今年のお盆前より、土屋さんと四国の高知に行って鯨ウオッチングに行こうと計画していた。毎度のことだが7月の20日泉大津マリンで船底塗装をして、8月11日淡輪21世紀ファミーリレガッタに参加する、すぐにお盆のクルージングだ、あわただしい日程の中、淡輪へ10日に回航する、今回のレースは微風ながらBクラスでファーストフイニッシュ、順位3位となる、以前の艇で準優勝したことが有ったが、この艇に乗り換えて2度目の参加、運よく上位に入る、土屋さんのウエルカムもファミーリ賞を貰い気分も上々だが、だが迷走台風12号が九州に上陸、その影響で予定していた高知行13日夜の出港ができず、出港は15日に変更した。
泉大津港を出港する、鈴木の乗る(ゆう)と土屋さんの(ウエルカム)我が(ブルーシーガルY)の3艇。我が艇はワンポンリーフのメィンとセルフタッキングジブの組み合わせで、上り一杯の機帆走エンジン回転2200、台風のうねりの残る海に繰り出した。天気は曇り南西の向かい風、見かけでブローで28ノットの風が吹く、スプレーを被りながらの航行だ。樋泉さんの(たなぼた)が人足遅れで出港した、それに続いてK&K等クラブの艇も出港したらしい、関空の沖を通過、波が高い関空の磯当たりで(たなぼた)を発見、樋泉さんは此のまま阿尾にダイレクトで行くと言っている我々は沼島に向かう、友ヶ島水道を過ぎると波も収まってうねりだけが残る、(ゆう)とウエルカムが後ろに付いて来る、10日か出港していた(ほのぼの)の河田さんが徳島よりの帰りに逢う、前さんが電話で堀田さんを待つために西井さんの(マリオエスプレッソ)に送って貰い沼島に入いると言って来た。彼らは阿波踊りヨットレースに参加のため徳島に入っていたが台風のためレースが中止になったらしい。沼島漁港の手前で西井さんの艇と逢った、手を振っている、前さんを降ろしての出港だろう、午後2時沼島到着、前さんが防波堤で待っていた。3艇揃って新港に着岸。前さんを交えて遅まきの焼きそばで昼食、しばらくして西田さんが入港する、鍋島夫妻が旧港に入っていた、午後6時前にシングルハンドで堀田さんのザーローズも無事入港する。藤原、新保、川口、諏訪さん等も先程入港したらしい。彼らは沼島で3日間の予定であわびとさざえを取る予定だ、大漁を祈る。私たちのメンバーは私と家内、弟の友人の清一、和昭その息子啓輔の乗員5名、土屋さん夫妻、鈴木さん、堀田さんと前さんの総勢10人。6時過ぎにいつもの銭湯に行く、潮と汗を流した後はテントを張ったコックピットで夕食のうどん好きとなる、何時ものことながら飲んで食べて午前様。
に目が覚める、家内が朝粥を作っている早速皆で食事して、今日は暑いので日よけのテントを張ったままで出港するが、港を出と風が良い早速テントを外してメインを上げる、午前8時過ぎに沼島を後にする。天候は晴れ北西の風14ノット、コーターからランニングで4艇で阿尾に向かう、ウエルカムが機帆走で先行きをする、(ゆう)の鈴木はジブを上げて屋形船で機帆走、私たちはランニングで帆走、セルフタッキングのジブが右に左に揺れている、ザーローズがその後ろから同じくランニングで帆走している、波も無く風も良い潮と風に押されて艇は良く滑っている、樋泉さんから無線が入る、こちらの状況及び風人等の艇数と参加人員を報告する。紀伊水道手前で横断する、しばらく帆走で楽しんだがそのうちに風が落ちてエンジンを回す、暗礁の灯台を左舷に見ながら前方を見ると産湯の海水浴場では大勢の人がいる、阿尾の赤灯台を右に見て新港に入る、坂井さんと樋泉さんが手を振っていた。私たちも次々と着岸午後12時、早速素麺を作り昼食となる、しばらくするとクラブの各艇が入港して来た、ヨットで来る人、車で来る人、大勢の人が集まった、阿尾の新港は泉大津ヨットクラブで占領する。夕刻6時過ぎに焼き肉パーティが始まった。カンパイの後は飲むは食うは、焼き肉に始まって、野菜やソーセイジ、トウモロコシ、魚料理に焼きそばとおまけにスープまで、樋泉さん、永井さん夫婦始役員の方々大勢のお世話ご苦労さん、紙面を借りまして御礼申し上げます。弟は電車でやって来た、家内は今回泉大津を出た時から船酔いしていてここから帰るという。パーティも終わり西王子さん父娘が車で来ていたので一緒に乗せて貰うことになった、西王子さん有りがとう御座いました。送り出して皆で風呂に行く、帰って来ると藤井さん等がまだ飲んでいた、川端さんが良い機嫌で酔っている、私たちは明日鳴門を渡り富島漁港まで行くと言うと、川端さんや、鍋島さんや伊藤さんが一緒に行くという、出港は午前4時にと約束する、川端さんが起こしてくれとのこと、約束をして艇に戻ると我が艇の皆が眠っていた。
