ヨットアラカルト
1992, 記 上田 孝

◆さて今回は我が愛艇ブル−シ−ガルXの船底メンテナンスに付いて話を進めましょう。皆さんがよく、どおしたら早く走るのかと聞かれますが、まず第1に船底磨を良くする事です、船底塗装をするには、水洗いを良くして、ケレン棒(スクレッパ)で「ふじつぼ」を取り落とし、水ペ−パー又は乾式、(80〜150)番ぐらいで、丁寧に段差の無くなる間で、研き落とす、船底塗料には大きく分けて、固定型と自己研磨型が有りますが、現在塗装しているのと同じ塗料の時はそのまま塗れば良いのですが、固定型の上に自己研磨型を塗装すると1〜2月ぐらいすると塗装が浮いて来ます、この逆も同じことです。種類(型)の違う塗料の時は旧塗料を確実に落としてから新塗料を塗る。旧塗料を落とせない時はプライマーを塗ると良い、ただしメーカに問い合わすこと、近ごろは自己研磨型の塗料が一般的になって来ました、ブル−シ−ガルXも自己研磨型を塗っています。塗装の仕方は段差が無くなるまでペ−パで磨いた後マスキングテ−プをしてからもう一度水洗いをします、その後シンナ−又はアセトンで拭き取る、拭き取った後は手で触ったりなぜ廻したりしないこと。(手に付いている油なぞ)が付くため。気温が暖かければそのまま塗れますが温度が低ければシンナで伸ばしますが、その塗料にあったシンナを使わないと失敗をします。塗装の仕方は、ハケ塗りが一般的ですが(ハケは横づかいにする)ブル−シ−ガルXでは、ハケ塗りとガン吹きをその時々に合わせてしています、ガン吹きの場合は、シンナを適量入れています。塗装が済んでから12時間以上たってから下ろすと良いようです。「ただし2昼夜以上は良くないでしょう」

◆ハルやボトムに傷の有るときですが、深い傷の場合は、樹脂パテで埋め込みその上からポリパテをしごき、水ペ−パ200番で仕上げる、少さい傷の場合はポリパテだけで仕上げる。ハルが老化して艶が無くなった場合ですが、同じくペ−パを掛けて仕上げる、傷のあるときにはゲルコ−ト(同じ色)で仕上げる、ウレタン塗装をしている艇はおなじくウレタンで仕上げる、その上からコンパウンド中目ぐらいで研磨、ワックスで磨き出来上がりです。(ウレタン塗装の時は塗装が堅くなるまで温度にもよりますが約10日以上かかるのですぐに(コンパウンド、ワックス掛けが出きない)大きな傷の時は電気サンダ−で削る、ゲルコ−ト面、塗装面を削り取り、FRPの面を出してグラス繊維、マットやロ−ビングをかわるがわるに、ボリエステル樹脂で空気の入らないように、脱泡ロ−ラで張り付けて行く、乾いてからオビタルサンダ−等で仕上げ、小さな傷が出来たときはポリパテで仕上げる、以下同じである。近年ウレタン塗料よりフッ素系塗料の方がよいとも言われていますが。船底塗料ですが私の経験からその年の水温によって左右されるよおに思います、又浮かしている泊地にもより、塗り方にもよるよおです。2度塗りをお勧めします。(塗料の種類メ−カ−にもよる)自己研磨型の船底塗料は、公害問題で有機スヅの成分が使用禁止になり、現在は阿酸化銅が主体になっているとの事。デッキですがFRPの場合、あまり塗装をせづ、老化して来たらペ−パ又はコンパウンドで表面を酸化したゲルコ−トのみ、削り落とすと良い。やむなく塗装する時は滑り泊め塗料にて仕上げる、ウレタン塗料で仕上げるとデッキに波を被ると足が滑って危険である。FRPの手入れはこれぐらいです、ニス塗りですが、出来れば悪いときには木肌まで出して仕上げるのが良い、外部の物にはウレタンニス2液が良いと思います。手順ですがペ−パで木肌まで出せない時には、かんな−か、カッタ−ナイフで削り取ります、その上にベ−パをかけ、サンデングシ−ラを塗りペ−パを掛けをして、その上からニスを塗り重ねて行きます、3〜4回で仕上がります。艶消しの場合は艶消材を少し入れて仕上げる。塗りかさねの場合は先に塗っているニ−スの材質を調べてから塗る方が良い、同じであればペ−パ掛けした後、塗りかさねで仕上げる。


