢の物は、ほたるいかの味噌掛け、松茸茶椀蒸。香の物は三種盛り。秋の味覚の豪華な夕食だ。 「お待たせ致しました。お支度ととのいましたんで、後は奥様よろしくお願い致します。すぐにお酒もおもち致します。」 と言って女中は下がって行った。勝彦は景子の方を見て。 「それでは、奥様お食事に致しましょうか。」 「貴方様、お相伴致します。」 と景子は笑いながら、物凄い御馳走ね、と言った。ふたりが座卓の前に向かい合わせに座ると、女中が失礼致しますと、言いつつ銚子を運んで来た。お客様。これは当家の主人より召し上がって戴くようにと申しつかって、お持ち致しましたと。伏見の地酒をもって来て。 「恐れ入りますが、食事が終わりましたら、そこに御座いますお電話でフロントにお知らせ下さいませ。ではごゆっくりどうぞ。」 と、言って下がって行った。 「景子、まず、乾杯しょうや。」 「有り難う御座います、何時迄も貴方の愛が続きますように、乾杯。」 と杯を干し、貴船の夜は。飲むほとに酔うほどに、ふたりのを愛も深まり、熱く燃えて行った。 かすかに聞こえる、川のせせらぎの音を聞きながら、ゆっくりと時が過ぎて行き、食事も終わって。肴と酒を残して、お膳を下げてもらい。ふたりが最高の気分になって、宿の亭主の差し入れの酒を、ちびりちびりと飲んでいると。本館の方では、数人のお客が宴会をしているらしく、時々カラオケの歌が聞こえてくる。聞くとも無く聞きながら、歌を肴にさかずきを傾けていた。景子も勝彦も互いの愛に酔いしれて、幸せをかみしめていた。 がしばらくすると、(かくれ宿)の歌詞が聞こえて来た。 [別れましょうと、言いながら、逢えば命が火ともえて、罪を重ねてあぁぁーきたふたり。いいの私は宿帳だけに、添うて淋しい仮の妻] 聞いていた、景子は、突然涙ぐんだ。 「勝彦さん、あの歌の歌詞、聞いていると私の身の上と同じなの、せつなくて、せつなくて、やるせなくて、 いたたまれなくって。」 と景子が、かくれ宿の歌詞と、自分の気持ちが重なりあって。あわせ鏡を見るような、そんな気持ちになったのか、流れる涙をぬぐいもせづ、身をすりよせて来た。そんな景子がいとおしく、力の限り引き寄せて抱き締めた。景子の髪の毛の、淡い香が漂って、勝彦の目にも熱いものが込み上げて来た。景子は、勝彦の胸の中に顔を沈めて、こらえていたものが、どっと関を切ったように、声を上げて泣きじゃくりながら。 「忘れよう、あきらめよう、と思っていても忘れようにも、忘れられず、こんなに苦しい気持ちになるなら、勝彦さんに車の修理をしてもらい、あんな出会いをしなければ、こんなにもこんなにも、くる日もくる日も、苦しまずに済んだもの、あの日のことが恨めしい。」 と、力の限り抱きついて来た。勝彦もそんな景子が、可愛くせつなくて、愛らしくなってしばらくは無言で抱きしめていたが。 「景子もう泣くな。お前がそんなに泣いたら、俺も悲しくなって来て、どおしたらええんか、わからんようになるやないか、お前の切ないその気持ち、俺もお前とおんなじや、景子今夜は朝まではなさへん、涙をふいて、 もう泣くな。」 すがりついて、泣きじやくっていた景子も、勝彦の気持ちがわかったのか、しばらくたって、すすり泣きにと変わっていった。 「勝彦さん、女心って悲しいもの、わかっていても、わかっていても、恋なんて二度とすまいと、思っていたのに、貴方を好きになって、苦しくってあいたくって、恋なんてこんなにも、こんなにも、女ってかなしいのね。」 「景子、人を好きになると、楽しく苦しく、嬉しいことや悲しいことが代わる代わるにまわってくる、楽しいこと、嬉しいことだけを心に残して、他のことは、この貴船の宿に捨てて行こう。」 「そうよね、ほんとよね、勝彦さんの言う通り、楽しいことや嬉しいことを心に残すようにして、後のことは忘れてしまうわ、だからいつまでもいつまでも愛してね、離さないでね。」 愛しているから離さないでねと無理にでも分かろうとしている、景子の愛情がなおいっそういとうしくなり、 その愛情に答えられない自分自身に、勝彦は腹立たしく思った。勝彦と景子はいつまでも、いつまでも抱き合っていた。本館では、いつのまにか宴会も済んで、カラオケの声も今は無く。