
平成12年8月13日〜16日
8月10日、泉大津マリンで艇を上架する10時に船検を中間検査だ(沿海)にするために火薬手に入る浮器は膨張式では検査が必要だとのことで、河田さんより固定式の4名用の浮器を拝借、検査はOK、今日より(沿海)で4名限定沿海では15名となる、昼前より船底を洗って急遽水線のはげている所とラダーを塗る、見た目は美しくなった、今年は賢三が病気で和秋は親父の葬式でお盆のクルージングは見送り、そのため来ないので仕方がない、その日の5時過ぎに艇を降ろす、これでお盆のクルージングはOK河田さんと土屋さんの三人で6時より(道楽)で酒盛りをする、河田さんは明日11日に小豆島の日下部に行くと言っている13日には津田で合流することにして11時過ぎに別れた。
8月11日夕方より燃料をいれてキャノピーの天井部を取り付ける。
8月12日午後食料を女房と共にライフに買物に行く、今回は津田の(カニ荘)でカニスキと決めていたので夕食はなし、明くる日も夕食は外食することにしていたので昼の食料と朝の食料におやつと飲み物を買ってその足で艇に積み込んだ、水も新しく入れ替えて準備はOK。ところが天気予報では昨日より潮岬南部で台風9号が停滞している今日は風が強く、今西さんと加藤さんが出港を見合わして昨夜より艇で待機、中元さんも同じく3艇そろって出港を見合わした、話をし明日天気の都合で一緒に出港しようと約束をして帰って来て、夕飯を食べて、みーちゃんに電話をする明日出港予定でいるので今夜中に艇に来いと伝える、出港準備をして10時過ぎに港に行き、今西さんの艇にお邪魔して天気予報を聞く台風は少しずつ北東に進み出したので名古屋の方に行く可能性が強くなったので予定道理に明日、私たちは土屋さんと5時に出港することを伝える、今西さんもそれより一足先に出港すると言うそれではと別れて、艇に帰って寝る準備をしいると、12時過ぎに、みーちゃんより電話、今港に着いたがビールを持って来たので重いので取りに来てほしいとのこと、ビールを運びおえて寝ることにした、みーちゃんがバウで寝るという、私は暑いがコウターバースとなる。
8月13日昨夜より吹いていた風もリギンに当たる音も収まっている、4時頃目を覚ますと酔酔の中元さんが出港して行った、タバコに火を付けて一服する、(くまの)の加藤さんの艇も火がついた、しばらくすると土屋さんも来た、みーちゃんを起こしてコーヒーを沸かして貰う、パンとコーヒーで朝食をとっていると、土屋さんが出港して行った、土井さんも来て出港準備をしている、彼は広島の故郷に帰る予定だという、明石の潮に合わせて瀬戸内に行く艇は5時過ぎは最終リミットだ、今西さんと土井さんももやいを解く、私も続いて出港する、航海灯を揺らしながら赤灯台を左舷に見て3艇揃って出港した、台風9号はウソのように波も風もない,出港してすぐに、みーちゃんが眠いと言ってバースに戻る、土井さんと今西さんも追い越して潮に乗って8時きっかりに明石大橋をくぐる、出港してしばらくはアビームの機帆走で走っていたが播磨灘に入って風が前に回ってジブがかろうじて効く程度となる、朝が早かったので10時過ぎに早い昼食に焼きそばを作る、みーちゃんを起こして昼飯だ、再度みーちゃんが寝に行く、しばらく走っていたが播磨灘の真ん中当たりで
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津田の桟橋 |
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カニ荘で夕食 |
波が悪くなる、小一時間ほどの間はデッキに波上がってくる、前に2艇のヨットが見え出した、しばらくして土屋さんより無線が入る、中元さんの艇が横に走ったりバックをしたりしているので見てほしいと言って来た、エンジン回転を上げて中元さんの艇に追いついて聞くとペラに何かからんでいたが、今取れたとのこと、それではと再度進路を津田に向ける、みーちゃんが起きて来た、しばらくして土屋さんの艇に追いつく、津田湾が目の前に迫って来た、河田さんが電話で今津田の桟橋に着岸したと言っている湾の入り口に網があるので右よりに侵入をするといいと言っていた、見ると前方にポンテンが数多く浮いている、みーちゃんに舵を任せて迂回するように指示をしてセィルダウンの準備にかかる、津田湾に入ってセィルを降ろして、右舷側より桟橋に近付き、エンジンスローで進む、桟橋の手前で突然ガーガーと船底をこする、びっくりして水面下を見ると大きなボンテンが水面下で揺れている、このボンテンを擦ったのかと、みーちゃんがびっくりして大丈夫かと聞く、大丈夫だと言って舵を代わって桟橋に横付けした。河田さんにもやいを取って貰って無事着岸した。続いて土屋さん、今西さん、中元さん、加藤さん、全艇6艇4時までに到着した。4時30分タクシーに分譲して津田の国民宿舎の風呂に行く、汗を流して帰りは徒歩、6時より河田さんが(カニ荘)に予約をしていたのでカニナベとなるビールは1,000円で飲み放題、皆いやと言うほど飲んでくって9時頃までいたが、艇に帰って少ししゃべって皆つかれていたのか10時過ぎには各自寝込んでいた。