      ブルーシーガルXの誕生 YA30S

◆我が愛艇は1985年6月の梅雨半ば、山口県徳山から回航、新艇から3年落ちの中古艇である、元オーナーはNORCの内海支部長でヤマハへ別注して進水したらしい、程度がよかったので買うことにした。当時オズセーリングクラブの内田、米田、西野、各氏と私の4名で、回航する事にした、徳山港を夕方6時出港、明くる日の夜四国の今治へ入港、仮眠もそこそこに朝早く出港、瀬戸内に入って強い東風と雨にたたられて機帆走で走るが逆潮にあい思うように走らない、あくる日の夜遅く家島群島、男鹿島に入り、中村荘の風呂に行く、一息入れ腹ごしらへをして、明くる日早朝2時頃出港、今回の回航は東の強風と雨にたたられ散々であったが、播磨灘に入ってから風も北にかはり良く走ってくれる、内田さんが、この艇山口県を出るの厭がっていたのと違うか、播磨灘に入ってからはあきらめたのか良く走ってくれる。この分なら昼までに泉大津へつけるなーと皆んなで笑う、午前9時ごろ無事港に着く、朝飯を食べ終わるころ皆なが顔を出した、泉大津ヨットクラブの3角レ−スが有ると聞き、早速初参加することにする、良い風に恵まれて、レビユ−戦を飾る、泊地に艇をもやって回航に参加してくれた皆さんに感謝しながら家路につく。

◆この艇にしたのは当時30フィ−トクラスで、1人で乗るならばマストヘットリグでは荒れた海で1人ではジブ交換がしにくく、フラックショナルリグではジブも小さいので交換も楽だと思い、フラックショナルリグの中から選ぶことにした、候補艇は色々有りましたが、新艇では手が届かず、中古艇の中から選ぶ事として、スケ−グ付きの横山一郎設計ヤマハ30Sにした、何もかも気にいったのではないが、今の私の乗り方では、年3〜4回のクル−ジングと、その後はクラブレ−スぐらいだ、クルジングも3〜5日ぐらいの泊りこみなので内装に余りこだわらず、デッキの作業性とコックピットの広さが気にいった、フォクスルもセィルロッカに成っているので雨に濡れたセィルをそのままにしまうことが出来る。気にいらない所は変えて行く事にした。

◆まずメィンセィルをスライダ−にする、セィルカバ−も取り付けた、ブ−ムバングをTMのシステムバングに、ウインチをセルフティングウインチに、マストベンド及びシュラウドの調整、チエンプレ−ト取付の補強、オートヘルムの取付、ガスコンロのジンバルも取替、アマチャー無線の430メガを取付、まずはこれでOK、1人で乗れる、ロイヤル石津ヨットクラブより祝いに戴いたバロメーターも取り付けた、後はぼちぼち改造する事にする。元の艇名はブル−ミスト、ハルにカモメの絵、これも私の艇名にぴったりだ。さっそく艇名を変える、2ケ月ほどして、腕試しに、西宮のヤマハクル−ザ関西選手権に出艇、総合第4位となる、グル−プレ−スでは優勝。気を良くして9月にはサントピヤで行われたヤマハクル−ザフェスティバルにも出艇、嬉しくも総合優勝。
その後小さな改良は別として、プレ−ニングボ−トのカバ−改造。スイミングラダ−の取り付け。ヘッドその他のバルブをボールバルブに変更、ソーラチャウジャーら、航海灯トリカラーを追加、その他色々と数え上げればきりがない、その後エンヂンの乗せ変え。エンヂンですが1GMでは30フィートでは非力、ブル−シ−ガルの場合、2GM20に乗せ替えプロペフシャフト及びゴリのフオールデング共変更ましたが、エンヂンマウントの位置をづらすだけで替えられました。その他は少し変更しています、カップリングの面ですがシグネスゲ−ジで測定し、0、2_以内に収まるように仕上げその間にフレキシブルカップリングを入れて取り付けている。スタ−ンチュ−ブの調整ですがスタ−ンチュ−ブから海水の滴下が最小限で(体温以上)にならないようにナットを調整する。よくスターンチューブのグランドパッキンを取り替える人がいますが私の職業柄パッキンはしめしろが無くなれば継ぎ足して行けば良いように思う。スタ−ンチュ−ブの漏れは、ビルヂ−の溜まる原因になり沈船の恐れもあり、注意が必要である。年に1度はエンヂン内の、妨蝕アエンも変えなければいけない、勿論オイルもエレメントも交換、セィルについては消耗品でおいおいと変えて行かなければならないだろう。(メンテナンスは全部自分で行う、そうする事で航海中にトラブルが生じても対処が出きる)