ボンクからはい出した、コックピットに出てみると皆が起きていた、樋泉さんが岸壁で立っていて、ミリカの伊藤さんが3時半には出港した、川端さんが昨夜の二日酔いで眠いので行かないと言っていると、伝言を受けブルーシーガル、(ゆう)ウエルカム、ザーローズの4艇でミリカの後を追う、港を出ると北の風見かけで10ノットぐらい吹いている辺りが暗く波も無い、セィルをあげて機帆走で上り一杯で進む、先行きしている各艇の航海灯の後を追う、しばらくして後ろを見ると山間より朝日が上がるが曇り空、薄雲の垂れ込める中を進んで行く、ザーローズを追い越して沼島を右舷に見ながら針路を鳴門に取る、やがてもやの中から鳴門の大橋がうっすらと見えて来た、夏とは言え肌寒い薄手のジャンバーをひっ掛ける、先行きしていたミリカに追いつくころには風も止まって小雨が振り出した、連れ潮に乗って渦の巻いている海峡を梶を取られながらも12ノットで難無くミリカと並んで海峡を渡る、播磨灘に入る小雨も上がるが風も波もなく相変わらずの曇り空、エンジン回転を2500に上げる、先行きしていた(ゆう)とウエルカムに追いつくころザーローズが海峡を渡っていた。昼食に他人丼を食べてしばらく行くと鈴木が家の方から有線が有り、直接泉大津に帰るからと無線で連絡して来たので、今から帰ると午後の6時過ぎには着くだろう、頑張って気を付けて御安航行をと言いつつ無線を切る。午後2時過ぎに富島漁港の新港にアンカーを入れた。ウエルカム、ミリカ、ザーローズ、と続いて着岸。富島新港の空き地には今も仮設住宅が建っていて半分ほど今も住民が住んでいる様子が伺える、漁業組合の鉄筋の建物も少し傾いたままだった。曇り空も晴れ上がりまたもや夏のかんかん照り。電話が鳴ったトムゼリーの今西さんだ、昨夜仮屋で泊り今出港して泉大津に向かっているとのこと、こちらに来ないかと言ったが息子の友達が泉大津に来るかもしれないので一旦帰るという、仮屋で美味しいハモの売っている店を見つけたのでまた行こうと約束をする。しばらくすると各方面からクルージングのヨットが5〜6艇入ってくる、フランスのクルージング艇もやって来た、それらを見ながら堀田さんがマストに上る、3色灯の取り替えだ、阿尾を出た時に後ろを見ると我が艇の両色灯が付いたり消えたりしていると掘田さんが言う、こちらも早速調べてみると配線が腐食していた、つなぎ変えて修理完了。夕飯の支度も整い午後5時に(かんぽの宿)の風呂に行く、3年前に来た時は改装中で入れなかったが外から見ても美しく船の外装に改装されていた、坂道を上って行くと地震の後遺症があちこちに見られる、屋根を葺き替えた家、壁を塗り替えた家、新築途中の建物や、空き地に成ったままの土地、それらを見ながら坂を上がると(かんぽの宿)5階の展望風呂から見ると西日に照らされて茜色で港が美しい。汗を流してロビーで休憩、(かんぽ)を出たときには暗くなっていた。艇に帰って肉ジャガとステーキでビールで乾杯、飲んで食って話が弾む逢いも変わらず午前様となる。
午前6時起床ヨットで来ると何時も何故か朝起きが良い、走りながら昼寝をするからだろう、8時にブルーシーガル常食の朝粥を平らげてザーローズ差し入れのスイカのレザートで朝から満腹満腹、今日も風がない、かんかん照りの夏日和、昨日入港していた各艇も次々と出港して行った、我々も午前10時30分アンカーを上げて一路明石海峡へ針路を取る、べた凪の播磨灘を機帆走で進んで行く、反流に乗って11時過ぎには明石大橋の下を通過する、大阪湾に入っても風がない、大きなタンカーがやって来たパイロット船が先行きして来て南の方へ針路を取って下さいと言って来た、OKと返事をして+20度、しばらく進んで元に戻してオートヘルムに任せてカレーを食べる、各艇揃って午後3時過ぎには母港に無事帰港した。 |