平成6年8月吉日  ブルーシーガルY オーナー:上田 孝


北海道回航記



平成6年8月9日午前8時40分、天候は晴れ。大阪伊丹空港より機上の人となる。北海道は千歳空港到着。JR函館本線に乗って東室蘭駅着。先に送った用品を室蘭のエンルムマリーナ事務所へ取りに行き、艇に着いたのは午後2時過ぎ。二組に別れ、一組は前オーナーに借りたBMWで食料品等を調達。
残りの一組は用品の積み込みと、こちらから持って行ったGPSと無線器VHFと430メガの3台の配線に取りかかる。北海道は涼しいとは言え今年の暑さは大阪とあまり変わらない程だ。だが湿気は無くからりとしている。3時間ほどで仮設のアンテナを設置し配線工事等も済まし、買い物組を待つ。燃料も満タン、エンジンオイルもOK、燃料は艇内タンク150リッター、予備タンク4本約75リッター、水も満タン艇内250リッター。食料品を積み込んで午後6時頃クラブハウスでシャワーを浴びて午後6時30分もやいを解き。北海道を後に微風の中、西日を浴びながら、エンジンの音も軽ろやかに大阪向け出航。

 ここで今回の回航メンバーを紹介しょう。当クラブの遠藤君、元オズセーリングクラブのメンバーであった鈴木君、私の弟賢三、それと私の計4人。
ブルーシーガルYに成る艇はドイツ、デヘーラ社の36フィートCWS。新艇から3年3ヶ月。この艇に決めたきっかけは当クラブの火付け人、その一人が今回の回航に加わって居る、残る一人は土屋氏の新たに買った艇の回航に行く事になった。私もまだまだ買い替えのつもりは無かったのだが、現在の艇を遠藤君が乗ると言う。急に話がまとまり、北海道へ家内と回航10日ほど前に艇を見に来て、前オーナーがシングルハンドで大事に乗っていて何もいじっていないのが気に入った。しかしこの艇は30Sと違ってスポーツ性能が無く、ショートクルージングに向く艇だ、セルフタッキングジブで細かいセィルトリムなぞは必要が無く、小人数で操船が楽だ。今までの乗り方と違う扱いに成る、この艇はのんびり楽に乗れるが、風速5〜6b迄は30Sに敵わないだろう。船底及びバラストも上架して点検、ランニングリギン及びスタンディングリギン等も点検、異状無し。現時点でエンジン使用時間482時間、航続距離2,597マイル、手を入れずに、このままで大阪まで回航可能と判断。

 前オーナーは、室蘭外洋帆走クラブの会長をしていて、ヨット歴は20年程だと言う職業は歯科医。北海道では一年の内、乗れるのは半年間ぐらいらしい、この艇を手放す原因は、以前から一度はカタマランに乗りたくて、今回新に、35フィートのフランスのカタマランを契約し、この11日に横浜へ取りに行くとの事。我々が回航するならば太平洋上で、すれ違いに成る予定、ぎりぎりの日程でバース入れ替えと成る。彼と、そんな話の中からこの艇に決めてしまったが、大きな買い物で支払いに頭を悩まし四苦八苦してやっと決算した。 艇その他の機器の使用書も見る間もない慌ただしい出航だ。室蘭を後に青森県尻屋埼に進路を取る、風も波もないおまけに月も出ていない真の闇、ただエンジンの音だけが響く。しばらく行くと沖のほうに、イカ釣り漁船の明かりが点々と輝いている、闇の中、内浦湾及び津軽海峡を横切り、

10日午前3時頃尻屋埼沖を海峡の連潮に乗って太平洋側に流されながら8,5ノットぐらいで気持ちよく滑っている。進路を岩手県宮古沖に転進、日が上がるとかんかん照りの夏日和だ。相変わらず風が前から吹いている、夕方ごろより風も波もきつくなる、暗くならない内にと2ポイントリーフにする、しばらくすると風速計が瞬間、36ノット〜40ノットに達した、バウが波に持ち上がり大きく波をたたき出しデッキを洗い出す。こんなに吹いているのかなー と思いながらキヤノピーごしに顔を出す。たたくはずだ、大きな波頭が風に乗って砕け白く迫ってくる。バウで砕けた波がデッキをつたいキヤノピーに当たって横に流れている、キヤノピーの中に入って居るとあまり危機感が出て来ない。遠藤君がオイルスキンを着込んで、いざ鎌倉と、てぐすね引いて待ち受けるが、オートヘルムも良く働いて、彼の出番が無い。お蔭でカッパも着らずに過ごせる、スピードメーターを見ると6ノット強は走っているがGPSでは5ノットしか出ていない、黒潮の影響か波に押されてスピードが上がらない。

