私とヨットとの出会いは昭和四十四年の二月に今まで乗っていたモーターボートを浜寺ボートの田中さんに引き取ってもらい、その田中さんのお世話で沼津に係留していた横浜の岡本造船建造K24熊沢氏設計のストリップブランキングの木造艇、エンジンはダイヤの3,5馬力でした、この艇の回航に当時石津川で自作をしていた内田氏と後一人名前が忘れましたが私の友人と私と四人で回航した、此れが始りです、細かい事は愛艇ぐらふてぃ、に記載しているのでここでは省略する事にする。NORCも本格的に動き出した、その後内田氏は自作艇を完成させて沖縄に行く、沖縄海洋博のペンキ工事の仕事の為、その後住み着いてしまった、その前にはチャイナ−スレースでチタV丹羽氏が優勝、シドニーホバートレースでバーゴの武田氏が優勝し、沖縄海洋博では戸塚氏が優勝した、私はそれ以後は一時的に昭和四十七年頃より三年間ヨットを手放したが再度ヨットを持つようになり現在に至っています。その間何艇か乗り換えました、現在はデへラー36CWSにて楽しんでいます、時代と共にヨットの性能も進化して木造艇が主流の時代よりハルだけがFRPでデッキが木造そんな時代もありました、五トン未満は雑種船現在でも港湾区域はこのように成っていますが、当時は五トン未満の船は検査も無く免許もいらなく誰でもモーターボートもヨットも漁船も免許制度が無かった、税金も物品税で造船所より仕上がった金額に7,5メタ−までは15%、7,5メタ−を超えると30%と言う税金で有ったように記憶しています、エンジンもマストも無しで製作して買主に渡してその後エンジン、マスト、セィル、その他ウィーンチなどを付けたものでした、ある造船所ではキットとして販売しそれをその造船所で組み立ててもらうという方式を取った造船所も有ったように思われます、エンジンにいたってはヨット用が無く2428フィート艇ではダイヤの3,5馬力漁船用をインボート用として使っていました、この馬力は農林馬力と言って回転馬力に計算すると約3倍の効率です、同じくボルボの5馬力、アメリカ製のビレーと言うエンジンも有りました、その後ヤンマーが農発の改良型YSシリーズを発売しその発展型YAとなり現在では小型ヨットにはGMシリーズが使われています、ボルボも同じく良く似た構造のエンジンで2020とか2030とかの機種があり、シャフトドライブの艇も少なくなって、一体型のセルフドライブの艇も多くなってきました。
税の改正で消費税に成り、物品税廃止に伴って7,5メタ−の壁が無くなった、以前は24,5フィートと言っても実際は7,49メートル以下でした、昭和45年頃より小型船舶操縦免許成る物が必要となり漁師を対象に先ず取らすことが先決で、試験らしい試験もせづ行う事になった、私も此れに便乗し取りましたが当時この免許で一生行けると言っていた、昭和四十七年頃より取り締まりの対象と成った、その後、一級から四級にと変わりおまけに五年間の有効と成った、私が収得した当時は免許講習共5000で有ったのが近頃値段を聞くとビックリするほど高く付く、その後ヨットにも検査が必要になり高い桜マークの入った物品も必要となり、この日本も軍国国家から終戦後は自由国家となり現在は官僚国家に変わりつつあるように思われます、ヨットはレースをしなければ安い遊びのように思います、中古艇を探せば安くつくが係留費に目を回す、私が初めた当時は石津の漁港にお世話になって一ヶ月1艇500の迷惑料、現在私達の停泊している、係留費は1フィート6000このぐらいであれば何とか払われますが、通称公共マリーナ−に成ると係留費が高くつく、ヨットは車と違って長持ちします、中古艇で充分です、係留費の安い所を探せばランニングコストも安く抑える事が出来ます、ヨットは航海するだけの道具ではない、ヨットの中で一日ぼーとしていてもけっこう楽しいものです、釣りに使用、セィリングに使用、クルージングに使用、整備も楽しい、一人ででも遊べて大勢でも遊べます、知らない人は贅沢な遊びと言いますが、私はいろんな趣味の中で一番長く続いているのはヨットです、皆さんも楽しくヨットで遊びましょう。

