午前11時過ぎ友ケ島水道を逆潮で乗り切って艇は徳島へ進路を取る、沼島の手前で昼食の焼きそばを食べる、我がブルーシーガルの乗員は弟の賢三その友人の和昭と清ったんと彼らの知人の勝っちやん、当クラブの前さんと私の六名、しばらく進むと風が出てきた、見かけの風速12ノット上りの風、同じ頃出港したサラマンドラがジブを上げている、後方航行の寺田さんのGood−day−mateがフアーラーのジブを出した。その後方より西宮のサマーボーイがフルセィルで追い抜いて来る。今年の阿波踊りレースはにぎやかになりそうだ。阿波踊りレースの参加は昨年に続いて二度目になる、昨年は初参加ながら我が艇の成績は10位、今年は頑張ろうと皆んなで話し合うが。清ったんはレースには初参加、更に勝っちやんは初めてヨットに乗る。戦力は前さんと私それと当日乗り込む予定の寺田さんの三名だ。
我がブルーシーガルは完全なクルージング艇のデヘーラー36CWSだ。電動ウィンチにアンテナタワー、キャビンには冷蔵庫とオープンレンヂ、備え付けの冷蔵庫ではまだ足らずに大きなクラーを二つも積んで中はビールの山となっている、テレビにビデオ、鍋釜類の所帯道具沢山の重量物テントにチエアー各自の私物の山となる、こんな重たい艇でレースに出るのは無理なこと、前さんいわく、レースの時は何とかならないものかと言う、そんな忠告もうわのそらヨットは楽しければ良いのだと思っている連中だが、上位に入れば尚楽しい、
今年の4月5日に行われた、徳島ヨットクラブ呼びかけの、明石大橋開通記念ヨットレースにも参加した。その前日に回航する、堀田さん、寺田さん、前さんと私の五名だ。開通準備をしている明石大橋のゲートを下から見上げながら機帆走で進む、昼前に明石海峡を通過する、このレースに参加する為か3〜4艇のヨットが同方向に走っている、風が無く機帆走で予定通り徳島観光港に午後5時過ぎに入港した。
その日の6時過ぎより始まった艇長会議と前夜祭に全員で参加する、初めて合う人、久しぶりに合う顔、なつかしい顔もいる。にぎやかに始まったパーティも9時には終わった。一緒に来た我がクラブの鈴木親子のオールウェザーがこのまま寝るという、我々が風呂に行こうと探すがここでは銭湯が無い、先に来ていたマリオエスプレッソのメンバーが予約していたホテルの風呂へ行くことにする、迎えの車で行くが約15K近くもあった。一汗流してロビーに出ると携帯電話が鳴った、遠藤だ、タクシーでこちらに向かっていると言う、途中でホテルに寄って貰って同乗してそのまま艇に帰って来たが、他の艇の人達を交えて楽しく食って飲み直し結局午前様となる。
に目が覚める、コヒーを飲み7時過ぎにもやいを解く、全艇レース海面に到着する、淡路島丸山港沖よりスタート、フイニッシュは淡路富島沖で約25マイルのコースだ、コウターリーの微風を掴んで、マーク寄りにスタートを切った。すぐにスピーンセット、全艇一声にスピーンの花が咲く。我が艇はポートタックで各艇の中程より飛び出したが風が無く全艇漂うそんな中、風が前にシフトする、早速ゼネーカーに上げ変えるが真上りになって来た、沖寄りにコースを引いた艇は良く延びている、潮と微風に悩まされてゼネーカーで騙しながら、タック、タックの繰り返しで沖の方に出て行くが順位が落ちていた。こんな風向きをだれもが予想していなかった、天気予報を聞いても南西の風と言っていたのに予報が当たらず北の風、上りの風ではままならない、艇は2〜4ノット強のスピードだ。12時前に昼飯を食べる、しばらく進んだが思うように走らない潮に押されて四苦八苦。