 10日午後10時過ぎ宮古沖を通過、塩屋埼に転進、強風の中、釜石、気仙沼沖通過、この波とこの風も朝方には嘘のように収まった。2ポンリーフを解きメィンハリヤードを上げる時に、電動ウインチの力が思ったよりも強力でハリヤード(ケブラ10_)を切ってしまった。メィンを失いエンジンのみでしばらく走っていたが太平洋の波の中でローリングとピッチングを繰り返す。このままでは大阪まで走れない。しばらく考えてトッピングリフトと思ったが細いので、スピーンハリヤードをマストの後ろに回してメンハリの代用にし、タッパが無いので再び2ポンリーフにして上げることにした。前からの風でもメィンが有ると無いのでは揺れ方が違う、これで何とか行けるだろう。VHF16チャンネルで八戸海上保安の情報を聞いていると、金華山沖の濃霧警報が相変わらず出ている、30〜35マイル沖出しをし本船航路の東側を走る。此処まで来ると濃霧が出ていない、視界も3〜4マイルは見える、だが黒潮を逆流に走ることになった。津軽海峡で貯金をしていた時間がこれで帳消しとなる。
 
11日午前10時頃金華山沖通過、その後磯に戻して黒潮の反流に乗り潮に押されて6ノット強ぐらいで走っていたが、塩釜沖あたりより逆か潮となり距離が伸び悩む。此の当たりは複雑な潮の流れだ、夜空を見上げると流れ星が数多く見える、大阪湾で見る事の出来ない光景だ。

 12日午前5時、思ったより燃料消費も大きく、乏しくなったので、予定していなかったが急遽、塩屋埼の南に有る川尻漁港に転進する。しばらく走ると陸地が見えだした。津軽を過ぎて始めて見る本土の山並だ、海図がわりに持って行った日本地図それも新聞紙半分の大きさだ、この辺りと見当をつけて近づく、小さな無人島を右に見て、紅灯台を頼りに午前9時、川尻港の漁業組合横手に無事接岸。

燃料120リッター、補給後10時過ぎに出港、千葉県犬吠埼沖に進路を取る。日立沖通過、大洗から銚子沖には定置網のブイが数多く浮いている。予定通りだ、この当たりで前オーナー回航の新艇と出会うはずだと、144の無線を入れて呼んでみたが、応答なし、今頃彼らも北海道向けで走っているだろう、こちらも大阪向けの機帆走だ。相変わらず逆潮で距離が伸びない。磯よりに転進する、夕刻7時頃、霧が夕日に赤く染まる中、犬吠埼の灯台を右に見る、太陽が沈み太平洋の荒波がテトラポットに砕けて泡となって飛んでいる、絵になる風景だ、美しく激しく荒々しい景色の中をマストを揺らしながら進む、弟は夕食の支度に取り掛かっている、今夜は中華丼だ、この回航で遠藤は、インスタント食品で行くので、いくぶんか痩せられると言っていたが、何のことはない、何時もよく飲んでよく食べている、インスタントなぞは一つも出て来ない、鈴木に至っては食い過ぎて、薬片手に、食らっている。
 
今日で4日目のナイトになる、しばらくして野島崎に進路を取る。今宵も夜空が美しい満天下の星空だ、天の川もうっすらと見えている、この辺りまで来ると本船の航海灯の数が増えて賑やかになって来た、それと気温が段々と蒸し暑く夜でも風が暖かい。風も波も穏やかだ、レーダに写る本船の影も多くなって来た、さすがにイカ釣り船の数が北海道を出た時よりも少なくなっている。千葉県勝浦を過ぎる。