世の中の進化に伴って時代と共にあるとあらゆる物が進化をしている、電車、飛行機、車、電化製品、電子機器、船舶、モーターボート、セィリングボート、その他の日用製品も進化をし性能も良くなって来ると共にそれに関連した、ソフトも進化をして来る、車に対しては高速道路、電化製品に間しては電源の安定化、鉄道の線路もスピードに伴って進化をしている、携帯電話やパソコンに至っては限りない進歩だ、人間の製造出来るソフトはハードと共に進化する、しかし自然をソフトとしている製品が進化しても、ソフトが自然な場合、使い勝手を変える事は出来ない、ヨットなどは代表的な乗り物だ、ヨットを運航する為の道具は当に進化をし、方位はGPS、近頃は電子海図、天気予報もパソコンでOKしかし本来の基本を忘れてこれらの機器に頼りすぎると、必ずどこかでしっぺ返しが来るのでは無いでしょうか。
初めて乗ったのは
K24,木造ストリップブランキング、キールとビームがケヤキ、外板はマホガニー、ハルの仕上げはダイ二―ル加工、マスト、ブーム共アルミ、設計は熊沢氏、この艇一年落ちの中古を沼津よりヨットに乗ったことの無い私が、初めて乗って回航しその後この艇とは五年間乗って手放して、一年後買い戻した、そんな付き合いより現在に至ってます。この当時のヨットは木造が大半でFRPが少数でした、装備はバウステーイが4mm2本、マストへットリグ、片舷にアッパーシュラウド4mm1本、ロアーシュラウド2本4mm、バックステー4mm1本で固定式、スピーンポールは木製、重量約2,4t、バラスト1tエンジン三菱ダイヤ3,5馬力、バウステー2本は何時も1本にナンバー1ジブを上げていて、予備のステーに予備のナンバー2ジブをセットして置く為であった、今のようにホイルやフアーラが無かった、もやい用はクリートでは無くピットでした、ジブも今のようなフットの長いものではなく、ハイカット仕上でした、ナンバー3やストムジブはペナントを付けて高く上げて、波をすくわないような仕組の為、メィンのリ−フはローラ−式でブームに巻き込み式でした、バテンは木製でスプルスを使っていたのでよく折れて何時も予備を積んでいた、ハリヤードウインチはマストに2個、コックピットサイドにジブとスピーン用に各2 個、ウインチは真鍮製ハンドルは横刺式でした、外部ドックハウスその他はニス仕上、年に一度は塗り直し、もちろんデッキもすべり止めにおがくずをマリンペイントを塗って直ぐに撒くその上から又おがくずを抑えるためにペンキで塗り固める、船底塗装は酸化鉛の入った「毒ちゃん」を塗って、乾かない中に海水に漬けなければ効果が発揮しない塗料でした。当時クルージングに出かけるも、海図とコンパスは必定品、電子機器はこれという物は無く、方向探知機「これはラジオの電波」を利用したものでした、大阪湾で操業している漁船に至っては、コンパスを積んでいる船はほとんど無く山立てをして方位を取っていた、現に私のヨットも一升枡のような箱に入ったコンパスで東西南北の他に、十二支を書き込んでいた、食料は日持ちのする物と言えば缶詰とチキンラーメン、そんな物しか無かった。現在はヨットは随分と進化をしている、ジブファーラー、メィンファーラー、セルフティングウインチ、シートにしても、セィルにしても、ケブラーの物もある、一口にFRP製品と言っても色々の素材が使われている、樹脂に至っても品質がかなり有り、ガラスウールの他ケブラーやカーボンを使われているものもある、エンジンもヨット用に開発された製品が数多く出回ってきた、航海機器に至っては特に進化をしている、しかしこれらの新しい製品や航海計器を積んで航海しても基本を知らなくては、万一の場合の対処が出来なくなる、私事ですが、自分の命を預ける乗り物は数有りますが、自分の責任で出航し自分の責任で帰ってくる、ヨット本来の基本であると思っています、車などは、途中でエンコして道路の側に止めて置けますが、ヨットは潮の流れや風波のきつい海域の中、安全に停泊を幾日もする事に耐えがたいものです。
出航前の点検、帰航後の点検、搭載物は同じ場所に格納、自然が相手の遊びですから。自然は女子でも老人でも手加減はしてくれないからです。

現在使用しているデへーラ−36CWS