貴船川の瀬音と秋の虫の音に包まれて、ふたりの貴船の夜はしだいに深けて行った。 再開 終 仲間とキヤビンで |TOPへ| その年の初冬の日曜日、天候は晴れ、北西の風、14ノット、艇は気持ちよく大阪湾を、滑って行く今日は思ったより暖かく、コックピットで座っていても、あまり寒さがこたえて来ない。お湯を沸かして、コヒーを入れる。右にも左にも、今日は暖かいので、クラブの艇も数多く出ている。しばらく走っていると、神戸港の和田岬の灯台を右舷前方に見えてきた。此の辺りでタックをする。本船航路辺りで、大阪市の練習船あこがれの二本マストが見えた。港の突堤で大勢の釣り人が、糸をたれていた、それを左舷に見ながら、セィルを降ろして着岸準備にかかる。デイ、セイリングから帰って来て、勝彦が一人で、自艇のキヤビンでくつろいでいるころ、各艇もハーバに帰って来た。 キヤビンで勝彦がコヒーを飲みながら、今頃は景子がどうしているのかなーと、一月前に、 景子とふたりで秋の京都を歩いた時の思いでに、ひたっていた。 船窓から見ると、茜色に染まった、鰯雲が冬の訪れを告げている夕暮れ時。西日が停泊しているヨットのマストに照り返して。きらきらと輝いて見えた。 その時いっしゆん船がゆれた。 デッキを踏む足音がして、いつもの、愉快なヨット仲間が集まって来た。キヤビンに誘って、酒を飲みながら、何時もながらの、とりとめの無い話でにぎあうが。今宵は何時もとちがっていた。なぜかつやっぽい話になってきて、海野の思いで話が始まった。蒸し暑さにふと目が覚める、時計を見ると午前2時。 彼女の寝息がうっすらと聞こえてくる。眠れぬまま、酔いざましの水を飲む。障子を開け広縁に出る。夜景が美しい、窓を開け、たばこに火を付けながら椅子に腰をかけて夜空を見上げる。下弦の月が水面に映えて静かな波間を照らし、美しく輝いている。桟橋にもやった、ヨットのマストがゆっくりと揺れ、遠く岬の先端に有る灯台の白い明かりが、3〜4秒置きに光って見えている。その手前の行路ブイの赤い明かりが微かに見えている、 白と赤の明かりが重なりあって美しい、このまま切り取って額に入れて飾っておきたいほどだ。 右手を見ると、町並みのビルより、こぼれた灯かりが、月の光に負けずと、きらりきらりと輝いて見える。汗ばんだ身体を、夜風にさらしながら見ていると、この光景は遠い昔、おぼろげに夢の中で愛しい女と、二人で見たような気がして来て不思議なものだ。月の光がロマンチックな気分にしてくれる。現実に、この場に、愛しい女と二人でいるのに。これも夢なのか、なぜ彼女と二人で、肩を寄せ合いながら、この月を見れないのか、夢の中では見ていたはずなのに、すやすやと眠っている彼女に、声を掛けて二人で見れば幸せなのに、声をかけ、肩寄せ会えば彼女の心を苦しめはしないかと、心が痛む。この光景を見ているのは、私一人でいいのだと自分に言い聞かしながら長い人生の中で、こんな気持ちで人を愛し、恋しく成ったのは初めてなのか、このような気持ちはせつなく、苦しく、何を言っても表現出来ない〃恋は愛する彼女にあたへるもの、決してせがむものでもない。 と自分に言い聞かせる。彼女に対する恋心は、自分の心の奥に閉まった、秘め事なのか。自分に取って、一番大事な宝物を自分の手から、こぼれ落ちるのが、怖いから何も言えないのか?。 彼女の幸せは、私の幸せでもある。愛すると言うことは、彼女の幸せを祈る事なのだ、彼女に声をかけると、今までの思いが、がたがたと音を立てて崩れて行く。そのような思いが頭を駆け巡る。甘くせつなく。苦しく。ほろ苦い思いが。一刻一刻と時を刻む。このままいつまでも夜が明けずに、時間が泊まってほしい。たばこの紫煙が、音も立てずにほのかに漂って行く。小一時間も過ぎたころ、心も気も取り直して、この幸せを噛み締めつつ、わたしの愛しい彼女の寝顔を見ながら、私も眠りについたと。 薄暗いキヤビンライトに照らされながら、 遠い昔の思い出話を、酒を飲みながら、ほろ酔いきげんで海野さんが淡々と語った。 酒を飲みながら、その話を聞き入っていた、皆んなも、ほのかに昔の若かりし、遠い昔のころを思いだしながら酒を酌み交わしていた。