 13日午前6時野島崎沖通過、ここまで予定時間を少しオバーして2時間ほど食い込んでいる。北海道出港後、初めて我が家に連絡。13日の午後予定より2時間遅れの5時頃に下田に入港予定と告げる。家内の話では、土屋さんと堀内さん親子が、昨日12日に沼津へ土屋さんの、ウイナー950の回航に行ったが、台風の進路の都合で、13日の出港を見合わす可能性も有るとの事。台風は九州の方へ行くので大丈夫だ、土屋さんらも今日は出港しているだろうと話をする。我々は予定を少し遅れて、下田へ入ると伝へると、それではこちらも予定通りに出発すると言う、家内と、みーちゃんと、弟の友人和昭の3人が新幹線で下田港に来る事になった。 午前9時頃より大きな波と風が吹き出した。2ポンリーフの機帆走で走っていたが、初めてジブを上げる。台風情報は九州に上陸、その余波で関東太平洋側が大きな波と予報通りになった。風の割りには波が大きい、8b近い波がスターン左から押し寄せて来るハーネスを付けた遠藤が、初めて真剣に舵を引く、同じくハーネスを付けて私も遠藤のサポートをする。スピードも8〜9ノットに上がった。波に押されてスターンが持ち上がり、ペラが時々空回りになる、風はたいした事は無いが波が大きい。横を通った二百トンクラスの貨物船が大きな船腹を見せて揺れている、左舷11時の方向に真っ黒い大きな雲が垂れ込めて、小さな竜巻が水面より盛り上がっている。しばらく進むと風も波も収まり霞の中から伊豆大島がうっすらと見えて来た。大島を10時方向に見て前進、しかしこの辺りから、更に潮に悩まされる事になった、大島に近ずくに連れて潮もきつくGPSで見るとスピードが1,7ノットに落とされている。下田港の入港時間はだんだんと遅く成って来る、昼過ぎに大島横通過。後ろより地元のヨットがやって来る、彼らがよくこの当たりの潮を知っていて、見る見る内に追い抜かれた、我々も大島よりにそのヨットの後を追う、少しはスピードも上がった。大島を越してしばらく進むと、うっすらと伊豆半島が見えて来た。本船航路を左に見て進むうちに、伊東の町並みが見え出した、午後4時頃、潮に押されて到着時間が遅れる事を携帯電話で連絡する。彼らは下田へ午後3時過ぎに着き、ホテルで休憩しているらしい。燃料と風呂、水の手配を頼んでおく。予定時間を2時間遅れで、夕闇迫るころ伊豆半島を回り込み航海灯をゆらしながら、暗礁を縫って無事に下田入港。うす暗くなった岸壁に待ち疲れた3人の影が見えて手を振っていた。午後7時過ぎ漁業組合の前に無事着岸。
 
北海道を出港してからケンケンを流していたが3回ほど大きなシイラが掛かったが引き上げる途中で逃げられた、最後には潜航板共持って行かれた。
 
 此処までの回航で破損箇所、メィンハリヤード切断、バウの両色灯破損、風向風速計が指示不能、原因不明の水がキャビン床上に溜まってくる、(調べたらギヤレーの配管緩み、こちらは本職すぐ修理完了)大島付近で何かペラに巻き付いたのか、引き波がおかしくなっていて、ゴトゴトと船底より音が響いていたので早速潜って調べたら、大きなほんだわらの束がプロペラシャフトにからんでいた。
 
 家内の話では、土屋さんらは、今日は沼津を出港して無事に御前崎に入港したと電話連絡が有ったらしい。早速燃料と水を補給後、港の奥に入り関東よりクルージングに来ていたヨット軍団の横に抱かせて貰って、皆んなで銭湯に行き、我々は4日ぶりの汗とアカを流す。下田は夏祭りで山車が出ていて賑やかだ、風呂帰りに夕食の食料品を買い込んで、皆んなでうどんスキと洒落込んだが、にわか雨に悩まされ一層蒸し暑くなって来た。此処までは回航でこの後はクルージング気分で行く事にしたが、暑くて眠れそうにない。抱かせて貰った艇が14日の午前4時頃出航と言う、それでは当方もこのまま寝らずに、午前1時頃出ようと話が決まる。
 
