阿波踊りを見に行こう  平成5:8月

                          記 上田 孝 

今年も八月のお盆休が来た。
五月の連休にクルージング委員の梅谷氏が八月のクルージングは瀬戸内の
家島群島の男鹿島にしたいので、下見をしに行くので動向してほしいとの事で有ったが。事前に行って泊地が思わしくないので、取りやめて連休は淡路島一周に変更すると言って来た。私たちは、それでは瀬戸内の本島に行く事にして、
シーダンサー、トムゼリー、と3艇で瀬戸内海に繰り出した、天候が悪く、風雨が強く楽しいクルージングとは言えないが、無事本島に到着した。早速貸し自転車を借りて、島の観光と洒落込んだ。その後梅谷氏がお盆のクルージングは淡路の仮屋にしたと言ってきた。今年は八月に成っても天候不順で、夏からぬ夏である、日本だけではなく世界的に天候がおかしくなっていて。台風も6号7号と上陸している、幸にして大阪は免れているが油断ができない。

淡輪でマリンVHFの申請を電波管理局に申請をしていたが、淡輪だけでは許可できないとの事で、淡輪のハーバーマスター鹿島氏が大阪湾一体だ作ろうと連絡を貰い発起人の一人となる、泉大津とロイヤル石津をまとめる事にして、希望者を募った。
マリンVHFの講習会も泉大津の樋泉氏及びロイヤルの鶴瀬氏徳広氏らの
協力で無事完了、紙面を借りて各氏に御礼を申し上げます。その後、大阪マリンVHF協議会の役員会に出席して報告を済ます。
現在淡輪ヨットクラブは36艇が開局申請をし、今後20艇希望者が有るとの事。私たち泉大津とロイヤルで現在約44艇の開局希望者があり、其の旨を役員会に報告をする。

今年の盆休みは、山本さんと阿波踊りを見に行こうと約束をしていたが、体調を崩し今回は行けないと11の日に有線有り、私たちで行く事にした。一般には13〜17日迄の休暇であるが私の都合で14日の出港とし、準備にかかる。

13日の午前10時すぎ自宅の無線機の火を入れる、加藤さんが出た。くまの、ユキオ、ラブソディ、の3挺が仮屋に向かっている、朝8時頃出港たらしい、しばらくするとファミリーの梅谷氏の声が聞こえて来た、彼らは12日に出港して淡路の富島港に一泊して明石海峡手前まで来ていると言っている2時間もすれば仮屋に着くだろう。午後2時過ぎ、カリカ、トムゼリー、ゴンベイ、の3挺も出港した。石津ロイヤルの徳広氏も仮屋に向かって走っていると無線でつながる。ロイヤルのクルージングの日だ、今夜は仮屋もロイヤルの艇で賑やかになるだろう、今日出港出来ないのが残念である。私たちの出港は14日、泉大津クラブのパーテーに参加のため、午前9時に泉大津泊地を後に仮屋に進路を取る。シャークの神田さんも後について来る、今にも雨が振り出しそうな空模様、メインセィルの機帆走だ。

ここでブル−シ−ガルXのクルーを紹介しょう、コック長の私の弟の賢三その息子、和と良、弟の友人森野和昭、その息子裕輔、私共乗員6名、午後12時すぎ仮屋入港。12日よりファミリーの梅谷氏と先行きしていた三尾野さん事、愛称「みーちゃん」彼女は今年の春船舶免許を取り、5月の連休にも本島まで一緒に行った我がブル−シ−ガルXのクルーで
免許を取ったので第二艇長に任命した女艇長だ。我が艇の乗員の中で免許所有者は私と彼女の二人となった早速みーちゃんを交えてソーメンで昼飯。私たちが仮屋に着いた時にはロイヤルの艇は出港していて、皆と会えなかった、彼らは今頃は石津向けで走っているらろう。ここ仮屋の港の中でタコが取れると聞いて子供達は早速タコ取りに出掛けた。
奥土君が婚約者を連れてやって来た、彼女は船に弱くブル−シ−ガルが今年淡輪のレースに出たときに同乗したがすぐに船酔いでキャビンで大マグロになっていた、今回はフェリーで来たという。ところでおもしろい話がある、当クラブの会員だが。
パンツ一枚で大の字になって寝ていたら、男の大事な所にチクリと痛みが走って目を覚ますと、パンツの下で何やらごそごそ動いている、あれーと思って見てみるとゴキブリが一匹入っていた、かわいそうにそのゴキブリソーセヂと間違って咬んだのか?いやまた匂いに釣られて咬んだのか?そのゴキブリを殺そうと追いかけ回したが逃げられて残念無念と悔しい思いをしたらしい。その後そのゴキブリが毒気に当たって、どこかで死んでいるかもしれないと、皆んなで大笑いをした。皆さんゴキブリに気をつけましょう。さて此の人は誰か?Nの付く艇名のオーナーだ。心当たりの人は慰めながら〃笑ってやってください。
日も暮れかけたころクラブの焼き肉パーテーが始まった今回仮屋のクルージングは大盛況で20数艇と80人もに及ぶ人々で楽しくビンゴゲームもした、役員の方々にお疲れさんと感謝感謝。