勝彦も、景子との思いでが、走馬灯のように、頭の中によみがえり、貴船の宿で、 言った景子の言葉が思い出されて、なぜか熱いものが、込み上げて来た。人それぞれの、生きて来た過去があり、楽しいことや、苦しい時も長い人生には有るものだ。一息ついて、海野の側にいた山野がくちを切った。 「しかし海野さん、顔に似合わずロマンチックな事があったんやなー。」 皆んなで顔を見合わながら海野の顔を見る。にこにこ笑いながら海野が言った。 「いやいや遠い昔の話で。若い頃の思い出や、実のところあの夜の事は後から考えると、あほらしかったなー。据え膳食わねば男の恥やと言う格言もあるし、あんな気持ちに成ったのは、あの夜の月のせいやなー。」 月の光が海野の心をロマンチックにしてくれたのだ。聞いていて、その後、彼女とどなったんや、その続きを聞かせてほしいな、と皆んなが顔を寄せ合って海野を見つめた。船窓から外を見ると、日もとっぷりと暮れて、 今夜も、海野の語った話のように下弦の月が、こうこうと輝いて、波間を照らしていた。いつもは男同士の取り留めのないヨット談義の話だが、今夜の海野のヨット談議は、いつもと違い一輪の温もりがあった。 しばらく沈黙した後、海野はくちを開いた。 「その後彼女と、しばらく付き合っていたんやが、あの日以来どうも、好きやと、たった一言、言い出せんまま時間が過ぎてしもうてなー、今で言う。友達以上恋人未満。そんな付き合いで、づずるずると歳月が過ぎ去ってしもうたわー。」 あの夜の、月の光を見て。あまりにもロマンチックな気分に成ったのが間違いだと後で後悔したらしい。 月の輝きが人の心にそんなに影響するものなのか?昔話のかぐや姫、月の砂漠、その他東に西に、世界各国に月にかかわるロマンチックな話が数々ある、海野さんの話もその内の一つだろう。 海野がそっとつぶやいた。 「そんなある年の秋半ば。出先から帰って、いつものように郵便受けの中をのぞくと、白い角封筒、結婚の招待状や。封を切ると彼女の名前が書いてある。目が点になる、恐る恐る新郎の名前を見ると、全然知らない、 彼女から一言も聞いたことのない新郎の名前が印刷してある。招待状を持つ手が震える、添え状が同封していて、開いて見ると。彼女の字や。 《貴方に対する恋しい気持ちを分かって貰えないまま、今日になりました、たった一言、愛している離さないと言ってほしかった。これも未練な女心なのでしょうか、これまで貴方とふたりで過ごした、楽しかった日々の思い出を心にしまい、親が進めた結婚相手に嫁いで行きます。》と書いてある。 「何度も何度も読み返したが、まぎれもない彼女の字だ。そんな彼女の思いも知らないまま、過ぎた年月を悔やまれてならない、『くそったれ』たった一言、愛している、結婚しょうと言えなかった。 自分自身に腹が立ってなー。」 聞いていた勝彦が。 「それで海野さん、それから、どうなったんやー、うまい物は宵に食えやでー。」 「藤堂さん、そらあんたの言う通りや。」 と話を聞きながら、酒を飲んでいた、荒木が言った。 「そらそうやなー、藤堂さんや荒木さんの言うとうりや、俺やったら、海野さんのように、自分の気持ちを押さえて、後から腹立ててもしょうがないもんなー、やっぱりうまい物は宵に食えやで。」 と横から山野が言った。 「それから海野さんどうなったんやな。」 しばらくして海野がくちを開いた。 「あんまりええかっこしすぎたわー、そんなもんあほらしいて、彼女の結婚決まってから言われても後の祭りや、手紙も招待状も破ってしもーたわー。」 そばで勝彦が。 「そうやろなー、そらだれでも腹が立つなー。しかしほんまに好きやったら海野さん、その男と結婚せん前に彼女を連れ出して一緒に成ってしもうても良かったんと違うか。」 「藤堂さん、それも考えんこと無かったんやが、手に手を取って恋の道行と歌の文句や無いけど、先立つ物も無いし、仕事も一から探さな無いし、無い無いづくしではどうしょも無いしな。」 聞いていた荒木が口をはさんだ。 「そら歌の文句みたいにいかんはな、先立つ物はなければなー。」 それを聞いて海野が言う、 「しかし、これも遠い遠い昔の思い出話や、人間永いことやって居るといろんな事があるでー。島倉千代子の歌やないが人生いろいろや。