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私は猟銃と出会ったのは昭和34年得意先の社員が猟をしていて、一緒に行かないかと誘いを受けて行ったのが始まりだ
、翌年私も猟銃の許可を警察に申請、当時は直ぐに許可が下りて銃砲店に持って行き自分の好きな猟銃を購入できた、初めて買った猟銃は国産のKFC水平2連の二段引きのに12番の26インチだ、その先輩に猟犬の世話をしてもらい、アメリカンポインターを飼う、二歳のメス名前はドル、秋から山に連れてゆき慣らす、ポインターは人懐こく直ぐに慣れる、その人らと一緒にその年は滋賀県の四日市、信楽、大阪は泉の山々に雉を追って、琵琶湖には鴨を求めて、狩猟を楽しんだ、その年の猟期の終わりに以前より二輪車でたまに一緒に遊びに行った知り合いと猟場で会い、お互いにビックリする、聞くと昨年より岸和田の方で銃砲店を開いたとの事、それ
ならばご祝儀にと、日光の上下2連銃を買う、これも雉撃ち用にと12番の26インチのスキート銃だ、その鉄砲を持って富山県、石川県、滋賀県、和歌山と、十月より翌年の三月末まで狩猟に明け暮れていた、月日もたち猟犬のドルも今は二代目と成りその他にセッターも飼っていた、二代目のドルは日猟大阪支部の狩猟競技会で二位となった、最初に買った水平銃は買い換えて同じKFCの上下2連のトラップ銃12番の28インチ、此れをもってトラップ射撃にもよく行ったが、25撃ちの内、後矢も入れて20〜23発止まりであった、射撃も泉南の箱作にある射場に猟期以外の日にもちょくちょく出かけていった、銃もライフルの豊和30口径とレミントンの22口径やブロー二ングの5連の散弾銃も所持していた。
ここで猟銃について少し触れてみよう、雉や山鳥に向く猟銃は散弾銃で口径は番径あらわす、一ポンドの鉛の玉の口径を一番と言う、我々の使っている銃はこれの12分の1で12番と言う、センチで言うと約1,7強ミリ、銃の先は絞りと言って遠くに良く飛ぶようにしているのは絞りがきつく全絞と言って銃身も30インチから32インチが標準だ、此れが射撃で言うトラップ射撃用、反対に近くでよく広がるようにしている銃は26インチの通称ラッパと良く言った、この銃は雉や山鳥によく使い、射撃ではスキート用とされていた、散弾は私が初めた当時は自分で製作、紙ヤッキヨに雷管を付けて、無煙火薬をコップで計り3,5グラム、送りを入れて、鉛の玉を入れる、口まきと言う機械に架けて蓋をする、そして仕上げる、今までばらばらで販売していた散弾が、装弾として銃砲店で販売する、一発45円になる、此れが雉や山鳥には6〜7号を使用、射撃では7,5号が標準、鴨は羽も多いので3〜4号を使用した、イノシ
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上の写真は山鳥のツガイ。 |
シでは一つ球や鼓球、散弾銃は銃身内部にラセンが切っていないので、玉の方で回る用に鼓に成っていて中が空洞で羽が三箇所にある、鹿などは矢に弱いので六コンと言って、一発に6個の丸いパチンコの玉より一回り小さな玉が入っているものを使用した、7号の玉などは仁丹の粒くらいが一発に数百粒以上入っている、ライフルの口径はインチで表示、たとえば30口径は3/8インチ。私は日本狩猟会泉大津支部に席を置き十年目に指導員に任命される、これがしんどい話で、警察の取り調べも年を追うごとに厳しくなり、警察の保安課で検査をし各会員の猟銃に通し番号の刻印を打つ事になった、その手伝いに借り出される、その後毎年の検査にも立ち会わねば成らない、雉も山鳥も少なくなって、休猟区や猟禁止区域も増えて面白みも少なくなり十七年目に愛犬も次々と死んでしまい、銃も売却し、私の趣味の狩猟に終止符を打った。
右上の写真は現在保護鳥に指定されているオシドリのつがい。
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