15日早朝我々ブル−シ−ガルとK&Kの石田氏とジパングの宮本氏の3艇で四国徳島に向かう。ジパングの宮本氏は初心者で今回初航海。フエリーで仮屋に来て我が艇で徳島に一緒に行く事になっていた遠藤君にジパングが心配なのでジパングに同乗してくれるようにと、お願いをする。朝4時に出る予定でいたが寝過ごして、石田さんに起こされ。5時すぎの出港となった、雨が土砂降りの中見かけの風アビーム10〜12ノットの南風、ブル−シ−ガル得意の屋形船でジブセィルを上げて機帆走だ7時すぎに連潮で友ヶ島水道を通過、沼島手前でウエルカムの土屋さんと無線でつながる、日和佐から今朝6時に出たらしい、少したって忠岡ロイヤルの風林火山、足刈氏等3艇共々徳島に行くと言って来た、我々も徳島向けで航行していることを伝える。
8時半頃遅い朝飯を作る、ブル−シ−ガル常食の茶が湯だ、これに水ナスの古漬けはとっても美味い。雨も小ぶりなって来た沼島を過ぎたころオーロラの藤原氏と無線連絡、彼は13〜15日と沼島で過ごして母港に帰るところだ、盆前に彼のスクリューが破損し気になっていたがうまく行ったらしい。遠藤の乗ったジパングが近づいて来た、メインセィルを上げようとした時にグースネックのブームに取り付けている金具のリベットが飛んだとの事徳島で修理してやると約束をする。霞みの中から徳島港の入り口が目に入る、新川を上って行くと何時もの泊地が見えた来たが、ケンチョピヤマリーナの艇が移動していて我々の何時もの泊地が占領されている。やむなく手前の空いている所を探して停泊する、ここなら後から来る艇も泊められるだろう。早速ジパングのブームを修理をする、アルミのリベット3本で止めていたが3本共おれていた、リベットを抜いてステンのタッピングにシリコンを付けて締め付けるこれでOK。日和佐組が入港する、昼飯をたべていると、K&K、風林火山、ウエルカム、全艇無事に着岸、相変わらず雨が降ったり止んだり、徳島の眉山が雲の中でなにも見えない、我々は雨の合いまを見て銭湯に行く。速めに晩飯の鳥ナベだ、これもブル−シ−ガルの名物だ皆がやって来て酒が入り話に花が咲く一息ついて8時ごろ阿波踊りを見に傘を持ちながら
本町通りの会場に、私は今回で6度目だ。

余談では有りますが、私がルボンに乗って間もない頃、泉大津のオーロラ当時はBW21で徳島に行こうと計画をし、彼は泉大津より出航し私は淡輪より夜の11時頃出航した、先行き艇はロイヤルの当時西村さんの泉流YA25マーク1、出航ししばらくすると無線でオーロラがエンジントラブル発生、私は洲本に入港し修理をするようにと進めた、徳弘さんも家より無線でつながってそのように進めているが、オーロラは今風も有るので走らせながら修理をすると言って来る、それではと私が先行きすると連絡をする、明け方徳島に着き一日遊んで夜になってもオーロラが無線にも出ない、これから沼島に向けて出航すると言う西やんと話をし、オーロラに連絡してくれるようにつ伝える、私達は此の夜も踊りを見てあくる日沼島に出航した、沼島に着くと、もう西やんがいない、オーロラと昨夜のうちにつながったものと思って沼島で一泊し帰ってきた。
後日話をオーロラより聞くとエンジン故障の時より風が段段落ちてきて友水を越したのはあくる日の昼過ぎ、一昼夜漂って、しばらくして西やんと無線でつながって引っ張ってくれと言っているのに、今此方は酒盛りの最中や後で行くのでアンカーを入れて待っていてくれ、との事でアンカーを入れたが水深が深くとどかず、結局潮に流されて海南の方にと流されて朝方潮が変わって友水に方にと持ってゆかれる、結局大阪湾に流れ込んだ時に西やんと合流し、引っ張ってもらって泉大津の沖まで来たがここで行けるやろうと、ロープを放されてこの後えらい目に会ったとこぼしていた。後日この話を徳弘さんとした時に以前にも青木がエンジン故障で明石海峡を三日三晩漂った事が有ったと話していた。
現在はロイヤルのほとんどの艇はコールサインを取り430で連絡が出きるようになったが以前は市民バンドで連絡をしていた事もあり今後はマリンVHFも復旧してくるだろう。

本町の踊り場は時々降る小雨も吹き飛ばす勢いで、よしこの囃子と太鼓の音と踊り子が一体となって今たけなわの阿波踊り次つぎと有名連が踊ってゆく、桟敷で見るには入場券がいるが、つわもの揃いの当クラブの面々、難無く皆んなあの手此の手で桟敷に入っている。結局終わりまで見物、子供達は最後になって踊っていた、大きな雨も降らずに良かったが明日の日和が心配だ停滞前線が気にかかる。

