清たん、賢三が来た、燃料とプロパンガス、私の着替えを渡す、午後12時過ぎ美代ちゃんと和昭らが迎えに来る、賢三と薫ちゃん、抱っこが来ている、港に行くと寺田君前さん堀田さん等も来ている、午後1時早速艇を出す。東の風、見かけで6ノット、コウターリーで機帆走で7ノット近く走る。静かな海だ、3時過ぎに淡輪ヨットハーバーに到着する。賢三が入港届けを出しに行った、我々は日よけのテントを張っていると所にみーちゃんが男の子を連れてやって来た、しばらくして女房と和昭が車で来た。全員集合だ。早いが4時過ぎより寺田君前さん堀田さん等を交えて夕食パーティとなった。美代ちゃんが家から(おでん)を持って来ていた、それを肴にビールや酒、テンションが上がって来る、ところがかわいそうに、みーちゃんの連れて来た男の子が、係留している艇に乗っていても船酔い気分、彼女たちは艇を下りてハーバーの方へ行く、我々は飲んで食って満腹満腹、其のころにはお馴染みの21世紀の前夜祭のジャズバンドが始まった。私たちも7時頃に見に行くが何時もより人気のない楽団なのか見物客が何時もより少ない。
私たちもしばらく見ていたが艇に帰って来た、艇から見ると海水浴場で上げている、花火が美しい、今年は昨年より時間が長く豪華である様に思う。
花火を見ながら再度飲み直し、寺田君等が昨年のレースでは優勝した、今年は二連賞を狙う意気込みで話しに力が入る。10時頃みーちゃんが此れから帰る、皆さんによろしくと電話が有った。しばらく皆んなで話をしていたが、美代ちゃん、抱っこ、三保子、薫ちゃんの四人が帰って行った。我々も12時過ぎ明日のレースに備えて寝ることにした。

起床、賢三が茶粥を炊いている、寺田君等と共に皆で食べる、出艇申告を済まして、艇の艤装に入る、和昭が艇長会議に寺田君と行く和昭は初めての艇長会議だ、無事に帆走指示書をもらって来る、準備完了。
8時に艇を出す、寺田君がCクラス我々がBクラス、9時にCクラススがタートをした。無線で111番フライングしたと言っている、解消すると思っていたが無線を聞いていなかったのか寺田君等は其のまま行ってしまった、我々も9時15分スタートする、南西の風、微風で追って3ノットのスピーンランと成る、我々も一足遅れてスピーンを上げるが、風を掴みそこなって後続艇に抜かれてしまう、第一マーク回航後は上りのタックタックを繰り返して行く、風も少しは上がって来て、見かけで10ノット。艇足が伸びない原因が解らない、後続艇に抜かれて行く、第二マークを回ってゼネーカーを上げる、艇足が伸びるが風が西にシフト後ろの艇がスピーンを上げて追い上げて来る、やはりスピーンの威力は大きい、結局Bクラス一四位となる。寺田君等が残念ながら一位でフイニッシューしたが失格と成った。表彰式に続いて抽選会我々が抽選で電動シャワーを貰って艇を此のまま再度舫って寺田君の艇に乗せて貰って無事6時過ぎに泉大津港に帰って来た。寺田君等は二連勝ならず残念であった。
淡輪ヨットハーバーを出港する、賢三、和昭、清たん、勝ちゃん、(クラブの勝っちやんではない)前さん、前さんの友人篠原さんと私の合計7名、北よりの風曇り、機帆走で友水を連れ潮に乗って進む、我々の艇の前と後ろにもなん艇かのヨットが同じ方向に進んで行く、昼前に沼島を左舷に見て午後2時過ぎにケンチョピャーマリーナーに到着する。前夜より来て今日のレースに出場していた艇も数多くいる、ケンチョピャーマリーナーは満杯状態だ、早速出艇申告を済まして皆で此の暑いのにうどんすきを食べて夕刻より阿波踊りを見物に行く、何時もの通り役所本町通りの桟敷に潜り込んで見物する、前さんが此の太鼓の音と女の子の色気にほれ込んでいる。篠原さんも初めて見て興奮気味。11時過ぎに何時もの銭湯に行く、汗を流して艇に帰って来ってしばらくすると寺田君が来る、彼はフエリーで明日のレースに乗り込むためにやって来た、皆で何時ものようにわいわいがゃがゃ、明日の風を期待して眠ったのが午前様であった。