◆年に1度はアッパシュラウド及びロア−シュラウド、ヘッドステ−、パ−マネントバッグステ−らの調整とチエンプレ−トの点検も忘れずにしなくてはならない、ランニングリギンの点検も忘れずしておかなければ荒れた海に出た時には不安でならない。シュラウドの調整は、艇をクロ−ズで走らせ、私の場合は25度ぐらいのヒ−ル角度で風下のシュラウドをあまり弛まないぐらいに締め込みサイドベンドを押さえている。マストは絶対に逆ベンドにならないようにしなくてはならない。その他ウインチ、ブロック、カムクリ−トは時々「CRC」を吹き付けている。デッキに穴を開けてクリ−トやブロックを取り付ける時は、開けた穴にシリコンを詰めておく、艇のビルジ−だまりに、溜まっているビルジ−をそのままにしていると、FRPの船でも水を吸つて船が重たくなり、年月が経つと強度も低下して来るので、ビルジ−を溜めないようにしなくてはならない。セィル及びシ−トですが、元来潮抜きが必要ですが、近年素材も新しくなりその必要も無なって来た、時々雨にぬらすことで潮が抜けると思う、濡れたセィルを逆さにして風にシバさして乾かしているのを見かけますが、できるだけしない方が良いように思う、セィルをシバさすと縫い目が弱くなるように思う、但しセィルを濡らすと船の中がしっけて来るので風通しに気を使う。セィルのメンテですが縫い糸のほつれや、破れが見付かればすぐに、リベヤクロスで修理しておかなければならない。その他予備部品として、ブロック、シヤックル、絶縁テ−プ、割りピン、ビス色々、ステンの針金、セィルの修理道具、接着剤エポキシ、ボンド、電線、シ−ト一式、修理工具、数え上げれば切りがないが、一旦船に積んでしまうとなかなか降ろせないものである。食器類、鍋釜、予備のLPガス、釣り道具、屋形船用のテント、弟が乗りに来るようになってから所帯道具がうんと増えた、年を追う事に段々と船が重たくなって来る。一度全部降ろして、いるものだけを積み直したらもっと走るようになるかもしれないと思う今日このごろである。

◆ヨットとゆう乗り物は、車などとちがい、やくざな恋人のようなものだ、次から次へと手がかかる、ちょつとほったらかしにしていると、思うように動いてくれない、時々出向いて行き機嫌を取らなければならない。機嫌を取るだけなら良いが、次から次へとミンクのコ−トなぞを買いたがる、私も懐具合が良くないのでミンクとはいかず、化繊でごまかしたり、中古のミンクでごまかしたりしている、一昨年のころ機嫌が悪くエンヂンがかかりにくい、どおしたものかと聞き正すと、バッテリ−と言うものが老化して電気が放電する、バッテリ−を70アンペャー2台にした。現金なものできげんよく回る。ものは次いでとロランなる品物を取り付けたが便利なものだ、化粧代も馬鹿にならない、年に1回化粧直しもしなくては、みすぼらしくなる、みすぼらしくなるだけなら、それでも良いが、大きな尻に、(ふじつぼ)なる物が着いて来る、このふじつぼ、なる物が彼女の走りを妨げる、ふじつぼ、が着かないような、化粧品がないものかと思う、いっそのこと別れて新しい彼女と思う事もあるが、新しい彼女も1年もすればやはり、ふじつぼに悩まされる、そう思うと今の彼女と長く付き合うほうが、私しも彼女の気心も分かっているし、私の癖も彼女なりに慣れて着いて来ているのだからと思う。(実は私の懐具合が悪い為も有る)乗っているうちに古女房と同じで愛着が沸いて来る、機嫌を損ねないように、宥めたり透かしたりしながら、長い付き合いをして行かなければならないだろう。ヨットの設計はレーティング道理の走りをすれば満足だがなかなか思うように行かない、私はその船のレーティングの平均90%ぐらい走ればよいと思う、彼女もよく、私をレースにクルージングにと遊ばしてくれる、今回私も彼女の機嫌を取るために新しいジブを新調した、これで機嫌良く走ってくれることを期待したい。

