1995,5月 粟島への航海 2日、午後10時過ぎ泉大津ハーバに全員集合、12時過ぎまで皆揃って酒を飲む。お開きとなって一息寝込む。 3日、午前4時に出港する、天候は曇り。津軽、トムゼーリ、鈴木(元ブルーシーガルX)と4艇で明石海峡を西流に乗って7時30分に通過する、潮に乗って艇速9ノット。真上りの風、播磨灘は微風、機帆走で本船航路に沿って6ノットで進む、家島群島を右舷に見る、その頃より風が強くなり波も立つて来た、このままの進路では真の上りなので四国よりにスターボで行く事にした、突然スクリューに何か絡まった。エンジン回転を落として進む、12時頃に風が26ノットに上がって来た、スプレーが飛んでくる、それと共に小雨が降り出すがすぐに上がる、一時間程前に出港していた西田さんの艇を後ろに見るころ、再度流れ物が引っ掛かったのかスクリューが振る、エンジンががたがたと振動音お出しているエンジンを再度スローダウン、小豆島も通過、その頃に、風も落ちて ![]() 4日午前7時30分、天気は曇り時々薄日が差す。西田さんが金毘羅に参詣するので此処でもう一泊すると言っている。我々は高松を後に栗島向け出港、8時ごろ西流の潮に乗って8,5ノットで進む。本船航路に9時に出る、9時20分、四国大橋の下通過、艇速は9,5ノットに達した。だがしばらくすると潮が変わって押されて来たがたいしたことは無い、午前10時30分に栗島到着、思ったより早かった。河田さんがいて手を振っている、早速桟橋に付ける。堀飛さんらもいて彼の艇にお邪魔してコーヒーを御馳走になる。レンタル自転車を借ってみーちゃんと島回りをする、一回りをして帰ってくると、梅谷さんや、赤碕さんの無線が入ってくる、こちらから呼んでみたが梅ちゃんは一方通行だ、彼らは本島に入るらしいが、港が一杯で困ってるようだ。夕方より雨となった、皆揃っていつものように賑やかに飲んで食って満腹満腹。 5日、昨夜来の雨も朝方には降り止んで天気晴天。西の風、午前8時45分、我々は本島に向かってアンカーを上げる。「ほのぼの」の河田さんが牛窓に行くことに成った。しばらく機帆走、途中に漁船に出会い網を縫って走る、見かけの風、北西11,5ノット、河田さんと別れて、エンジンを止めて帆走する、コウターリーで艇速6,5ノット。波は無く静に滑っている。その後西の風となり風と共に走ると暑くなってシャツいちとなる。 五月晴れで気持ちがよい。鈴木がスピーンを上げて追いついて来た。 津軽は牛島の北寄りから進んで行く、我々は牛島の南を回り込んで進む、港の手前で合流、本島へは2年ぶりだ。午前11時過ぎに本島に到着。 この本島の港も粟島と同じく小さな港で有るが四国との小さなフェリー乗り場が有り漁船は少ない、漁港は島の南側と西側に有る、 ![]() 6日、晴れ時々曇り、南風の微風、午前7時30分出港、瀬戸大橋を7ノットで潮に乗って進む、今日も日和がよい、機帆走で行く、途中無線で鈴木は此のまま鳴門を通って、沼島に向かうと言って来た、友達が来ているそうだ。 我々は当初、牛窓か小豆島の琴塚へ行こうと言っていたが、結局家島諸島の男鹿島に行くことにした、今日も波は静かだ、少し風も出て来た、アビームの機帆走で6ノット強で走る、少し肌寒く成ってくる、西島を右舷に見て家島本島を回り込んで、男鹿島の中村荘の桟橋に付ける。到着午後3時。 中村荘の前の生けすには沢山の魚が泳いでいる、皆んな魚釣りをしたりのんびり昼寝をしたりしている、夕刻中村荘の風呂に行く、洗い場の排水が詰まって水の流れが悪い、職業柄早速掃除に係る、道具がなく裸のままだ、仕方なく洗面器をぽんてん代わりにして何とか流れるようになった。 今夜はクルージング最後の夜だ、夕食も済ませてトランプのウノなどをして結局午前様となった。 7日、曇り、午前5時30分に出港、朝方に風が変わり、波が悪くなり、艇が暴れだしたので、早めの出港と成った、この男鹿島は港が無く停泊している、中村荘の桟橋も入り江の中に有り、南西の風には強いが北の風には弱い、相変わらず機帆走で走る。北東の上りの風だ、明石海峡を午前9時30分に連れ潮に乗って約9ノット強で通過する。帰りが早いので、北港に拠ってコーヒーでも飲もうと進路を向ける、北港午前12時到着。Wハンドの艇が数艇入っていた、昼飯を済まして午後2時に出港する。無線が入る、途中海上でロイヤル石津のグループとミーテング、ロイヤルは毎年の行事である淡路島仮屋のクルージングの帰りだ、彼らと別れて泉大津向けで走っていると大阪市の練習帆船あこがれが来た、あこがれと伴走して午後4時頃に泉大津の赤灯台をクリヤーしてハーバーに無事到着し五月連休のクルージングも無事終わりました。
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