1996年5月  ブルーシーガルY オーナー:上田 孝


1996年5月連休、本島航海


 5月2日、
午後8時30分に泉大津を出港。ブルーシーガルの乗員は私と家内、私の弟それに弟の友人和昭の4名だ。同行艇は土屋さんのウエルカム。
ウエルカムは、午後8時少し前に夫婦二人のWハンドで先行きしている、その1時間前に時田さんのサクセスが出港している。月明かりの中、明石海峡に進路を取る。レーダーを回すと本船がよく写る、この艇でレーダーを使ったのは2度目だ。北よりの見かけ風10ノット、リーチングで進、夜なのでメィン一本で機帆走でエンジン回転2,200、7ノット強で進む、夜行虫が美しく艇の回りを照らしている、波頭の砕け波も光っている。本船航路を過ぎたあたりで風が少しダウン、しばらく進とウエルカムらしい船影が、波間に見え隠れして時々レーダーに写る。満月の輝く夜空を眺めながらコーヒーを飲む、しばらくして家内がキヤビンへ消えて行った。海峡1マイル手前でウエルカムに追いつく。逆潮なので艇速はのびない、1時30分頃明石海峡を通過、ウエルカムが後についてくる、橋を越えたあたりで真向より、かなり強い潮が責めてくる。
艇速7ノットGPSで見ると1,5ノットで進んでいる、江崎の灯台の明かりが何時迄も離れない、エンジン回転を2,600に上げる、1時間近く過ぎてGPSを見るとスピードが4ノットに上がってきた。サクセスが先行きしているはずだと思い430で呼んで見ると、我々の後らしい、私と土屋さんの後に付いているとの事。こちらから見るとウエルカムの航海灯が見えるが、サクセスの航海灯が街ち明かりの中に溶け込んで見えない。時田さんは橋を越えたあたりで灯台の明かりが止まったままで動かなくなったと言っている、ペラにフジツボが付いていて思うように進まないらしい、しばらく頑張るように伝えた。30分ほどして時田さんが、逆潮を乗り切れないので近くの港に入るか、泉大津に引き返すか、仮屋に行くと言って来た。無事を祈って我々は播磨灘へ進。大阪湾で吹いていた風も落ちて、月が左舷より前方に輝く、そんな中を本船航路ブイに沿って進んで行く。弟がキヤビンの中に消える、私と和昭の二人でオートヘルムにラットを任せてコックピットでうつらうつらと舟をこぐ、月明かりの中でうっすらと、右舷に家島群島の島々が見える、風も無く波も無い播磨灘。
ただ満月だけは輝いている静かな海。本船の航海灯だけが賑やかに前から後ろから見えてはいつしか消えて行く。3時前に弟が起きて来た、ワッチを任せて私はキヤビンの中で一眠り。目が覚めてコックピットに顔を出すと弟が一人でワッチをしていた。小豆島が右舷に見える、午前6時30分。しばらくすると家内も顔を出した、弟が朝の食事の支度をする、朝粥を3人で食べると体が暖かくなって来た。弟とワッチを交替をする。和昭がキヤビンで高鼾。朝日が美しくスターンで輝いている。そんな中を漁船が潮に差からいながら、数隻出て網を引いている。本船と漁船を交わしながら高松沖を潮に乗って9ノット近いスピードで進。ここでも漁船が網ブイの中を行ったり来りしながら漁労中。
豊島の横手でウエルカムより無線が入る、漁労中の漁船の中での航行中でラットを離せない、家内に無線に出てもらう。エンジンの噴射ポンプのパイプが破損、燃料がこぼれてエンジンボックスが燃料だらけになり、回転が1,500しか上がらない、黒煙が吹いていると言って来た。ラットを家内に持たせて、再度様子を聞いて航行無理だと判断して、現在位置を聞くと、小豆島の西の端らしい、急遽引き返す。土屋さんは二人で我々ほど寝ていないのにエンジントラブルで心細いだろうと思う。Uターンして1時間ほどするとウエルカムの船影を発見。潮に押されてだいぶ西まで流されていた、予備のパイプを積んでいるが曲がり角度が合わないらしい。曳航して高松の港に向かう。粟島で3日に会おうと約束をしていた「ほのぼの」の河田さんや、K&Kの石田さんに、事情を電話で説明をする、石田さんのアドバイスでトーチランプで焼き曲げするとのこと。治れば明日本島に向かうと告げる。高松港内でウエルカムを横抱きにして午前9時過ぎに着岸。早速弟が自転車を借りて、トーチランプを買って来た、予備のパイプを炙りながら角度を会わし土屋さんに渡す、それをエンジンの取り付け角度を見ながらもう少し右だ、下だと、土屋さんの指示に従って3回ほど炙り曲げをしてほぼ完璧に仕上がる。祈る気持ちで土屋さんが取り付けた。セルを回す一発でエンジンが息を吹き返した。修理完了11時。昼食は焼きそばとお握りを食べて、再度土屋さんがアンカーを打ち直す。午後から琴電に乗って金毘羅参詣に行くことにした。何が幸か不幸か分からない家内も土屋さんの奥さんも金毘羅さんは初めてだ。参道は連休のせいか善男善女で大勢の参拝者だ、参道をアイスクリームをほうばりながら、皆そろって階段を汗かきながら上り詰めて、海上安全家内安全、商売繁盛と、少ない賽銭で無理なお願いをする。参詣済ましてお札を買い、土産物屋を冷やかしながら帰って来たときは潮が引いて艇に乗れない。早速土屋さんがハシゴを探して来て無事に艇に乗る事ができた。いつもの銭湯に行き一汗流して帰って来たときは、少し潮も上がっていた、夕食は6人皆でうどん好きで一杯飲んで、疲れていたので11時過ぎには散会した。