一緒に参加した鈴木が携帯電話でリタイヤすると告げてきた、彼らは我々の遥か後ろを走っているようだ、我々がもう少し頑張ってみることにしたが、突然ドーンと言う音と供にゼネーカーのハリヤードが切れた、ゼネーカーを引き上げてジブに替えてしばらく走っていたが結局午後1時30分現在、フィニッシユの富島沖まで残すところ7マイル、乗員相談の結果30分ほど頑張ることにするが艇は2ノットも走っていない残り5マイル手前で決断し2時00分にエンジンを回しリタイヤを本部艇に告げる、先にリタイヤをした鈴木に電話をして通りすがりに遠藤を迎えに来てもらう、艇を横付けして遠藤を乗せ変えて我々が12日に行われる「舵杯」参加のため、姫路の木場港に艇を回航することにした。
機帆走で午後5時過ぎに木場港ヨットハーバーに停泊する。スピーン(ゼネーカー)兼用のハリヤードが切れたのをマストに登ってメッセンジヤーを通うして完了する、これで後日ハリヤードを通せばOKだ。ハーバー事務所に停泊許可の申請を済ますと午後7時。今回のレースに参加し供にリタイヤした、我がクラブの元「津軽」現在のオーナー小島さんの奥さんにJR姫路駅まで車で送って貰った、家に帰ってきたのは午後10時30分を過ぎていた。
午後1時に泉大津港で待ち合わす、メンバーは前回と同じく前さん、寺田さん、堀田さんと私、今回はそれに前さんの友人の南さん、弟の賢三の六人だ、堀田さんを残して寺田さんのベンツで一路湾岸線経由で姫路に向かう今日も天気が良い、姫路東インターを下りて木場ヨットハーバーに着いたのは午後3時過ぎだった。早速艇に行き明石大橋開通レースの時飛んでしまったスピーンハリヤードを家から持って来た、ケブラーのシートをメッセンジヤーに結んで取り替える。隣を見ると我が艇と同型の西宮のピーターパンが来ていた、4時の締切に合わせてレースの出艇申告を済まし、5時からの艇長会議に皆で行く、IMSクラス7艇、CRクラス13艇,NRクラス42艇,CYUクラス30艇,Wクラス8艇全艇で100艇のレースとなる予定。
夕刻6時より前夜祭のパーティが始まった。姫路城のミス女王が姫路市長のメッセージを読み上げて、関係者一同で鏡開きで乾杯をする、近辺のヨットクラブや漁業組合のボランティヤの屋台が数多く出ている、我々も会場の一角に陣取って食うは飲むはで賑やかだ、ふと見ると堀内さんの息子さん等も来ていた、彼らは艇をチヤーターしての参加らしい。ジヤズの生演奏も始まった、そんな中、堀田さんが電車で一足遅れてやって来た、皆んなで騒いでパーティも8時過ぎにはお開きとなる、我々も艇に戻って飲み直していると、サマーボーイに乗るために来ていた樫本さんを交えて又飲んだ、午前1時頃には皆んなグロッキー樫本さんも伸びてしまって私の艇でそのまま寝込む。
に目が覚める、顔を洗って便所に行く、艇に帰るといつものように賢三が茶粥を炊いていた、7時過ぎに朝飯を済ませてコーヒーを飲む、天気は晴れで風がない、9時前にもやいをはずして外海に出る、全艇レース海面に移動する。我が艇もスタート前にセイルをセット、先発はウットンクラスが10時にスタート、情けないけど風がない、1〜2ノットで走って行く、二番手スタート10分遅れ、1MSが飛び出した、10時20分我々のNRクラスとCRクラスは同時スタートだ、合計55艇のスタートとなる、スタート時間5分前になって少しばかりの風を感じるようになった、うまく風を掴んでその勢いで8艇ぐらいの後より飛び出した。
南東の風、即座にゼネーカーを上げてアビームの風を受けて快調に走る、第一ブイ回航前に2艇ほど抜いて第二ブイまでに2,3艇を抜いた、アカウーピンが前にいる、第三ブイまで上りのレグ。ジブに上げ変えてタック、タックの繰り返しをしながら上って行く、マーク近くになるにつれて少し風が落ちて来た、第三ブイを回ればスピーンラン、ジャイブを返して進む、第四ブイ到着までに1艇抜く、ブイを回ればフイニッシュラインが目に入る、そのころには再度風が落ちて来たが運よく最後に一艇抜いてそのままフイニッシュをする。良い成績で入ったはづだと皆で話す、港に戻って昼飯を食べて堀田さん前さん賢三の三人で泉大津までの回航を頼み艇は午後2時過ぎに出港した。