若かりし頃の思い出や、今夜の月の光で、忘れていた、遠い昔の思い出が昨日のようによみがえって、えらいロマンチックな気持ちになってしもうたわー。」 山野がくちをはさんだ。 「しかし海野さん、その時彼女と一緒になっていたら、『わたしはこれで(小指)ヨットをやめました』となってるか?、それともヨットで彼女と世界一周かわからんけどなー?、それから彼女と、どうなったんや海野さん聞かせて。」 「夫婦で世界一周行ってもケンカして別れた人もいるもんなー。」 と荒木が言った。聞いていた山野が口を出した。 「荒木さんあんたも知っているやろう、こんな話し、女にぼけてヨットやめてしもうてそれだけやったら、救われるれど、子供も有るのに嫁さんと別れてしまい、その女とも別れてしまって、結局は何にもなしや。」 そばから荒木が口を挟んだ。 「そやそや、そんな話聞いたことがあったなー、ところでこの頃、彼の顔みんなー。 どうしているんやろなー。?」 それを聞いて皆が現在の彼の事は知らないと言った。一息付いて海野が言った。 「山野さん、あんたも以前ん今の奥さんと知り合う前に付き合っていた彼女と4〜5年前に、ぱったりと道で会い、偉い盛り上がったと言ってたなー。」 「海野さん俺そんなこと言ったかなー。」 側から皆が聞き耳立てる。 「そら山野さん、あんたは忘れてしもうてんや、ずうっと以前の事やったがなー、その彼女も今は他人の人の妻で、お互いに現在は幸せに暮らしているが、もしも別れたり、死別したりしたと時は、違いに力に成ろうと約束したと言ったやろ。」 「そやそや思い出した、そんなこと言ったことあったなー。」 「思い出したやろ、山野さん、その後彼女とどうなったんや。」 「海野さん、皆にばらしてしやないなー、その後は彼女とあってない。」 ふたりの話を黙って聞いていた勝彦は人それぞれの、思い出が有るものや、自分も現在、景子と罪な恋をしているが、互いに悪いと思いつつどうすることも出来ない事も現実であり、人を愛する心は幾つになっても同じものだと思い心が痛んだ。そして海野と山野の話は続いていた。 「そやそや、私の知っている人で2〜3人(小指)でヨットやめてしもたもんなー。」 そばで勝彦もあいずちをうって。 「ほんまやほんまや、ほんなら海野さん、今の奥さん、この話の人と違うんやなー。」 海野が言う。 「そらそうやー、そやから人生いろいろや、捨てる神有ればひらう神ありや。」 聞いていた三人が、杯を空けながら、海野さんの話を肴に、飲むほどに酔うほどに、話が弾む、海野さんに酒をつぎながら勝彦が言った。 「ほんなら海野さん、今の奥さんとの出会いを披露してやー、この時以上に燃え上がって一緒になったんやろーそれ聞きたいなー。」 皆に冷やかされながら海野さん、 「いやいやこれは、俺と家内だけの二人の秘密や、しかしあの夜に、彼女と一緒に成っていたら、今の幸せが無かったかも?、それとももっと楽しく暮らしていたかも?、そらわからんけどなー、現実に、皆んなと一緒に楽しく酒を酌み交わし、よもやま話に花咲かし、妻を愛して子供を愛し、おまけにヨットに楽しく乗れて、幸せ一杯胸一杯や、これも島倉千代子の歌やなー、今宵はいい気持ちで酔うてしまうたわー。」 聞いていた皆んなで笑いながら言った。 「結局最後は海野さんの、のろけかいなー、おおきにおおきに。」 話終わって海野さんが。 「ところで皆さん、月夜のように月の良く照っている夜はタヌキが出てくるでー、化されんように、まゆつばまゆつば、この話もタヌキの尾っぽが見え隠れしているでー。」 荒木にしても、心に秘めた恋心を抱いているのかもしれない、多かれ少なかれ、この世の中は男と女、互いに恋して苦しんで、生まれて来た喜びを噛み締めて、初めが有れば終わりが有る。何時果てるとも心残りのないように、生きて行ければ幸せである。男同士のたわいも無いこんな話も、酒の肴にしながら、楽しく過ごせる一時を持つことの出来る幸せを噛み締みしめて。酒を飲みながら夜も更けるのも忘れて、楽しい連中がいつまでも話し込んでいた。空には海野さんの話のように。今夜も月がこうこうと輝いていて、静かな水面を照らしていた。 仲間とキャビンで 終 |TOPへ| 原作 上田 孝 |