4日午前8時にもやいを解く、ウエルカムのエンジンが調子が良い、つものように機嫌良く回っている。港を出ると北の風、アビームで風が良くジブとメィンで7ノットで走る、ウエルカムと2艇並んで本島に向かう。ふとキャビンを見ると床上に水があふれている、絨毯がびしょ濡れだ、ヒールをしたので左舷側に一杯の水、調べて見ると飲料水のホースが外れてポンプが回りっぱなしに成っている、一昨日浄水器を取り付けた時の、配管が便り無い紺屋の白袴でいつでも出来ると思っていたのが間違いだ。ポンプのスイッチを切り、ビルジーポンプでくみ出すが、いくら汲んでもなかなか減らない、結局30分ほど掛かった。瀬戸大橋にかかるころには風も落ちてエンジンを回すが潮に乗っていてスピードが変わらない、午前10時30分頃に入港する、もやいを取って早速フロアの絨毯を取り払い乾かすが天気が悪い。土屋さんのホースを借りて私のホースと2本繋ぐと60bぐいになる、それを使ってレストランから水貰い、水の出が悪く40分ほど罹って満タン。結局満タンで250lの水を高松1/3ほど使い残っていた水がみな零れていてタンクの中は空っぽに成っていた。しばらくするとK&Kの石田さんが入港した。ウエルカムの右舷側にもやいを取っていると、「ほのぼの」の河田さんも入港した。河田さんが先月の28日に出島を出港して粟島を起点として優雅に塩飽諸島のクルージングを楽しんだらしい。石田さんは1日に出港し瀬戸大橋を過ぎた当たりでホンダワラノ塊とロープがスクリュウに巻き付いて航行不能、偉い災難に逢ったらしい。日和が下り坂なので、雨よけのテントを張る、昼飯は港の前のレストンで済まして、レンタル自転車で島巡りと思っていたが、小雨が振り出した、傘を差して総員8名、ぞろぞろと塩飽勤番所を見物に行く、館内には信長や秀吉始家康の朱印状や大岡越前の裁きの覚書などが有り、瀬戸内では独立して政権を取っていた島らしい、その於母影が残っていた。艇にかえってしばらくすると雨が本降りになって来た。午後6時30分ホテルの風呂へ皆そろって行くロビーで聞くと一人¥500円、昨年来た時は島の住人以外は¥1,000だった。今年は変わって安くなったのか?、タオルまで貸てくれた。6Fの展望風呂から見た瀬戸大橋は美しい。艇に帰っても雨が止まない艇の気圧計も下がったままだ、テレビの天気予報では明日の昼前まで雨が残るらしい予報である。夕食はいつもながらのブルーシーガルの得意とする鳥ナベだ、たらふく食って飲んで午前さんでお開きだ。
 