に目を覚ます、いつものように朝粥を食べて7時にアンカーを上げた、全艇新川を一斉に下る、スタートは我々のクラスは陸寄りとなりCRとIMSは 沖よりのスタートと成る、午前8時花火と共に一斉にスタートを切った。コウターリーの北よりの風、すぐさまスピーンを上げる、スピーンを安定さして後ろを見ると各艇もスピーンを上げている、ダントツでトップ、磯よりの風をつかんでジャイブジャイブを繰り返して我々のクラスでは一位をキープ陸が近くなって来たので沖だしをすることにした、左舷を見るとIMSとCRクラスの先行き艇が近くに見える、此のまま沖だしをすれば彼らの真ん中より少し前に突っ込むはずだ、早速ジャイブをしてCRクラスのヤマハ31Sを風上より抜いて気持ち良く走っていた時にパーンと大きな音と共に突然スピーンが破れたて落ちて来た、スピーンを回収してゼネーカーに上げ替えて走ったが次々と後続艇に抜かれて行くが成すすべもない、岬を交 わして回航点までの間に我々と同クラスの後ろにいた艇約30艇ほどに抜かれてしまった。回航後は上りの風タックタックで何艇かを抜き返したが結局順位は16位と成った。スピーンを失った艇は哀れなもので昨年より悪い結果となった。
泊地に帰る途中に寺田君をフエリー乗り場に送って我々は元の泊地に接岸、レースはともかく港に着くと、昨年同様に女性陣が来た、4時過ぎにはパーティが始まり酔った勢いで7時頃にはヨット連で両国通りの演舞場に全員で踊りに行く、皆そろってヨット連で踊って行く、次はお城跡の演舞場に移動し此処でもヨットセーヨットセーと踊りまくって大賑わい、我々は役所本町通りの桟敷に踊り見物をする。今年で三年連続の阿波踊りヨット レースの参加となった、もうボチボチ卒業かなと考える。女性陣は予約をしていたホテルに泊まり、我々は昨夜同ように銭湯に行き艇に帰って来た。
今朝の北流の潮に合わせて朝4時に出港する、寺田君と入れ替わって女房が乗る、合計8人の大所帯。真っ暗な新川下る、徳島港を少し出たところで夜が明ける曇っていて日の出が見えない、風は北、真上の機帆走で鳴門大橋の潮止まり少し過ぎに通過する、洗濯機の渦の兄貴分のような渦が所々に見えかくれする。五月の連休に通過した時を思うと静かなものだ、曇り空の中、艇は播磨灘に入る、前方に小豆島が大きく見えて来た、四国の屋島鼻が見え出した、午前10時を回ったころ前方より樋泉さんの「たなぼた」に良くにた艇がこ ちらにやって来る、セィルを上げずに屋形船、近くになりよく見ると「たなぼた」だ近くによって声をかける、樋泉さんは今日このまま帰るという、今朝4時30分に栗島を出港したらしい、栗島の現状を聞いてみると泉大津を13日に出港すると言っていた土屋さんと、中元さんの艇が来ていないという、おかしいなーと思いつつ携帯電話で土屋さんを呼び出して聞いてみると、現在小豆島の内海に停泊している、これより出港するとのこと、我々は一路粟島に直行することにした、潮が良いので鳴門を通過後幾分か押してくれている、昼過ぎまで助けてくれていた潮が逆潮と成って艇速が伸び悩む、前さんと、篠原さんの顔を見ると日焼け止めにと塗ったクリームで真っ白でゾンビーの様な顔になっていた。瀬戸大橋の下を通過する、此のころには潮に押し戻されて対地速度4ノット強まで落ちる、午後2時過ぎ に栗島に到着した。此の艇に成って二度目の粟島泊と成った、早速桟橋に係留して河田氏の説明を聞く、皆が思い思いに艇を下りて散って行った。粟島は我がクラブの坂井さんの第二の故里色々と説明をして貰う、此処も年々人口が減っている、若い人が島離れをして帰ってこないらしい。小学校も閉鎖をしていた、数人いる子供たちは船で本土の小学校に通っているらしい。午後6時を待ってパーティの始まりだ、土屋さん等が未だ到着しない、しばらくして携帯電話を掛けると港の入り口まで来ているという、しばらくすると大勢でやって来た、皆そろってホテルの食事とパーティの焼き肉で食って飲んで満腹満腹。その夜は艇を離れてベットで休む。今年のクラブのクルージングは豪華だ、五月の連休に続いてホテルで泊まる。河田さんに感謝感謝ご苦労様。
