 
平成14年5月3日午前6時20分泉大津港を後にする、20分ほど前に同じクラブのオーロラ藤原艇、オーシャン新保艇、トムゼリー今西艇の3艇が出航した、進路281度、艇速6,5ノット、GPSスピード6,6ノット風は北よりの微風、かろうじてセィルが上がる程度、エンジン回転2500回転で機帆走で後を追う、7時過ぎに風が少し上がる風速11,5ノット、それにつれて艇速も上がりGPS速度7,3ノット、8時頃に先行き艇に追いつく、しばらく船団 を組んで走っていると、底引き網漁船と出会う、彼らの間を縫って明石海峡に進路を取る、海峡2マイル手前頃には逆潮の影響で対地速度が3,8ノットに落とされる、進路を淡路島の江崎に取って明石大橋手前まで進む頃には、反流に乗って艇速も上がってきた、風は再び落ちてきてジブが利かない、9時35分反流に乗って対地速度7,3ノットで大橋をくぐって播磨灘に突入した、 進路259度に変針、潮の影響で再び艇速が落ちて6,3ノットで進む、風が変わり南の風4ノットの微風、太陽が照り付けてきて、汗ばむほどの暖かさ、後ろを見ると3艇共同じコースで付いてくる、そんな頃河田さんより電話で今小豆島の寒霞渓を見に来ているとの事、しばらくして、K&Kの石田さんより電話現在日生に艇を置いて息子が迎えに来たので此れより自宅に帰るとの事でした、11時過ぎエンジン回転が落ちる、調べると、ホンダワラがスクリューに巻き付いている、前後進3,4回しているが、帆走でも4,7ノットで走っているので後進が利かない、しばらくそのままにしていて、再度エンジン回転を2000回転に上げると取れたのか機嫌良く回りだした、対地速度6,8ノット艇速6,3ノット南の風が少し強くなる、艇は安定してアビームで進む、11時30分早めの昼飯に焼 きそばを作り気持ちよく走っていたが、
12時過ぎ風が真南に回ると一段ときつくなりデッキを洗い出す、右舷前方に家島群島が見えている、しばらくしてオートヘルムか泣き出したので、ワンポンを入れて、しばらくしたが、ますます風がきつくなって波も次第に悪くなり、時々スプレーがキャノピーを超えてくる、仕方なく2ポィントリーフ、見かけの南風30ノットブローが来ると35ノットになる、2ポンリーフなのでオートへールムでも、どうにか走ってくれるが、わが身が持たない、一昨日より体調が悪いのと昨夜は4時間ほどしか眠っていないのが重なったのか、元々船酔いをする性質なので、昼に食べた焼きそばを戻してしまい、二度目には血反吐を吐く始末、キャノピーの中で座っているので波風を受けないのが原因かもしれないが、スプレーを浴びない代わりの代替の様なものである、気分が悪いが何となく走っている、小豆島大角鼻を右舷に見て、左舷に大福部島の間の内海湾の航路ブイに転進 すると、波風ともコーターリーと成りオートヘルム負かされなくなって、ラットを握る、風に当たったのか気分が少し楽になった、シングルで乗っていると、へたることが出来ない、航路ブイに沿ってジャイブをする頃には風も波も落ちてき た。
草壁の桟橋で「ほのぼの」の河田さんと河野さんが待っていてくれて、係船を手伝ってもらう、しばらくしてトムゼリー、オーロラ、オオシャン、が一斉に入港した、全員ずぶぬれで、寒い寒いと言っている、後片付けもそこそこに桟橋食堂の女将さんにお願いして風呂を浴びることにして一息つき、全員で夕食の宴となった。
草壁までのログメーター63,9マイル。
到着時間4時15分。
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今朝早く「ほのぼの」の河田さんが泉大津に帰って行く、ご安航を、昨夜より係留していた大阪北港の艇も続いて出航して行った。12時頃河田さんより電話播磨灘は大荒れの模様との事でした。 |
パンとコーヒーで朝飯を済ませて、勝つチャンを残して、河野さんの艇INYINCIBILITYで9時前に、高松の志度マリーナーに行く、河野さんは半年はこの志度マリーナーに、係留しているとのことでした。約2時間足らずで到着し、タクシーで屋島観光に行くことにした、11時半頃日本で一番と言う(何が )分からないが???。うどん屋で釜揚げうどんを全員で食事、その後車でドライブで屋島の頂上を散策する、此処屋島は四国八十八ヶ所の第八十四番札所、