寺田さん、南さん、私の三人でレース結果の発表を待つことにしたが発表が遅れている、そのうち雲行きがややこしくなって来た風もきつくなってくる、回航組を気遣いながらしばし待つ、定刻時間を40分も過ぎたころ表彰式、レース結果の発表となった。我々はNRクラスで二位となる、初出場で二位とは皆良く頑張ったと喜び合う。一位は後日北港の天神祭りレースで優勝し帰りがけに事故に遭った(ゆうばれ)であった。
帰りがけ早速前さんに電話を入れレース結果を報告する。こちらは明石大橋手前でえらい風で40ノット以上も吹いていると言っていた。我々は車で泉大津向けで走っていたころには回航組がきつかったと思う、途中夕食を済ませて午後9時港に着くとマスト灯が目に入る先程着いたと言っていた、後片付けもそこそこに皆で賞品を分けあって帰りがけには雨となった、ほんとにほんとにご苦労さん。
今日は淡輪21世紀ヨットレースだ。前日寺田さんの艇と供に回航を済まして淡輪の桟橋にもやっていた、前夜祭も何時ものように女性組も参加して楽しく過ごしたが、夜半より雨となる。
昨夜の雨も上がって午前7時前に朝の茶粥で食事を済ますころ奥土が来た。8時からの艇長会議に賢三の息子の和をやったがチンプンカンプンで分からないと言って帰って来た、とにかく海上に出る、そばを通った艇にスタート時間を聞く、9時15分我々のBクラスのスタートだ、風が無く何時もの淡輪レースらしい雰囲気だ、スタートしてしばらくすると風が出て来たがスタートが悪かったので全艇の中程以下になっている、前を見ると寺田さん等のGood−dat−mateが良い風を掴んだのか遥か前を走っている、
しばらく後ろに付いて追い上げる、少し距離が縮まって来たが我々はコースを変えて磯寄りをポートタックで上って行く、潮を見ながらこの辺りまで来れば上マークまで一本で行けるはずだと思ってタックをしたが関空の磯寄りの潮がきつく思っていたより流されて再度2回以上のタックを余儀なくされて順位を落とす、磯寄りにコースを引いたのが裏目に出た、上マーク回航は我々はスターボー、ポートで走って来た浜口さんのワイレアとミートするが水を空けてやる、上マーク回航後コースを見まちがってコースを落としすぎてワイレアにも抜かれ相当数の艇に抜かれる、その頃には寺田さんらは遥か前方を走っている、第二マークより第三マークはスピーンラン6〜7艇を抜くが第四マーク回航後風が落ちて無風状態となってきた、風見がぐるぐる回っている、逆潮で艇が後ろに流されている、フイニッシュラインが目の前だが進まない、振れを掴んで頑張りながらフイニッシュまでの間で3〜4艇程の船を抜くフイニッシュ2分手前で1艇抜きタイムリミット1分28秒ほど残して最後のフイニッシュ、最後に抜いた艇は可哀想に30秒程手前でタイムリミットのホーンが鳴った、港に帰ると寺田君等がほくほく顔、良い成績でダントツに走ったらしい、風が落ちる前にフイニッシュしたと言って祝杯を上げていた。しばらくして表彰式Bクラスで寺田さん等が優勝した。レース結果は着順二位修正一位であった、Good−dat−mateおめでとう。早速ビデオで記念撮影。
我々の艇は無風の中を四苦八苦し最終フイニッシュをして着順五位で修正も同じく五位となり最後まであきらめず頑張った結果であった、我が艇より後の艇は結局DNFと成った。昨年はフアーストフイニッシュで修正で3位だったのに今回は残念だったなーと、そんなことを話し合いながらコーヒーを飲む。