 今日は6時過ぎに目が覚める7時過ぎに朝食をとって、出港までの時間つぶしに西浜の海水浴場に行く、美しい砂浜が続いていた。栗島を後に9時過ぎにアンカーを上げる、昨日より河田氏の勧めで今日は四国の津田港に行くことにした、此の津田港は5月の連休の折に西田さんと石田さんが強風のため非難した港だと聞いている、河田さんの話ではカニの食い放題で良いところだと石田さんに聞かされていたらしい、土屋さんらは小豆島の福田港に行くらしい、一足先に出た彼らの艇が本島の手前に見えて来た、我々は四国寄りを逆潮に逆らいながら進んで行く、彼らは本島と牛島の間を通過し与島の前を通って播磨灘に入って行く、我々は女島雄木島の島裾を 交わして進むが、今日も風がなくメィンを上げているが日よけの役目にしか成らない、先に出港したパパラギが津田港に到着したと河田氏より携帯電話で知らせて来た、しばらく進むと津田の漁港が見えて来た、パパラギにVHFで連絡して津田の桟橋に着岸する、着くなり一言、家村さんがカニは休みで残念だと、アリサー共々言っている、ここは釣り公園にも成っていて、早速皆が釣りをするが何もつれない、此の施設は、村おこしのため一億貰って行った事業だと言っていた。しばらくして河田氏の「ほのぼの」河田さんと酒井さんが到着する、河田氏と前さんがパパラギから取り上げた浮輪を片手に泳いでいる。側で釣っていた釣り人が逃げて行った。其のうちに「光洋」の伊藤さん一家が到着した。此れで4艇我々の貸しきり桟橋となった。しばらくすると雨が降って来た、此の桟橋の所にあるカ ニ荘が休んでいるここで夕飯をと思っていたが残念無念。雨上がりを待って遠いが国民宿舎に行くことにした、皆そろって7時過ぎに行く、遠いので女房が積んで来た自転車で行くと言う。国民宿舎は大きな風呂で気持ちが良い、入浴すまして食堂で各自めいめいに注文し満腹に成って艇に帰って来た時は10時を回っていた疲れていたのか皆そのまま眠りに付く。
朝目が覚めるとパパラギが出港していた、昨夜の話では早朝3時に出港して鳴門を回って帰ると言っていた、賢三が茶粥を炊く、其のころに光洋の伊藤さんが出港した、河田さんが眠たそうな顔をして桟橋に座っている、勝っちやんがバウで大きな鼾をかいてまだ寝ている、私も顔を洗って便所に行っ て帰って来ると茶粥がで来ていた、ふと見ると河田さんも出港して行く、朝粥をかき込んで我々も出港準備、津田湾を出たところで良い風だメィンを上げる、しばらく機帆走していたが風が次第に強くなるエンジンを止めても8ノット、今回のクルージングで最高の走りだ、気持ち良く走っていたが鳴門からの風が段々と強くなって来た、ワンポンリーフと思ったが五月の連休にメィンを破った事が頭をかすめる、波も悪くなって来た、メィンを下ろしてエンジンをかける、ジブとエンジンの機帆走、眠くなったので皆に任せてキャビンに入る、しばらくうとうとしていたがそのうちに眠ってしまった。先程「光洋」の伊藤さんを抜いたと言っている、デッキに出てしばらく進むと、前方に「ほのぼの」が見えて来た彼らはメィンをワンポンリーフしてジブフアーラを半分だしの機帆走で走っている「ほのぼの」を抜いて明石海峡に入 って行く逆潮の反流に乗せて大阪湾に入って行く明石寄りを見ると土屋さんの「ウエルカム」と中元さんの「酔酔」が走っている、同時刻頃彼らも出港したらしい、昼飯を食べていると波が良くなって来たのでメィンを上げて帆走をする、上り60度の風5〜6ノットで走っている、しばらくすると泉大津の灯台が薄ぼんやりと見えて来た、午後4時頃に泊地に着岸した。今回のレースとクルージングは日和に恵まれて航海中は雨にも遭わずに太陽のかんかん照りにも悩まされず、楽しい日々を過ごしました。
乗員の皆様ご苦労様、クラブの皆様ご苦労様、役員の皆様ご苦労様。
ブルーシーガルY 上田 孝
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