(天平勝宝6年(754)唐僧・鑑真の建立といわれ、四国八十八か所84番の札所となっています。山門をくぐると奥に朱塗の本堂、その手前に合戦悲話を伝えたといわれる屋島たぬきを祭る、
「蓑山大明神」があります。また境内には白い凝灰石を雪にみたてた「雪の庭」、源平合戦の遺物や宝物を展示している「宝物館」などがあります。)
屋島寺を参詣して展望台より皿投げなどをして時間をつぶす、西の方には女島や男島が 見える、 女島は別名鬼が島といい、昨年の夏ほのぼのの、河田さんの案内で四国の津田にクルージングに行った折に、連絡船で渡って島巡りをした事を思い出しました、展望台より眺めると、遥か小槌島の向こうに薄っすらと瀬戸大橋が見える、土産物屋を冷やかしながら、タクシーで山を下りる、東の海面には3年ほど前にクルージング行った事のある庵治港も見えました、再び松山市内にたどり付き、少し早いが風呂に行く、思ったほど良くなかったので名前は忘れましたが、銭湯ではないが近頃の何とかの湯とか、何とかランドと言うほどの物では無かった、時間つぶしに此れも、オーロラの藤原さんがインターネットで探した、
日本一の商店街を散策する、右を見ても左を見ても日本一と言う、そのような気配は無い、4時半過ぎに早々と予約をしていた、味安と言う創業45年の天ぷらの専 門店に行くことにした、ここで、日本一と言う商店街の意味を聞くと、この辺りの商店街を集めると日本一長いと言う事らしい、聞くと見るとは大違い「兵庫町商店街を北西の入り口として、日本一の長さを誇る高松中央商店街は、全長2.7kmにおよぶアーケードが延々と続きます」と言う事らしい、この天ぷら屋で飲んで食って満腹満腹。
小雨の中ぶらぶらと徒歩で高松港に向かう、時間表を見ると草壁行きフエーリーが8時30分出航、随分待たなければならないので、土庄行きのフェリーが6時45分出港、此れに乗って土庄到着7時45分、此処からバスで約30分、此れで帰れば草壁行きフェリーを待つ間に帰れるので、この便で帰ってきました。 |

艇に帰ってくると、「ひぐらし」の鈴木夫妻が来ていた、大浜ドックに係留している恵さんも来ている、皆で艇に入って二次会をしているところに声がかかる、誰かなーと思い顔を出すと、姫路のカロリーヌの小島夫妻、小島さんとは7,8年前に阿波踊りレースで知り合い、以後舵胚にも、明石大橋記念レースの時も、よく合い親しくしていた、4年ぶりの再開でした。
小島夫妻も参加して何時も通りのヨット談義に華が咲く。
桟橋の向かい側には同じ泉大津の「かよ」も停泊している。知り合いばかりの夜となり、四方山話で夜もふけて行き、お開きは11時を回っていた。 |
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6時前に目が覚める、顔を洗って桟橋に下りると、薄っすらと霧が立ち込めている、藤原さん達が朝の食事の支度をしている、昨日もう一度食いたいと言っていた、釜揚げうどんを手作りで作っている、早速食べるが、我々関西の出汁は昆布が支流のためか、昨日食ったうどんより、美味しく感じる、四国の出汁はカツオが勝っている様だ、長年の舌の味はなかなか変わらないものだなーと感心した、食事も終わり、
7時50分4艇揃って、草壁の桟橋を後にした、霧も少しは晴れてきたが今日は曇り空、風は期待できない、機帆走で内海を後に進路77度、エンジン回転2500回転、艇速6,3ノット対地速度6,7ノットそのまましばらく進む。
9時頃に一瞬のうちに霧に包まれる、今まで見えていた小豆島大角鼻の山の上だけが見えるが、その後2〜3秒の内に消えてしまう、視 界30メートル前後と成った、 すぐさまレーダーを回す、このレーダーを以前回したのは二年ほど前だったが、機嫌よく動いてくれた、微調整をして範囲1マイルに設定する、右舷前方にトムゼリー、電話で確認すると、前に薄っすらと和歌山より来ていたヨットが走っていると言う、そうすると右舷後ろに写っているのは、オーロラとオーシャンと分かった、連絡をして進路を指示、艇速を落としてしばらく進むが何時しか我が艇とオーロラとオーシャンの影が重なったのか、見えてこない、そうするうちにレーダーの前方に4ツの影おかしいナーと思ってエ ンジン回転を上げて進むとぼんやりと3艇の影が現れた、一団となって進路77度で進む、遠くで霧笛が鳴っている、後ろに写っていた本船だろう、対地速度6,2ノット機帆走で本船航路を避けて進んで行く。