16日は朝飯の茶が湯をゆっくり食べて沼島に向かう今日は第二艇長のみーちゃんのヘルムスで9時に出港新川を下る、港を出ると風が真の上りだメインセィルを上げ機帆走で走るしばらくして風が南に触れてジブセィルも上げたがすぐに風が元に戻った、鳴門大橋も霞の中、沼島が霞みの中から浮かび上がって来た、VHFの無線機で神戸保安の気象情報を聞く、四国北部で前線が停滞し30ノットの風が吹いていると言っている、430メガで全艇に知らせる、間もなく沼島が黒い雲の中にすっぽりと包まれ何も見えなくなる、土屋さんが無線で雨が来るぞと言って来た、こちらもカッパの上だけ着ていたが土砂降りの大粒の雨。すかさず子供たちはキャビンに飛び込む、紀伊水道からのうねりで各艇が見えかくれする中を雨を幸いに、弟と和昭は洗剤とデッキブラシを取り出しデッキを洗い始めた、沼島の手前で雨も上がり、紅灯台を右に見て沼島漁港へ何時もの泊地にアンカ−を入れる、順次各艇着岸。早速焼きそばで腹ごしらへ、今航海の最短距離3時間半ぐらいだが、大雨の中でも、みーちゃんが着岸までティーラを離さず女艇長ぶりを発揮した。日も照って来たので早速濡れた物をロープを張って乾かす、人数が多いので、まるで難民船の如くとなる。子供たちは藤原氏に聞いた所に早速潜りに行った、私たちも一息付いて釣りに行ったが、アミエビしか餌がなく、弟が餌にする船虫を探している。和昭とみーちゃんが、サビキで五目釣、コサバ、ハゲ、ベラ、サンバソウ、いろんな物が釣れる、特にコサバが良く釣れる。沼島を一回りし島の八幡宮に参詣、安全航海とその他を祈願、[拾の御]利益有るようにと縁起を担いで賽銭に15円を上げる。此れで御利益が有れば安いもんだ。
帰りがけに、土屋さんに合うと一昨年沼島の漁師で堀内さんの艇で一緒に徳島に来た前川さんが来ていると言う、あの時は島中大騒ぎになった、家の人に連絡もせづ津軽に乗って、我々と一緒に徳島で一泊阿波踊りを見てそのまま沼島にもよらずに洲本まで動向、洲本で降ろしたが、その間、家にも連絡しなかったので一晩中行方不明となり、沼島ではスピカーで尋ね人を放送、一夜明けて土屋さんが沼島に拠ったのが幸、無線で私と連絡して洲本に降ろした事を漁業組合につたへて貰った、その前川さんが来ていると言う。艇に帰ると、子供達は大きなタコを取って来ていた、津軽を覗くと、話題の主前川さんが海老を持って来たらしい、本人を肴に行方不明になった時の話や沼島の花嫁募集のTV放映で漁業組合の協力や魚土産を当て込んだ花嫁候補の裏話、いろんな話に花が咲く、前川さんに、みーちゃんを見ながら、俺の娘や第二の花嫁候補にどうやと言うと、このまま沼島に置いといてくれ、お姫さんのように扱うで、何んにもささづに魚をどっさり食わすからと言っている。みーちゃん十二一重着せてもらって座っていたらええデーと皆んなよって大笑いをする。あんまり話し込んでいると今度は、泉大津まで乗って行くと言われるデー、と言いつつ夕食の支度にかかったら、又夜に来ると言いつつ前川さんが帰っていった。夕食はうどんすき、持って来た白菜とエノキダケは腐っていたので買い足して、タコの造りと先程釣ったサバでキズシを造る。
隣はもらった海老を肴に一杯きげんで土屋さんがチャーハンを造っている、我々も炊き上がったうどんすきを肴にビールで乾杯、8時ごろ銭湯に行き、沼島の盆踊りを見ようと思っていたが小雨が降りだし残念する。
明日はいよいよ帰の日、ジパングとK&Kは午前4時頃出ると言っていた。

17日朝早く漁船のエンジンの音で皆んな起き出した、それに釣られて我々も5時すぎに起き出した、今日は雨が降るので早く出ようと言っている、朝の茶が湯もそこそこに6時すぎにもやいを解く、風が真の上りだメインセィルを揚げて機帆走で走る、大きな波が横から来る。逆潮の中、友ヶ島水道通過、風が変わる南西の風18ノットぐらいの風が吹いている、舵をみーちゃんに任せて、早速ジブセィルを揚げてエンジンを切る。波もなく良く滑る7ノットぐらいのスピードだ。進路を330度に変針洲本沖を通過、しばらくすると風が変わり南に触れる、進路を60度にジャイブ、コゥターリーとなる。津軽が陸よりを走っているらしい、ウエルカムが先行きしている。天気予報とは裏腹に日も差している、今回のクルージングで今日は最高の日和だ、風か段々強くなる、一昭が舵を取る、霞みの中か関西新空港が見えて来た、風が真後ろに変わり。ジブセィルがシバをし始めた降ろしてみたがスピードは変わらない。昼飯の肉ジャガをほうぼりながらウエルカムの後を追う、泉大津の紅灯台を回り込めばホームポートだ、
お疲れさん、ブル−シ−ガルX、皆さんおご苦労さんでした。