寺田さん一家の乗るGood−dat−mateと供に9時30分淡輪ヨットハーバを出港し、一路徳島に向かっている。沼島を左に見て機帆走で進む、後ろにGood−dat−mateが付いて来る、3時過ぎ2艇揃って徳島港の赤灯台をくぐり、早速ケンチョピァマリーナーに2艇並べて停泊する。出艇申告をすまして午後5時ホテルでの艇長会議、皆で出席する、艇長会議では昨年のレースコースと違っていた、今年は鳴門大橋までのコースに変更したらしい。艇に帰って夕食準備、暑い中ブルーシーガル得意の鳥鍋だ。夕食を済まして7時過ぎ踊り場会場の公園に行く、しばらく踊り見物をして役所前の演舞場に移動、桟敷が解放になるのを待って見物する、太鼓の音と笛三味線、鐘の音と大音響が鳴り響く、今年は明石大橋の開通で昨年より大勢の見物人で人人人。有名連を見物し演舞場を後に10時30分頃風呂に行く、港に入ったときに河田さんと石田さんが2艇で先に来ていたので、風呂の帰りに声をかけに石田さんの艇に行き、しばらく話をして艇に帰って来た、堀内さんの以前の艇、今は姫路でお世話になった小島さんの所有艇が来ていた。小島さんは明石大橋、舵胚、昨年の阿波踊りレースと今回のレースと我々と良く一緒になる。初めて一緒になったのは昨年の阿波踊りレースだった。鈴木も昨日より来ている、我々の艇の前には昨日より来ていた浜口さんのワイレアも停泊しているが艇にはだれもいなかった。あちらこちらの艇ではコックピットで話し声が聞こえている、涼しくなったころキャビンに入ったがなかなか寝付かれない、賢三と前さんのいびきの大合唱それに加えて勝っちゃんと三人トリオで大音響、横に並んで停泊した寺田さんの艇まで聞こえたらしい、いびきを聞きながらうととしているうちに朝方を迎えた。
ヨットの朝は早く、あっちこっちの話し声で目が覚める、賢三は相変わらず茶粥を炊いていた、皆んな揃って朝食を食べて出港準備をし午前7時過ぎ全艇レース海面に移動する。スタート時間20分前、風が全然無くただ漂うのみ、淡輪レースを思い出す、そのうちスタート時間となった所々の微風をうまく掴んだ艇はかろうじて進んで行くが、我々の艇が思うように進まない後ろでいた鈴木の艇や小島さんの艇がいつの間にか前にいる、磯寄りに吉野川河口の微風を掴んだ艇団は約1マイル近くも先行きをしている、我々のポジションは全艇合わせてびりより10艇程の中にいる、しばらくすると沖の右手より風が来た、沖寄りを先行きしていた艇団はうまく風を掴む、しばらく辛抱していると我々の方にも風が来たゼネーカーに上げ替えて沖よりのコースを取る、少しずつ進み10艇ほど抜き去ったころ風が見かけで13ノットぐらいに上がって来たが真上りだ、ゼネーカーをジブに替えてタック、タックで沖よりを走る、ポジションが少し上がったが未だ期待出来ない、暑いのでビールを飲みながらの気楽なレースとなる、鳴門大橋が見えてきた、タックを入れると前方にマークのブイが見えて来た、スターボーでマークを回航、即座にスピーンを上げて、一息入れて昼食のビールと握り飯を食べる、コウターリーでジャイブ、ジヤイブを入れながら先行き艇を抜いて行く、後ろを見ても前を見てもスピーンの花が咲いている、第二マークの観測灯台を時計回りでジャイブで回り、一直線でフイニッシュ。ここのフイニッシシュの合図はラッパではなく阿波踊りの鐘が鳴る。昨年一緒に乗った大西君が前さんの命令でフイニッシュと同時にデッキで阿波踊りを踊ったが、今年は踊る人も無く静かにフィニッシユ、早速ビールで乾杯するお疲れさん、お疲れさん。とにかく暑い。全艇の真ん中より少し上でのフィニッシユだろうと話し合う。