10時過ぎ霧が次第に引いてゆく、風が出てきた北の風 13ノット、ジブを出すと艇速が上がる、対地速度6,8ノット、波は無く気持ちよく艇は滑って行くがうす曇で視界が悪い、しばらくして風が東に変わり真の上りとなった、11時過ぎ昼飯を食べていると、ロイヤル石津ヨットクラブの徳弘さん達のアマチュア無線が聞こえてくる、淡路の浦港に向かっている、12時過ぎに風が南東に触れ回った、その頃には 徳広さんの声もハッキリと聞こえてきたので、此方は3時半頃に浦に着く予定と無線で連絡をした、逆潮を嫌って鹿の背より江崎よりに転進して反流に乗った、対地速度6,7ノットで 明石大橋の下を通過する、その後逆潮を押して淡路東海岸添いに浦港に3時20分に到着した。浦港は何時も止めている所は一杯で新港にロイヤル軍団が係船している、ゴールデンアローの右舷側に係船してしばらくするとトムゼリーも到着した、此れで我々2艇を含んで20艇の集まりとなった。
浦港までのログメーター46,3マイル。
到着時間3時20分。

「後で聞いた話では、霧の中私の艇の右舷側を通って追い抜いたと、オーシャンの新保さんが言っていた、私は全然見えなかったナーと話をした、それと我々より同じ桟橋より、一時間ほど先に出た同じ泉大津の係留艇「かよ」が泉大津に帰ってきたのはオーロラとオシャーンが帰ってきてから一時間後の帰航で有ったらしい」あの霧の中で投錨していたのではないかなー??、とも話をしていた。
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浦港は20艇もの船団で何時も係留している所では止められず、外房の岸壁にバウ付けでスターンアンカーで止めていたが、波が入ってきて艇は一晩中揺れっぱなしに成りました。それでも楽しくヨット談義に華が咲きました。 |
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6時過ぎに目が覚める、昨夜今西さんが炊いた、ご飯をお茶漬けにして、いり卵と佃煮ノリのおかずで済まして、コーヒーを飲んでいると、出航すると徳弘さんが言って来た、後しまいもそこそこに出港準備に取り掛かる、もやいを今西さんに外してもらって、アンカーを上げる、風がきついので少し手間取った、ロイヤル石津のメンバーは港の外、早速港を出て風に立てて 、メィンを上げた、ジブを引き込んでエンジンをストップ、後ろを見るとトムゼリーの姿が無い、引き返したとたんに港より出てきた、最後を確認してタックをして80度に進路を取る、北の風18ノット絶好のアビームでのセィリング日和、天候は曇りで薄ら寒いが艇が良く走る、艇速7ノット、対地速度7,2ノット今回のクルージングの帆走では一番気持ち良く走る、エンジンの音も無い、しかし長続きはせず、9時過ぎに風も12ノットに落ちてきた、それに伴って艇速も落ちる、対地速度6,2ノット、しばらく走っていたが風が前に回り、極端 に落ちてきた、仕方なくエンジンを回す2200回転で少し手伝わすが、その後次第に風が落ちてきた、風が落ちて来ると共に太陽が照ってきた、仕方なく回転数を上げる、後ろを見ると各艇が思い思いにコースを引いて走ってくる、10時頃少し風が又出てきたのでエンジン停止だが、帆走では対地速度4,5ノットしか走らない、しばらく辛抱していたが、エンジンのお世話に成った、10時半頃左舷前方に石津の航路ブイが見えてきた、大型タンカーの入港かブイの周りには3艇のターグボートが待機している、沖を見ると本船航路よりこちらに向かう大きなタンカーの姿があった、ターグボートを左舷に見て泉大津の方に進路変更し11時05分泉大津の赤灯台を右舷に見て、セィルダウン。
係留桟橋到着11時30分。
ログメーター21,9マイル。

楽しく過ごした五月の4日間の連休クルージングの幕を引く事が出来ました今回のクルージングは泉大津ヨットクラブの中にあるマスト会「呑助の会」のメンバーの企画に便乗した、私もマスト会の一員ですが、企画には参加していなく、おんぶに抱っこの状態でした、又ロイヤルの毎年行う連休のクルージングにも5,6年参加をしていませんでしたので久しぶりの参加でした。
楽しく過ごした五月の連休のクルージングの幕を引く事が出来ました。
ご動向の皆様有難う御座いました、又の機会を楽しみにしています。 |
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