出港前に再度水を補給し、出ようとした時にヨットが一艇出て行く。慣れない水路なので後に付いて行こうと、後に着いたが何のことはない港の中でくるりと回られて我々の後に着かれてしまった、暗礁の多い水路だ、港の前から入ってくるうねりを一つ一つ越えて進む。スローで進んでいたが、艇が潮に流されて思うように進路を保てない、エンジン回転を上げて大きなうねりの中にバウを突っ込みながら、無事に暗礁を交わす、後ろについて来るヨットのマスト灯が右に左に大きく揺れている、下田を後に神子元島の灯台を右舷に見て、メィンセールを上げ、大王埼に進路を取る、この辺りまでくるとナイトで走る方が涼しい。本船航路に出るころには波も幾分か収まって来た、駿河沖通過、夜明けごろに御前崎の沖あたりを通過、この辺りから波に乗って7,5ノットぐらいのスピードで走りだした。下田を出た時は大きなうねりで、すぐに家内がダウン、しばらくして、みーちゃんもダウン、彼女たちが下田での待ち疲れと、大波で、参ったらしい、台風の影響で太平洋は大きなうねりが残っていて、とても軽快な乗心地とは言えない、大マグロと小マグロが船内で転んでいたが、しばらくして昼前に、小マグロが起きて来たがあまり気分が優れないようだ。遠州灘沖を通過、今日も期待するほどの風では無いが、南のそよ風にアビームでジブが張れる。土屋組も昨夜は御前崎に一泊し今頃は此の遠州灘を走っているだろう、430メガとVHFで交互に呼んでみたが応答なし。昼飯を食べるころには、大マグロもデッキに出て来たが、昼飯も要らないという。こんなにえらい揺れる船を何で買ったんやとぼやいている、外洋に出たのが初めてで、下田を出た頃は、うねりが大きくこたえたようだ。この当たりは穏やかだがまだ気分が直らないらしい。2時過ぎになってVHFで土屋さんと交信に成功、今日は大王崎に入港すると言う。
 
 こちらは皆んなの意見で昼間が暑いので、今夜もナイトを掛けて15日に和歌山県白浜の、綱知らずに入港することにした。
土屋組が浜松の磯寄りを進み大王崎に向かっているらしい。暫く走ると1時の方向に大王崎の鼻先が見えて来た、そのころになると、5時の方向に土屋さんのウイーナー950らしい船影がメィン一本で磯よりに走っているのが見えてきた、無線で、此のままナイトで白浜迄、行かないかと誘ってみたが、疲れたので大王崎で一泊すると言っている、午後5時大王崎の灯台を右に見て暗礁の間を縫って、潮岬に進路を取る。時計を見ると6時半。今頃は土屋さんらも港に入るころだろう。

午後7時過ぎ大王の当たりを見ると花火が打ち上がっていた、黒潮を避けて今夜は一番陸地に近い所を走る事になる。尾鷲の灯台の明かりが見えて来た頃に逆潮に押されだした、思うようには進まない、夜明けと共に潮岬が見えだしたが逆潮でスピート4ノット。午前6時過ぎ紀伊大島をかわす、その時オートヘルムの警報が鳴ってあらぬ方向に向いてしまった、オートヘルムを外して見ると、ラットが重い何かがラダーシャフトに巻き付いたようだ。暫くラットをもっていたが、再度オートヘルムに任せたが動かない。モーターが回って居るが中の減速ギャーの遊星歯車が壊れたらしい、クラッチが甘かったので戻らないようにショックコードで固定していたので無理をしたらしい、しかたなく手で持つことにする。漁船が操業している中をかわしながら、すさみの沖に差しかかるころには潮も無くなり静かに滑り出した、ラットも巻き付いていた物が取れたのか軽くなった。この当たりまで来ると波も静になって大マグロも元気が出たのかデッキに出て来て腹が減ったと言っている。和昭にヘルムを変わり、白浜沖に差しかかる頃には、潮も味方に成って7,5ノットに達していた、白浜の綱知らずは10数年ぶりの入港だ、田辺湾の入り口で突然風が強くなり、メィンの振り止めの為、止めていたアイが根本から吹っ飛んだ。風が強くなる中メィンを降ろして湾内に進む。遠藤がヘルムを取っていたが水路を間違って、漁船に教えてもらって、イカダの間を縫うようにして白浜古賀の井の桟橋横手にアンカーを入れるが、風がきつくて横流に耐えられない、スプリングを取って一段落。綱知らずどころか綱増し港やなーと話なしながらもやいを取った。
 