港に帰るとけいこちゃん、かおるちゃん、みよちゃん、ゆきちゃんの総勢四名の昔のギャルが到着する。彼女らがヨット連で踊るため車でやって来たのだ。寺田さんの奥さんと娘さんは昨年同様プールに行っていた。皆んな揃って四時過ぎにパーティ会場へ、引換券で焼き肉セットを貰ってパーティの始まりだ、パーティ会場でやっている阿波踊りの練習に女性達は早速行く。レース結果の発表は3位までの発表だ、後日成績表は送るとのこと、午後7時皆んな揃ってヨット連の大移動、総勢800人ほどいる、ヨット連は各連の中で一番柄が悪く踊りも揃わない大勢のデモ隊だ、我々の女性軍も勇ましく手振り足振り即席踊りで踊っている。本町通りの演舞場、役所通りの演舞場、公園の演舞場と我がヨット連も踊って行くが途中で我々は二ヶ所踊って桟敷で見物。色とりどりの揃いの衣装に編み笠を被って踊る娘さんがが美しい、「夜目遠目傘ノ内」で踊り子さん皆んながべっぴんさんに見える。中でも徳島地元の有名連が見事な踊りを披露する。「踊るアホうに見るアホう同じアホならおどりゃなそんそん」見物もほどほどに踊り囃しを背中で聞きながら風呂に行く、前さんがもうしばらく踊りを見て入ると言う、かわいい奇麗な女の子に引かれてか?、風呂から帰って女性達は車で淡路富島のかんぽの宿へ、一足遅れて前さんも来た、我々は艇に帰って小島さん寺田さん一家と供に夜食の素麺を食べて結局午前様。
に何時ものように朝がゆ食べて9時に出港する、風が無いのを幸いに日よけ代わりの屋形船、今日はクラブのミーティング参加のためGood−dat−mateと供に沼島に進路を取る、昼前に沼島到着。クラブの人達が昨日より大勢来て沼島漁港も我がクラブのヨットハーバーとなっていた。女房も連絡船で2時過ぎに到着する。沼島の一角を占領して夕刻より大パーティの始まりだ今西会長の挨拶と乾杯で始まったが、残念にも昨日より来ていた人で特に食いしん坊の四人の人が悲しくも、アワビを食べて食中毒あげくだしがひどく残念ながら艇の中でのたうち状態、4人に悪いが全員で焼き肉食って焼きそば食って腹パンパン。クルージング役員及びクラブの役員の皆様感謝感謝ご苦労様。聞くところでは沼島の銭湯も10月いっぱいで店じまい、私が初めて沼島に行った時は三軒有った風呂屋も時の流れで仕方がない。今宵一夜が最後の日、皆んな集まり又飲み直し結局今夜も午前様。
昨日の食中毒の四人も今朝は元気に顔を出す、今日も天気は良いが風が無い、午前9時過ぎに沼島を後に我が艇は相も変わらず日よけの屋形船、ジブだけ上げて機帆走。我がヨットクラブは艇団組んで友ケ島水道を通過する、ケンケンを流して走っているが何も釣れない、結局この日も風が吹かず3時過ぎに港に帰る,全艇無事港に着いたころ我々も帰路についた、クラブの皆様ご苦労様、レース参加の皆様お疲れ差までした。帰って見ると徳島ヨットクラブよりFAXでレース結果が送られて来ていた。我々の艇はノンレーティングクラス総合9位、クラス2では6位と成っていた。又来年を楽しみに。
我がクラブの皆様艇団組んで阿波踊りに行きませんか?。

「舵杯」レース、スピーンランの時ラットを持ちながらビデオ撮影していて堀田さんに怒られましたがそんな中、徳島明石大橋記念レース。「舵胚」レース。淡輪21世紀レース。徳島阿波踊りレース等の。私がビデオ撮影しテープ有りますので見たい方は申し出て下さい。
そのほかにも1996年度和歌山阿尾クルージング記録。
1996年秋クラブレース。1987年度招待クルージング他。
1997年度淡路島仮屋クルージング記録。
1987年徳島阿波踊りレース。
1998年5月富島クルージング記録。
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