2001年
お盆のクルージング
津田に向け帆走するブルーシーガルY




12日午前6時過ぎに出航する、一足先に河田艇が出航した、土屋艇が10分遅れで出航する、大阪湾は風が無く、メィンを上げているが、はらまない、明石大橋手前で河田艇を捕まえる、逆潮の反流を岩屋よりに求めて進む、しばらくして土屋艇、河田艇と、今回参加する、ロイヤルの井上艇かすがまる、が付いて来る、彼らは西宮より我々の時間に合わせての出航だ、播磨灘は少し風が出てきた、先行き艇なので、エンジン回転を落としてフルセィルでしばらく帆走する、其のうちに航続艇は追いついてきた、背中に太陽を受けて、とにかく暑い、汗がにじんでくる、淡路島が薄く霞むころ、対岸の津田の山並みが見えてきた、沖合いに魚網が有り、それらを避けてセィルダウン、一昨年寄った津田の桟橋はカニ荘の廃業で使用不可、津田の漁港に係船する、四時半ごろだったと思う、漁師に声をかけると、そこの定置用のアンカーを使えと声を掛けられて四艇一列に停泊する事が出来た。河田氏が連絡していた民宿にったさんのご主人が車で迎えに来てくれる、早速宿の部屋割りをして風呂に入る、夕食は七時より、私と女房、河田氏、土屋夫妻、かすがまる二人、七人で楽しく食べて飲んで、九時過ぎのお開きと成った。

13日七時半に朝食を済まして、かすがまる二人が徳島に行くと言う、宿の亭主の車で送ってもらい、港に付くと、昨夜頼んでおいた、かすがまるの燃料が届いている、潮見表を見て、逆潮であるが反流をつかんで行くと言い、出航していった。

今日は浦さんと、伊藤さんが来ると言う、とにかく我々はJR讃岐津田駅より栗林公園に行き、讃岐うどんを食べて公園内を見学をし、その後、高松港に行く立派な港のターミナルに成っていたビックリする、昔の面影がない、高松港より、フェリーに乗って女木島(鬼が島)の散策に行く、観光バスが待っている、山の頂上に到着した、大きな洞窟がありこれが鬼の洞窟らしい、其の中を見学する、鍾乳洞のような細長い洞窟で、所どころに窪んだ処があり、昔鬼が住んでいたと言う伝説らしいが、実際は原始人の暮らした後らしい、矢じりや土器などが発掘されたらしい、見学も終わり、津田の漁業組合長の自宅にビールを持って挨拶に、にったさん共々行く、宿に帰ってくると、シーダンサーの勝チャンも来ていた、彼は郷里の小豆島に行くと言って、今朝沼島を出航し鳴門を越え途中浦さん達とつながって一緒に入港した、宿のお上さんが、此れ届いているよーと、ビールの差入れ、差出人を見ると、宮崎で会った徳島の、あわくルージングクラブの(うみねこ)さん、彼方も行事でいそがしいのに、どうも有難う御座いました、皆んなで頂きます。今夜も賑やかに八人で焼肉のパーティと成った。

14日皆で朝食を食べてにったさんに車で港に送ってもらう、定置のアンカーラインの他に更に一本有りそれがペラに巻きついた、伊藤さんに潜って切り離してもらい、離岸する、私達と土屋さん夫妻の2艇で十時過ぎに淡路の浦港に向けて出航した、今日は風が良いスターボーの上り、その後アビーム南の風、見かけで17ノットその後南西の風、コゥターリーとなる、逆潮を押して、明石海峡を通過し浦港に六時前に停泊した、河田さん達は徳島へ行く予定で居たが、かすがまると連絡を取ると停泊する所が無いとの事で、勝チャンと共に小豆島に変更したと電話が有った。出航前に土屋さんが連絡を取り、今夜は仮屋の大倉荘に宿泊した、夏休みなので大勢の家族ずれが海水浴にと、泊り込みで来ていた。

15日朝食を済まして喫茶店でコーヒーを飲み時間を調整して、仮屋の観音さんを見学する、今まで何度も仮屋に来たが眺めるだけで中に入った事がなかった、入場料\800円を払って中に入ると一階は仏像が展示していて四国八十八箇所や西国三十三所の仏が祭られている、二階は鎧や昔の火縄銃が展示している、三階は版画と絵画焼き物等が展示していた、観音さんのノゾの部分に展望台がありここより大阪湾が一望出来る、地下には国産の古い車が展示していて庭にもD51が置かれている、観音さんを後にして浦の国道沿いにある喫茶店で昼食を済まして、昼過ぎまで時間つぶしをしカキ氷を食べて、二時過ぎに港を出る、昨日に続いて今日も風はよい、南の風アビームで進みその後コゥターりーと成り一時は艇速8,5ノットに上がった、泉大津港に午後四時二十五分到着し、今年のお盆三泊四日のクルージングは終わりました。

浦港

後書き 何時も思うことですが、クルージングの計画をして皆と話し合っている時は一番楽しく、航海中は日日の事などは頭になく、帰る日になって初めて現実に引き戻されるような気がしてならない、こんな気持ちになるのは私だけだろうか・・・・・・。

ブルーシーガル 上田