15日午後2時。古賀ノ井の風呂に入れて貰おうと交渉するが、お盆休みで満杯状態なので断られ、仕方なくバスで町中に繰り出す。バスの中がクラーが効いていて久しぶりに文明の有り難さが解る。夕食の買い物とプロパンガスがが切れたので入れて貰いに行き。白良浜の町営の銭湯に行くと海水浴の人達でごったがやしていた、ひと風呂浴びて、表の店で、皆んな揃って食べたカキ氷が美味かった。艇に帰り夕食は古賀の井の桟橋で、焼き肉パーテイをして、12時過ぎに初めて泊まった艇で寝たが、暑くてなかなか寝られない。
 
 16日の朝は、ブルーシーガル恒例の茶が湯とナスビの古漬で朝飯を済まし、午前8時30分白浜を後にする。今日は沼島で一泊する事にして田辺湾を出たとこで、早速みーちゃんにヘルムを渡す。和昭が足でラットを回せるでとみーちゃんに教えている。こら楽やなーと皆で話ながら日ノ御埼の灯台をを右に見る。今日も昨日のように潮が味方してよく滑っている、風が少し出て来たジブを上げてエンジンを止める。今回初めてのセイリングだ、キャノピを倒すと視界が良くなった、しばらくしてVHFの無線機が鳴った。土屋さんだ、昨日は串本漁港に泊り、朝早く出港し潮岬を回ったらしい。このままダイレクトで泉大津に帰るらしい、こちらはのんびり帰る事にし帆走を楽しんでいる。うっすらと沼島が見えて来たころには風も少し強くなってアビームで8ノット強ぐらいに伸びて来た、徳島側から沼島の港に入るセィルダウン。エンジンを回す、船が大きくなったのでいつも泊まる漁船の間に止められないのでオーロラがよく泊めている所に横抱きに接岸したのが、午後2時。
 昨日も今日も早い入港だ。辺りを見たがヨットは私達だけ他にモターボートが4艇だけで静かである、時間つぶしをして4時過ぎに風呂に行く。今年は台風の影響で風が強く吹いてお盆にはヨットも少なかったと風呂屋のおやじさんが言っていた。艇に帰ってくると、船が位置変えされていて大勢の人達が集まって来た。聞くと臨時便の神戸行の船が入るらしい、しばらくすると双胴船が入って来て、お盆に島に帰っていた人達が大勢、都会へ帰って行った、これで沼島も元の静けさになるだろう。

 白浜で買って来たギョウザを水ギョウザにして岸壁で『最後の晩餐会』を皆んなで飲んで酔ってたらふく食った。明日はいよいよ泉大津だ。
 
17日午前5時30分もやいを解く。沼島を後に友ヶ島水道に差しかかったが波も風もない。朝飯を食いながらのんびり機帆走で走る、沼島を出てから、みーちゃんが舵を引いていたが家内と変わる。風もなく蒸し暑い、微かに関空が見えて来た、そのころには2〜3隻のヨットの影も見え、しばらくすると泉大津の赤灯台が見えて来た。今日は皆んな港にはいないだろうと、思いながら、午前11時30分、無事ポンツーンに接岸、北海道からの長旅も終えた。
 
今後この艇もこの港を中心に活躍するのだ、一足先に帰った土屋さんが居て手を振っていた。皆さんご苦労さん、お疲れさんでした。無事に帰って来て良かったと、土屋さんを交えて、昼飯は赤飯で喜びを分かち合い、乾杯をして、楽しい回航とクルージングの幕を閉じた。

北海道室蘭より伊豆下田まで、直進距離550マイル、使用時間燃料補給一回含み96時間30分、平均スピード約5,7ノット。
下田から泉大津まで、約300マイル使用時間50時間、平均約6ノット。
合計 北海道室蘭〜泉大津間850マイル使用時間146時間
    平均5,8ノット。使用燃料約400リッター弱。
この艇を乗りこなすのに修理改良を繰り返し半年ぐらいしないと自分の物にならないだろう。皆さんブルーシーガルYをよろしくお願い致します。