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高台より見る |
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海水浴 |
14日6時過ぎに今西さんの話し声で目が覚める、早速茶粥を炊く、みーちゃんが未だお目覚めではない、便所に行き顔を洗って茶粥が炊き上がったころ、みーちゃんが起きて来た、今西二世の久通が桟橋にテイブルを出して食卓の準備をしている、みーちゃんがいり卵を作っている、各自が作った食事を持ちよって8時前に食卓を囲む、朝食を済まして、我が艇の水の補給をしてついでに艇を洗う、今日も暑い一日となるだろう、土屋さん夫妻と河田さんが展望台に行くという私たちも後に続く、展望台より見る景色は美しい、河田さんの説明が始まった、しばらく涼んでいたが艇に戻る、しばらくし昼飯の素麺作りに久通とみーちゃんが料理をしている、氷りが少ないとのことで河田さんにカニ荘で貰って来て貰ったこれでOK、加藤さんたちが自分らで昼を食べると言っている土屋さんと河田さんがカニ荘でカニコロッケの定食を食べると言っている、私たちと今西さんたちと、よく冷えた素麺で昼食を食べた、昼過ぎに土屋夫妻、河田、私、みーちゃん、久通の6人で津田の松原海水浴場へタクシーで行く、ぶらぶらと松原を歩いて砂浜にたどり着いた、お盆のためか思ったより少ない客だ、土屋さんの奥さんを残して早速泳ぐ、一時間あまり泳いで木陰の小屋で昼寝をしてカキ氷を食べた、松原を歩きながら昨夜と同じ国民宿舎の風呂に行き、今宵は津田の寿司屋で夕食と純和風の料理に舌鼓、再度飲んで食って、久保田という酒がうまい、ほどよく酔ってローソンへ河田さんと土屋さんの明日の昼飯を買う、買い物を済ましてタクシーで帰って来て桟橋で夕涼み遠く津田の南の山の向こうで花火が上がっていた、満月に照らされて美しく輝いていた、しばらくし涼しくなった12時頃寝ることにした。
15日4時頃うとうとしていると、今西さんの艇のエンジンの音、夢うつつに聞きながら再度寝込む、6時過ぎに目が覚める便所に行き顔を洗ってみーちゃんの入れたコーヒーとパンで皆で朝食をとる、8時に出港する、二日間お世話になった津田の桟橋に別れを告げる、後ろに河田さんと土屋さんの艇が付いてくる外海に出ても波もなく風も南よりの微風だ機帆走で6,5ノット明石海峡に進路を取るお盆のためか漁船の姿がない、13日よりも静かな播磨灘、相変わらずみーちゃんの眠り姫がキャビンでお休み、明石大橋がうっすらと見え出したころ昼飯を炊く、眠り姫を起こしてカレーと昨日食べたカシワの空揚げを作ってもらう、静かな海で昼飯を食べていると大きな外国船籍のタンカーが通って行く、やがて大橋をくぐり大阪湾に入った、今日のは泊地は花博の都合で森港と決めていたが入ったことがなく分からない、土屋さんの艇を待って一緒に入ったが結局間違って浦港であった、電話で後続の河田さんに連絡をして待っていると河田さんの艇の姿が見えて来た、3艇横抱きが出来ないので私の艇に河田さんの艇をだかして停泊をした、電話がなって女房は今淡路の津名に着いたと言う、ここで待っていても同じことなので国道に出て待つことにした、小一時間ほど待ったが来ないので土屋夫妻と河田さんの三人に先に花博に言って貰って私とみーちゃんが待つことにしたが一向に来ない、しばらくしてひょっとしたらと思ってみーちゃんを残して艇に帰ってみると案の定、女房が艇の中で立っていた、こっちで待っていたのにと言いつつ三人でタクシーで花博の会場に行く、先に行った河田さんが切符を買うのに並んで待っていた先に行ったのが正解のようであった、5時過ぎ花博会場の中を見学するユメハッチなる乗り物に乗って会場を回る、花博とわ名ばかりこれと言った花は無いように思う、各国の屋形の中にはあるらしいが皆並んで入るのに時間がかかる、一周廻って再度タクシーで岩屋に新しく出来たという温泉に行く事にした、丁度山の上に有って露天風呂より明石大橋が見えて夜のライトアップで浮かび上がって美しい、河田さんが再王子さんの息子が来るという、待ち合わすことにする、我々は汗を流して今宵の夕食は浦港の国道沿いに有る「一力」と言う焼き肉屋で盛り上がる、ここの肉はおいしく食って飲んで腹一杯、艇に帰って来た時は10時を回っていので皆各艇でそのまま寝た。