5日、午前6時に目が覚める、天気予報より早い時間に雨が上がっていた。カッパを着らずに航行できる運が良い、これも金毘羅さんの御利益か。昨夜四国テレビ言っていた本島の朝市の開催時間が7時30分だと言っていた、それに逢わせて港に上がる、朝市には塩飽本島水軍市場と大きな幟を上げてある。ホテルの泊客も出て来ている、皆そろって買い物をする、弟が大きな活けのヒラメを¥3,800円に値切って買い込んだ。艇に戻って朝飯食って出港準備に取り掛かる。今日は小豆島の内海だ。午前9時にK&Kが飛び出した。続いて
「ほのぼの」も出港した、我々も10時前にもやいを解く、少し差潮ぎみだが風が良い、ランニングからコウターリ、瀬戸大橋を少し過ぎたころには潮の流れが変わって押してくれる、風もだんだん強くなる、高松沖を過ぎたころランニングで走っていても見かけの風で風速計は12ノットを指していた。石田さんがワンポンリーフのメィンだけで走っているが、無線でGPSで10ノットを越えたと言っている、その横手をフルメィンとジブでコウターリで追い抜いて行く、此の艇も此のぐらい吹けば良く走る。小豆島にかかるころ風が横手に回り込んでアビームに近い走りだ、25度近かくヒールする、波頭にバウが突っ込んで叩き出す、ブローで瞬間30度、風速計は22ノットまで上がってきた。後ろを見るとウエルカムも「ほのぼの」もメィンだけで走っている。小豆島の鼻を回れば内海だ、吹きおろしの風がきつくなる。無線がなる、風人の浦さんとビリカの2艇が家島を出て淡路の富島に行こうと思っていたが波浪警報が出ているので私たちもそちらに向かうと言って来た。島を回り込めば山からの吹きおろしで波がないがブローがきつい、セィルを降ろしてエンジンで進、内海は波も無く静かなものだ、草壁の桟橋を探す、私は草壁は初めてでどこに桟橋が有るのかわからない、奥まで突っ込んで引き返す。無事に桟橋にアンカーを落として鼻ずけする。着岸時間1時30分。桟橋には岸和田から来たヨット3艇と大きなモータボートが横付していた、順次各艇も桟橋に横付け停泊した。肉ジャガで遅い昼飯を食べて、コーヒーを飲んで、一息つく。家内と土屋さんの奥さんが、オリーブ園の見学に行く。しばらくすると、私の隣に西宮のHR36が入って来た、センターコックピットの本格的なクルージング艇だ。泉大津ですかと話かけて来た。話をすると世間は狭い、昨年この艇に乗り換えたらしい、以前の艇は現在当クラブの鍋島さんの艇らしい。家内と土屋さんの奥さんの帰りを待って、子供の日にちなんで柏餅を食べて一息入れるころ、風人とミリカが入港してきた。これで当クラブのヨットが6艇だ。5時過ぎにバスに乗って銭湯へ、一汗流してぶらぶらと歩いて帰る。桟橋に毛氈ならぬテントを挽いて、ヒラメの造りに焼き肉パーティーと洒落込んだ。10時過ぎに寒くなりキャビンに飛び込んだ。酔い醒ましにコーヒーを飲んで無駄話。12時前にボンクに入る。

6日、早朝、晴れ、6時にミリカと風人が飛び出した。7時にK&Kも出港した、それを見ながらいつもの通り茶粥を食べる。30分遅れで「ほのぼの」が出る、私たちもウエルカムと一緒に8時に出港した。内海を出ると風が北西、微風ながらどうにかセィルがはらむ、機帆走でエンジン回転2,600スピードメターで7ノット弱、潮に向かって走っている、GPSで5,6ノット、風が少し出て来た、最高のセイリング日和だが30分ほどで風が落ち、べた凪の播磨灘。オートヘルムの独占場だ、航路沿いに明石に向かう、天気が良いが肌寒い、後ろにウエルカムトと「ほのぼの」が付いてくる、明石の橋が薄ぼんやりと目に入る、前方にミリカと風人の船影が見えて来た、12時過ぎにカレーを食べる此のころに潮も変わって潮止まり、雲が出て来て寒くなる。しばらくすると潮に乗り出した、1時過ぎに海峡にかかるミリカを抜いて風人と並んて走る、警戒艇が出ている、左舷10時の方向にK&Kが走っている、橋げたの回りの警戒ブイが波をけたてている、GPSで12のノットあっと言う間に抜け切った、いよいよ大阪湾に入る、とたんに水が汚い。神戸沖を過ぎたころ北東の風が吹き出した、艇は7ノット強で進んでいる、泉大津の赤灯を左舷11時の方向に見る、だいぶ潮で南に流されたらしい、赤灯をクリヤ、K&Kも入って来た、それに続いてウエルカムト、風人、しばらくしてミリカ「ほのぼの」と全艇無事に帰って来た。あっと言う間の四日間でした。

                                       上田 孝記