◆今年も八月二日淡輪21世紀胚,ヨットレースがやって来た、昨年は着順9位順位6位今年は新しいジブもできて来たので、初めて上げることにして早速参加申し込みをして1日土曜日の午後フアミリー、ウエルカム、津軽、らと共に回航する、去年の回航時は雨の中屋形船で走ったが、今回は風もよく3時間ぐらいで淡輪到着、一足先に着いたフアミリー、津軽、ウエルカム、と共に港に入る港の中はあっちこっちから来たヨットでごったがやしている、石津ロイヤルの(にこちゃん丸)竹田さんがこっちに来いと言っている、淡輪の澪(岩井)さんが氷を差し入れしてくれた、前夜祭のイベントが6時半カラパナの演奏で始まった海水浴場では花火が上がる、人と音楽でむんむんする中、いつもの顔触れが目立つ、我がヨットクラブから10艇ほど参加しているらしい、我々の夕食パーティーも終わって明日に期待して寝る事にした、朝方寒さで目が覚める6時ごろだ、風がきついこのまま吹くのか日が揚がれば凪るのか解らない、このまま吹き続ければ淡輪レース始まって以来のことだろう、出艇申告もすまし7時30分艇長会議、我々Bクラスは9時スタート早速各艇支度にかかる、我々もレース、海面に到着、北東の風17〜18ノットだ、ブローが入ると20ノットぐらいになる、スタートを待つが風が強いので各艇四苦八苦だワンポンリーフの艇、NO3ジブの艇、セィルセットに頭を使う、我がブル−シ−ガルXも新調のNO1セィルは使われない、NO2ジブにフルメィンにフラッターを入れる、スタートまじかになって本部艇の風下のマーク艇がわからない探しているうちにスタート合図のホーンが鳴る、あわてて、ジブを引き込む、いつになく悪いスタートになった、ポートで出るつもりでいたのに風上の艇に押されてスターボーで出るコンパス針路10度で進む、難無く風上艇を抜き去り上りいっぱい風上に向かうが潮で10度ほど風下に流されている、しばらく走ってタックを入れる、第2マークが見えて来た、1番乗りの大きな艇がマークにちかずいて行く、潮に押されてマークブイのアンカーラインが斜めに見える、ひかけないょうに注意して我々も4番手で回航、見かけの風が前に回って横手から吹き込んでくる、後続艇が8艇身ぐらい後ろで4〜5艇が競り合っている1,2,3,4,と順序変わらず第2マークも回航、先行き艇がスピンを上げかけたが上がらずじまいで取り込んだ、我々もスピーンを上げる準備をしていたが、このレグもブローがはいると見かけの風が前に回る、あきらめて呑気なセイリングを楽しむ、フイニッシュラインが見えて来た、順序変わらずフイニッシュ、1着コンテナマキシー40フィト、2着デュフォー42フィト、3着デヘーラー38フィト,4着は我がブル−シ−ガルX、レース距離は3角ラムラインで9マイル、ブル−シ−ガルX走行距離上りを入れて約10,5マイル、使用時間1時間14分20秒(4460)成績発表ではTCF修正(2936)で準優勝であった、今回のレースはスタートが悪かった事と第1マークを回航後せっかく新しく作ったNO1ゼノアを持ちながら上げなかった事、上げていればもう少しスピードを稼げたものと思われる、後続艇に脅かされず緊張した走りが出来なかった事が呑気な気持ちにしたのだろう、反省したり喜んだりわいわい言いながら皆んなと食べた昼飯の素麺が美味かった,今回のレースでマストを折った艇セィルを破った艇色々あったらしい、トラブルも無く何はともあれ準優勝出来た事は私し始めクルー全員嬉しかった、今回のレースはよく走ってくれたと艇に感謝している今日このごろである。
8月お盆のクルージングは伊島へ皆さんと一緒に行くのが楽しみだ。



平成4年8月10日
記 上田 孝