16日今日はクルージング最後の日、朝ゆっくりと起きるつもりでいたが何のことは無い皆早くから起き出した、我が艇に積み込んでいた松茸を女房が料理、松茸飯を炊いて朝から豪華な食事となる、陸地にテントを張って特別の食堂ができあがる、皆揃ってゆっくりと食事をして10時頃にクラーの効いた喫茶店でコーヒーを飲んでゆっくりと過ごして、朝の食事の残りに再度加えて昼飯を食べて2時に出港する、風は南14ノットアビームで7,5ノットの帆走で艇速を保つ、少し波があるが気持ちがよい、今回のクージングで初めての帆走でこのまま泉大津まで走ることが出来た、泉大津到着4時30分無事に桟橋に到着した。

平成12年10月7日〜9日
10月7日午前9時前に孝二に港まで送ってもらう、港に着くと土屋さん、赤崎さん、梅ちゃん、藤原の4艇が出港し赤灯台をクリヤーしていた、早速準備にかか、今回は一人なのでアンカーのロープを先持ってセットしておく、9時40分舫いを解く、波はしづかである、風も西よりの微風エンジンをかけてポートで明石海峡に進路を取る、大阪湾の中ほどを過ぎたころに土屋さんと藤原を抜く、昼前に即席の焼きそばを食べて潮止まり少し過ぎに明石大橋をクリヤー流れが気にならない、目の前に赤崎さんと梅ちんがいる、その後ろより淡路のノリ網を交わして磯よりより富島の赤灯台に進路を取る、港に入り何時もの新港にアンカーを落とす、左舷に梅ちゃんが横抱きして停泊する
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富島港 |
その、横手に赤崎さんも停泊した、富島到着2時過ぎであった。赤崎さんはダンス友達の夫婦づれとその友達の合計4人梅ちゃんは彼女と二人で乗って来た、しばらくして土屋さんが接岸、続いて藤原のオオロラが到着する、藤原はエンジンの水が時々回らないという早速ポンプを整備するがポンプその物がへたっていたので応急修理しか出来なかった、6時前に皆と共にかんぽの風呂に行く、今回は土屋さんもシングルハンドで藤原も一人なので、帰りにシングルハンドの3人で以前行ったことの有る、寿司屋で夕食をとって艇に帰って来て、我が艇で皆と共々(ウノ)をする、梅ちゃんは彼女とアベックで散歩に出掛けていた。結局7人で再度飲んで12時過ぎにお開きと成った。
10月8日今日は藤原は仮屋に行くという、梅ちゃんは今日このまま帰るらしい、我々は朝飯を食べて、8時過ぎにアンカーを上げて家島群島の一つ西島に進路を取る、今日も静かな凪で機帆走でノリ網を交わして本船行路に向かう、ノリ網の切り目で西島に転進する、連休で家島の砂利運搬船が坊瀬島と家島本土の間の水面に数十隻停泊をしていた、その間を縫って西島の民宿の桟橋に2時に停泊をした、西島を散策して6時前に民宿の風呂に行き夕食を食べる取り立ての魚が美味しい、食事も終わって艇に帰って来て今年お盆に行った時に取ったビデオを見て、結局12時まで土屋さんとしゃべっていた。
10月9日6時に目が覚める、7時過ぎに民宿で朝飯を食べてテシビの天気予報を見ると低気圧が来ている、しかし今日は帰らなければならない、早速舫いを解き8時に出港した、西島を出ると波が悪いし風は北東真上りである、姫路港に進路を取る、どうにかメインが効く、土屋さんと赤崎さんがそのまま明石海峡に進む、私は磯寄りを東播磨港の方向に転進してその後本船行路に出た、後ろを見ると彼らの2艇が見えかくれしいる、そのまま 明石海峡に進路を取る、海峡に近付くと波が悪くなって来た、橋の下でイルカが10匹ほど群れをなして私の艇の左舷側を泳いで来た、後続艇に無線で知らそうとしたが波が悪く時々35ノットのブローが入りラットを離すことが出来ない、大阪湾に突入すると南側より大きな2メーターぐらいの波が押し寄せてくるので仕方なく泉佐野沖に転進する風は東よりの上りで25ノットぐらいで吹いてくる、そのまま空港沖まで来た、120度に転進して泉大津に進路を取る風が北に触れて少し落として進める、泉大津のツインビルの陰が見えなくなってきた、しばらくすると風がきつくなるオートヘルムが効かなくなる、仕方なくラットを持つ、後30ぐらいに近付い時に大粒の雨が降りかかり土砂降りとなる、薄く見えていた泉大津の赤灯台が一瞬に見えなくなってきた土砂降りの中ずぶ濡れになりながらラットから手が離せられない、2〜30メーター先が見えないしばらく走ると薄く泉大津の堤防が目の前にある、左舷に転進して赤灯台をクリヤー港に入ると雨が少し収まってきたセイルを下ろしの作業にかかるがずぶ濡れで体が重い、どうにかセイルを下ろして無事に着岸した、時計を見ると3時15分であった、づぶぬれであったので早速着替えてキャビンより出ると土屋さんが帰って来た、艇のしまいもそこそこに樋泉さんに乗せて貰って帰ってきた。
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